ウェブアーカイブの公開を支える法律と仕組み ───社会運動のウェブアーカイブズ構築に向けて 山口 和紀
2022.10 『遡航』004号 pp.70-86
ウェブアーカイブズ、アーカイヴィング、社会運動、インターネット
要旨

本稿は社会運動のウェブアーカイブズ構築に向けた試論として、2つのウェブアーカイズを検討した。その目的は、既存のウェブアーカイブズがどのように「公開」の問題を捉えているのかを整理するためである。事例の一つは、アメリカのウェブアーカイブズ「Wayback Machine」である。同アーカイブズは、著作権者の承諾を取らずに取得し・公開しており、それを「フェアユース」という法理が支えている。他方で日本のウェブアーカイブズであるWARPは承諾を取らずに取得し・公開している点では同じだが、それを国立国会図書館などが支えており、かつその取得・公開の範囲が公的機関あるいはそれに準じるものに限定されていた。これらをもとに、社会運動のウェブアーカイブズをどのように構築するかを論じた。

1. はじめに

1-1. 位置づけ

本稿は、社会運動のウェブアーカイブズ構築のための試論である。  あくまでも便宜的なものであるという断りの上で、ウェブアーカイブズが作られる段階を、「集める」「整理する」「公開する」と分けて考えてみたい。山口[2022]において、社会運動のウェブアーカイブズ構築における「集める」段階については論じた。そこでは主としてSNSの運動のアーカイブでは、単に投稿データのみが集まれば良いのではなく、その発信者の情報(それを拡張する形での発信者のネットワークを同定しうる情報群も含めて)も集められる必要があることを論じた。どのような情報が集められるべきなのかについては今後も検討していくが、「公開」や「整理」についても検討を進める必要がある。本稿で議論するのは「公開」についてである。  なぜなら、「整理」の議論をするためには「公開」の議論が必要だからである。それは「公開する」形が定まれば、自ずとどのように整理しうるかが限定され、そしてどこかの妥協点で決めることができるようになるという特性による。つまり「公開する」方法、あるいは本稿で論じるように「公開しない」ことが決まれば、そこから逆算してどのように整理されるかが決まるのである。すると、まず議論すべきは「公開する」部分についてとなる。そこで本稿の役割を「公開する」の段階について論じることとする。  アーカイヴィング機関が「何を誰にどのように公開するべきか」については、紙媒体のアーカイブズにおいてはとくに議論がなされてきた。その仕組みも確立している。誰に何を見せるのか、反対に考えれば、何を見せないのかを決定する仕組みが定まっている。もちろん、最終的には人間が判断することであって恣意性はあるが、そうした法や仕組みが定められ、実際に運用されているという事実がある。他方で、ウェブアーカイブズにおいてはいまだ未確定であいまいな部分が大きい。ここに議論の重要性と余地がある。

1-2. 紙媒体のアーカイブズにおける「公開」

ここではまず紙のアーカイブズにおける議論を見る。  たとえば、公文書館であれば「利用制限情報」が定められている。公文書管理法16条1項は、特定歴史公文書の利用請求を認めているが、他方で各号においてその制限もされうるとしている。例えば、個人のプライバシーに関わる情報がそれにあたる。言い換えれば、個人情報であれば利用を制限しうるということである。しかしながら、何をどこまで公開してよいのかについては、絶対の基準はない。何を公開するかについてはあいまいさが残されている。その例として「時の経過」についての議論がある。  「時の経過」とは、利用請求された資料が第1項に定める利用制限情報(第16条1項)に該当するかどうかは公文書管理法16条第2項において「時の経過を考慮する」と示されていることを示す。換言するならば、時間が経てば、個人情報を考慮する割合が下がる、あるいは下げうるということである。  ただし、この「時の経過」の具体的な年限や数字などは、法律や施行令の条文中では明示されていないとされる(野口[2019])。野口[2019:390-391]は、これまで「時の経過」について該当する個人の死亡、法人等の消滅が考慮されてきたことを紹介している。時が過ぎ、その情報に関係する人がこの世を去れば、それが考慮されて、何を公開しても(この場合には利用しても)よいのかは変わりうる。  紙媒体のアーカイブズ構築だけでなく、デジタル・アーカイブズ★01構築においても紙媒体に比べて少ないとはいえ、同様の議論はなされてきた。西山[2016]は「近現代公文書のインターネット公開における課題と対応」と題された論文であるが、沖縄県が米軍統治下時代の公文書約16万簿冊のデジタル画像化を進め、その一部をインターネットに公開しようとした際に直面した困難が記されている。  ここでもやはり問題になったのは個人情報、つまりは当該の資料に記された個々人の情報をどこまで利用可能な形で公開するかという問題である。  西山ら沖縄公文書館が直面した課題は、資料の館内利用を前提とした場合には、どのような利用の自由と制限があるかは「沖縄県公文書館管理規則第4条」に定められているが、インターネットに画像を公開する上での具体的な基準はなかったということである。閲覧室でどのような人がどのような資料を利用するか理解した環境が存在するのと、誰もが簡単にアクセスできるインターネット上に情報が公開されることにはやはり差があるだろう。  西山[2016]は次のように述べる。

「情報が持つ「重さ」も館内利用とインターネットでの配信とでは異なるのではないだろうか。以上のように考えると,インターネットでの情報公開は,ある一定の規則や方針がある中でも非常に微妙な対応が求められ,それらのノウハウの蓄積が鍵となる。」(西山[2016:574])

紙/デジタルにおいては、こうした資料の利用制限についての議論がなされてきた。あいまいさがあるとはいえ、おおまかにはその決まりは作られ、認められるものになっている。  では、ウェブアーカイブズについてはどうだろうか。「ウェブアーカイブズ」で集められる資料は、そもそも元からインターネット上で公開されていたものである。すなわち、もとから原理的には全世界に対して公開されていた情報を、どこかに集め、それが公開され続けるようにするということである。  もともと、最初からウェブ上にあった情報である。ウェブアーカイブズが集め、整理し、公開するという過程を経て、はじめてウェブ上で公開される情報ではない。もともとウェブ上にあったのだから、それを別の場所で「ずっと見ることができる」状態に置き換えられたとしても、構わないのではないかという主張も幾分かは成り立つだろう。  このように考えると、紙/デジタルのアーカイブズ構築とウェブアーカイブズは、公開についての性質が大きく異なる。ウェブアーカイブズにおいて、何が考慮され、どのように公開されるべきなのだろうか。公開については絶対的な原則はなく、その資料が置かれた状況によって変わる。その「変わり具合」についてもやはり、その資料が置かれた状況によって変わりうる。それはウェブアーカイブズにおいても「公開」を議論する必要性があることを意味する。  本稿が議論しようとするのは、社会運動のウェブアーカイブズにおいて「公開」はどのように位置づけうるのかという点である。

2. 事例の検討

2-1. Wayback Machine——公開を可能にする法とその主張

既存のウェブアーカイブズにおいて「公開」の問題はどのように扱われているだろうか。まず世界最大のウェブアーカイブの「Wayback Machine」を例に取りたい。  Wayback Machine(ウェイバックマシーン)★02とは、米国の非営利組織Internet Archive(以下、IA)が提供しているウェブアーカイブズのことである。Wayback Machineは2001年にIAを創設したブリュースター・ケールとブルース・ギリアットが立ち上げたウェブアーカイブズであり、すでに745億を超えるページがアーカイブされている。世界最大規模のウェブアーカイブズの一つであり、もっともよく知られたウェブアーカイブズであると言いうる。  ここからWayback Machineの取っている公開の仕組みや、その方針について検討したい。後述するが、Wayback Machineは著作者の承諾なしにデータを収集している。また、Wayback Machineは収集したデータをほとんどそのまま公開する形を取っている。すくなくとも著作者の承諾を得ず、データの公開をしている。収集においても公開においても著作者の承諾を得ていない。この点は特筆すべき点である。そして、後述するWARP事業との決定的な差でもある。  そして、それを可能にしているのは、米国の法律である。塩崎[2019]はWayback Machineについて次のように説明する。

「IAは「フェアユース」の考えにもとづき、著作権者から許諾を事前に取ることなく、日本のものを含め、世界中の公開ウェブサイト等を収集してきた。著作権やプライバシー等の観点から削除の依頼があれば事後的に対応するオプトアウトの運営方針にもとづく[...] 翻って、欧米の一部の大学ではウェブアーカイブを構築する事例が見られる。[...]さらにそのほとんどは、著作権法で「フェアユース」または「フェアディーリング」の規定があり、オプトアウト方式での運営が可能な米国またはカナダの大学で占められている。」 (塩崎[2019:4])

また、同様の趣旨であるが国立国会図書館[不詳]は次のように説明している。

「インターネットアーカイブのWayback Machineでは、収集したコンテンツを原則インターネット上で公開しており、申し出があれば公開を停止する方式(オプトアウト方式)を採用しています。ただし、これは米国著作権法に定めるフェアユースの考えに基づいており、ウェブアーカイブの中でも特異な例と言えます」(国立国会図書館[不詳])

Wayback Machineはウェブ上の情報を無作為に著作権者の承諾を得ることなく収集している。こうした収集方式はバルク収集と呼ばれる★03。当然、ここにはプライバシーの問題や著作権者が公開を望まない情報も含まれている。こうした著作者が公開を望まない情報は著作権者の申し立てによって、後から削除するという方式をWayback Machineは取る。  著作物を「アーカイブさせない」ようにしておく、あるいは、一度アーカイブされたものを「取り下げる」ためのコストをアーカイブズ側ではなく、著作者が支払うという形を取っている。著作者からすれば、勝手に集めて公開され、それをさせないようにするには明確な意思表示をあらかじめしておかなければならないという形になっている。  それを可能にしているのは、米国著作権法に定める「フェアユース」の考え方であると国立国会図書館[不詳]や塩崎[2019]は説明する。東は「インターネットに関する著作権侵害とフェア・ユース原則の適用について」(東[1999])において次のように「フェアユース」の説明をする。

「著作権法の目的とするところは、著作物のような「文化的所産の公正な利用」を図り、もって「文化の発展に寄与する」ことである(著作権法第1条)とし、著作物を知的財産(intellectual property)とみなして、財産権(property rights)を著作権者(copyright holder)に独占的・排他的(exclusive)に付与している。この独占的な権利を認めて著作権者を保護することにより、創作意欲や経済的にも報われる可能性のインテンシブを著作権者に法的に約束することが、公平な社会という要請に応えることになるからである。 しかし、反面、この独占的排他権は絶対的な権利ではなく、社会・文化の発展に寄与するうえで、社会的公正の範囲で制限が加えられてしかるべきであると考えられる。つまり、「公正な使用(フェア・ユース)」という、ユーザーが著作者の承諾なしに著作物を使用できる範囲を法的に規定したのがフェア・ユースの法理(fair use doctorine)である。」(東[1999:67])

やや込み入った法律上の問題であるが、重要な点があるため詳述する。米国著作権法は著作者に認められる独占的な権利を制限し、著作者の承諾なしに利用できる範囲を法的に規定している。その制限の範囲となるのが「フェアユースfair use」である。日本語では「公正な使用」と訳されることが多い。これは米国著作権法の第107条に規定されている。文化的な事柄がより広く知られ用いられた方が望ましく、そのためには「公正な使用」のもとではその利用にかかる制限を可能な限り減らすということである。  東[1999:68]によれば、ある著作物を著作者の承諾なしに「フェアユース」の範囲内で使用できるかどうかは、(1)使用が商業的であるかどうか又は、非営利目的の教育的なものであるかどうかの別を含んだ使用の目的及び性格、(2)著作物の性質、(3)著作物全体との関連において、使用された分量及び実質性、(4)著作物の潜在的マーケットへの影響又は使用によって及ぼすであろう価値への影響★04が考慮されるべきであると米国著作権法第107条は規定している。Wayback Machineはこうしたフェアユース法理によって、無作為のデータ収集と公開を行っている。  実際にフェアユースの範囲に著作物の利用が入っているかどうかは、個々の事例によって状況が異なる。そのためアーカイブ全体を指して、フェアユースが適応されるかどうかをあらかじめ決めることはできず、最終的な判断は裁判所によってのみ行われることになる。 しかし、アメリカ議会上院は消失の大きな危険性(the great danger of loss)を考えると「アーカイブ保存を目的とした複製物の作成は、たしかに「フェアユース」の範囲に入る(falls within the scope of ‘fair use’)」としている(Hirtle [2003])。  また、Wayback Machineはさまざまな方法でフェアユースによる「抗弁」の可能性を高めようとしている。Wayback Machineの利用規約は次のようにWayback Machineの使用目的を限定する。

「当アーカイブズへのアクセスは学問および研究(scholar ship and research)目的でのみ許可され、無償で提供される」(Internet Archive[2014])

Wayback Machineは誰もが利用できるようになっている。ログインは不要であるし、アクセスさえできれば使える。アメリカのドメインへのアクセスが禁止されている場合などの特殊な例を除いて、世界中のおおよその国、地域において、ほとんどの人が使えるだろう。そこで任意のページのアーカイブを閲覧することができ、アクセスに制限はない。しかし、利用規約の上では、その使用目的は「学問および研究」に限定されている。ユーザーは自由にアクセスし利用できるのだから厳密に限定されているとは言えないし、ユーザーの少なくない部分が「学問および研究」以外を目的としているという可能性も高いが、少なくとも利用規約においてはそれを明示している。これはWayback Machineが「フェアユース」に則っているものであるとする主張を強化する。  またオプトアウトがある。オプトアウトとは、著作権者がWayback Machineによるアーカイブを拒否できる仕組みのことである。あらかじめウェブページにおいてWayback Machineによる情報の収集を拒否することができるし、また削除の申請を行うこともできる(Hirtle [2003])。

2-2. WARP——国立図書館として範囲を定め、集める

Wayback Machineは無作為に可能な限りすべてを集め、それを公開している。それは米国著作権法第107条に則るものである。こうした方式(塩崎[2014]はオプトアウト方式と呼ぶ)は、それを支える法律がある「米国とカナダ」に限られるものだと塩崎[2014]は指摘する。全世界の情報を集め、公開するものだとしても、それは国内における法理に支えられるということも意味する。  では、日本国内におけるウェブアーカイブはどのように行われ、どのような法・仕組みに支えられるものなのだろうか。ここでは国内における取組みとして、国立国会図書館インターネット資料保存事業を取り上げたい。同事業は「Web Archiving Project」の頭文字を取ってWARPと呼ばれるため、本稿でもWARPと表記する。WARPを運営する機関は国立国会図書館である。プロジェクトそのものは2002年から始まったが、大規模な収集が始まったのは2010年である。  2002年から2010年の段階では国内発信のインターネット情報を対象に発信者から個別に許諾を得て収集を行っていた。またその間、WARP事業では国内のウェブアーカイビングに向けた制度枠組みの整理や制度化への「意見募集」などを行っていた。2009年7月には国立国会図書館法が改正され、2010年から大規模なウェブアーカイビングが行われるようになった。  2009年の国立子会図書館法の改正によって、国立国会図書館はウェブアーカイビングを行うことができるようになった。関連する条項を引用する。関連法規については国立国会図書館[2009]にまとめられている。引用する事項は国立国会図書館[2009]を参考にした。太字部分はいずれも筆者によるものである。

◇改正国立国会図書館法 第二十五条 第二十五条の三 館長は、公用に供するため、第二十四条及び第二十四条の二に規定する者が公衆に利用可能とし、又は当該者がインターネットを通じて提供する役務により公衆に利用可能とされたインターネット資料(電子的方法、磁気的方法その他の人の知覚によつては認識することができない方法により記録された文字、映像、音又はプログラムであつて、インターネットを通じて公衆に利用可能とされたものをいう。以下同じ。)を国立国会図書館の使用に係る記録媒体に記録することにより収集することができる。 ② 第二十四条及び第二十四条の二に規定する者は、自らが公衆に利用可能とし、又は自らがインターネットを通じて提供する役務により公衆に利用可能とされているインターネット資料(その性質及び公衆に利用可能とされた目的にかんがみ、前項の目的の達成に支障がないと認められるものとして館長の定めるものを除く。次項において同じ。)について、館長の定めるところにより、館長が前項の記録を適切に行うために必要な手段を講じなければならない。 ③ 館長は、第二十四条及び第二十四条の二に規定する者に対し、当該者が公衆に利用可能とし、又は当該者がインターネットを通じて提供する役務により公衆に利用可能とされたインターネット資料のうち、第一項の目的を達成するため特に必要があるものとして館長が定めるものに該当するものについて、国立国会図書館に提供するよう求めることができる。この場合において、当該者は、正当な理由がある場合を除き、その求めに応じなければならない。 ◇「国立国会図書館法によるインターネット資料の記録に関する規程」(平成二十一年七月十日国立国会図書館規程第五号) (収集目的の達成に支障がないと認められるインターネット資料) 第一条 国立国会図書館法(昭和二十三年法律第五号。以下「法」という。)第二十五条の三第二項に規定するその性質及び公衆に利用可能とされた目的にかんがみ、同条第一項の目的の達成に支障がないと認められるインターネット資料は、次に掲げるものとする。 一 当該インターネット資料を公衆に利用可能とした者の事務に係る申請、届出等を受けることを目的とするもの 二 長期間にわたり継続して公衆に利用可能とすることを目的としているものであって、かつ、特段の事情なく消去されないと認められるもの
◇「著作権法第四十三条」 (国立国会図書館法によるインターネット資料及びオンライン資料の収集のための複製) 第四十三条 国立国会図書館の館長は、国立国会図書館法(昭和二十三年法律第五号)第 二十五条の三第一項の規定により同項に規定するインターネット資料(以下この条におい て「インターネット資料」という。)又は同法第二十五条の四第三項の規定により同項に規定するオンライン資料を収集するために必要と認められる限度において、当該インターネット資料又は当該オンライン資料に係る著作物を国立国会図書館の使用に係る記録媒体に記録することができる。 2 次の各号に掲げる者は、当該各号に掲げる資料を提供するために必要と認められる限度 において、当該各号に掲げる資料に係る著作物を複製することができる。 一 国立国会図書館法第二十四条及び第二十四条の二に規定する者 同法第二十五条の三第三項の求めに応じ提供するインターネット資料 二 国立国会図書館法第二十四条及び第二十四条の二に規定する者以外の者 同法第二十五条の四第一項の規定により提供する同項に規定するオンライン資料

ここで規定されているのは、国立国会図書館が国立国会図書館法第二十四条が定める機関による「公衆に利用可能とされたインターネット資料」を、当該期間の許可を得ず収集することが可能であることであり、そのために必要な措置を同法第二十四条が定める機関が講じなければならないことである。こうした改正国立国会図書館法等に基づく収集は、「制度収集」と呼ばれる。  この国立国会図書館法第二十四条および第二十四条の2に定められた機関とは「国の機関」「独立行政法人」「国立大学法人」「特殊法人等」、「地方公共団体」「地方公社等」である。すなわち、公的な機関あるいはそれに準ずる機関がインターネット上に発した情報を国立国会図書館が、当該機関の承諾を得ず収集することが認められ、収集のために必要な措置をそれらの機関が講じなければならなくなったということである。国立国会図書館はこうした法規に基づいて、大規模な自動収集を行い、それを公開している。いうなれば「許諾に基づかない」収集である。  それとは別に国立国会図書館は「許諾に基づく収集」も行っている。公益法人、私立大学、政党、国際的・文化的イベント、東日本大震災に関するウェブサイト、電子雑誌などについて、発信者が許可をしたものを収集し、公開している。  Internet ArchiveのWayback Machineと異なるのは、許諾を得ずに行う収集については、国立国会図書館法で定められた範囲のみを収集していることである。Wayback Machineは明示的に拒否されている場合を除いて無作為にすべてを収集するという形を取っている。WARPはあくまでも公的な機関とそれに準ずる機関がすでにインターネットに発信している情報を収集しているということである。この点において、大きく異なりがある。  では、WARPは集めた資料をどのように公開しているだろうか。WARPのアーカイブはWayback Machineと同様にインターネット上で閲覧することができる。具体的には、WARPのホームページ(https://warp.ndl.go.jp/)にアクセスをする。URLを直接打ち込むか、Google等の検索エンジンで「WARP」などと検索しても表示することができる。ホームページの上部に検索窓があり、そこに任意の検索条件を入力し、検索ボタンを押せば検索をすることができる。  例として「文部科学省」と検索をする。表示されるアイテムの最も上位は次のような表示である。

文部科学省 文部科学省 コレクション:国の機関 https://wwWayback Machineext.go.jp/ [保存日:2004/11/11 - 2022/08/01] ▼ 保存日のリストを開く

これはすなわち、文部科学省のホームぺージ(ただしくはドメイン)全体がアーカイブとして取得されているということである。保存日が2004年から2022年とある。これは取得日を表している。つまり、2004年の時点でどういうページがあったのか、どういう内容であったのかを知ることができるし、2010年時点ではどうだったのかということも知りうる。取得した日時ごとにアーカイブを閲覧できるという構成になっている。公的機関あるいはそれに準じる機関のデータに関しては、インターネット上で概ね閲覧が可能である。ただし、「国立国会図書館資料利用制限措置」によって、取得はされているが、利用ができないファイルも存在している。  WARP事業は制度収集の範囲に定められておらず、公的機関あるいはそれに準じる機関のものでない民間のウェブページもアーカイブしている。こうした民間のウェブページも公的機関と同じように許諾を依頼し、得られたものについては公開をしている(国立国会図書館[2022])。国立国会図書館[2022]は次のように述べる。

ところで、収集したウェブサイトをインターネット公開するためには著作権の一部である公衆送信権を有する発信者の許諾が必要です。そのため、WARPでは公的機関および民間のウェブサイトのいずれに対しても、インターネット公開について発信者に許諾を依頼し、許諾を得た上でインターネット公開しています。2021年度末時点の収集タイトル数13,822件のうち、12,435件(約90%)がインターネット公開されており、各国の事業として行われている世界のウェブアーカイブの中でも、インターネット公開されている度合いが高いアーカイブといえます。(国立国会図書館[2022])

WARPにおける「公開」は次のように整理できる。そもそも、2010年以降の大規模な収集は主として国立国会図書館法および著作権法の制度的裏付けを持つ「制度収集」である。その範囲は公的機関および公的機関に準じる機関が、すでに公に発信した情報である。その他に民間のウェブページ等においても許諾を得て収集・公開している場合もある。  「フェアユース」に基づいて、世界中のウェブページを許諾を得ずに収集するWayback Machineのような形とはまったく異なるものであることが分かる。

3. 事例の考察

3-1. 「許諾なしで収集・公開すること」をどう捉え、使うか

本稿は社会運動のウェブアーカイブズ構築における試論である。この論点から先の2つの事例を検討したい。  すくなくとも、現在のWARPの形を規定するような(日本の)国内法では、社会運動のウェブアーカイブズを構築するには足りない。「社会運動」に関連するような記録は、ほとんどの場合において「公」ではなく「民」に属するものである。そうした「民」の記録を収集する枠組みとはまったく異なることは、事例の検討において示した。こうした意味で、現在の形が続いていくとすれば、社会運動のウェブアーカイブズの機能をWARPに期待することは不可能であり、WARPの趣旨を大きく外れている。では、どのように社会運動のウェブアーカイブズ構築はなされるべきなのか。  ウェブアーカイブズが「公開」に際して直面する課題は国や地域によって異なる。事例の検討において、すべてを強引に集め・公開するという方法もあるし、公的なものだけに絞って集め・公開するという方法もある。それは、それを行う国が規定する法によって大きく異なっていた。そのことをここまで確認した。  Wayback Machineのように「フェアユース」の名のもとに、強引とも言いうる収集と公開を行うことも可能である。実際にそれはなされており、サービスは削除・停止されていない。それが「強引」なものであったとしても、「消失の大きな危険性(the great danger of loss)」というリスクあるいはデメリットと比して上回るならば、許容されうる可能性が現にあるということでもある。日本国内においても、社会運動のウェブアーカイブズ構築のためにそうした方向に関連法を整備するという形も残っているし、それは検討されるべきことだと考える。  許諾を得ず、収集し、公開するというWayback Machineの枠組みと「国」あるいは「法」の関係性についても触れたい。Wayback Machineは日本からでも利用できる。世界中の多くの地域で同じだろう。Wayback Machineが米国の法律にもとづいて集めていたとしても、それを使用するのが米国国内のユーザーだけとは限らないし、限っていないということである。また、収集するデータもそうである。日本国内のデータも数多く収集している。それはあるデータがどの国に属するものなのかを知ることはできないし、そもそもそのようなデータと国を紐づけることはなされていないからだ。インターネット上に発信されたものは、国と無関係に広がり、利用される。米国国内法の解釈の範囲内においてWayback Machineが運営されているからといって、それが収集し公開する範囲は米国国内だけでなく全世界を対象としているということである。  つまり、日本国内の社会運動のウェブアーカイブズを米国で行うという可能性も開かれているということである。そしてそれは、Wayback Machineが収集し、公開しているデータの範囲を考えるならば、すでに行われている。この方向で社会運動のウェブアーカイブズを構築していくということも考えうることなのではないか。  以上を整理する。いまある国内法では民間のウェブサイトの「許諾なし」の収集・公開は行えないのだから、社会運動のウェブアーカイブズを構築するには不足である。それを変え、社会運動のウェブアーカイブズを構築していく方向性として2つを示しうる。 α)日本国内の関連法をWayback Machineのように「許諾なし」でデータの収集・公開を行いうるように変える β) インターネットに国境はないのだから「許諾なし」の収集・公開をすでに行いうる米国において日本国内のデータを集め・公開することもできるし、すでにそれは行われているとも言いうる

3-2. 許諾を得て集める

日本の国内法では、民間のウェブサイトをその管理者、製作者、著作権者の許諾なしに大規模に収集し・公開することはできない。現状でそうした試みがないことを考えれば、この解釈はおそらく正しい。ここに議論の余地はあるかもしれないが、本稿ではそれを論じることはできない。そこで、そのルールを変え「許諾なし」でも収集し・公開しうるとする方向と、インターネットに国境はあまり関係がないのだからそれを成しうるところで成すという方向を本稿では唱えた。  その前提にあるのは、収集と公開の許諾を得ることに非常なコストがかかるという考えからである。すくなくとも、日本国内の社会運動に関連するデータを一つひとつ、利用の許諾を得て収集し、公開していては、そのうちの1%のデータも残すことはできない。日々、データは膨大に、膨れ上がっている。  しかし、許諾を得て、一つひとつアーカイブしていくことが無意味であるとは言えない。そうした試みはあってよいし、なされなくてはならないだろう。WARPは2022年8月時点8,000タイトルの民間のウェブサイトを収集している(国立国会図書館[2022])。これらのうちどの程度が公開されているのかは、国立国会図書館[2022]には明示されておらず不明である。8,000タイトルは、インターネット上に存在するウェブページの総数から考えて、それを日本の国立国会図書館という性質から考えて日本国内に絞るとしても、きわめて少ないと言いうる。しかし、そうした試みはまず行われ、行い許諾を得たものについては公開をすることで、その仕組みが使いやすいものになり、社会的な信頼性が高まっていくことにもつながる。それは、将来的に、許諾を得て収集・公開するために必要なコストが徐々に、無くならないとしても、低減されていくということである。  そしてそうした仕組みを他の公的な拠点が担いうるようになれば、さらにこうした方向性でのウェブアーカイブが広がっていくことになる。

3-3. 許諾を得ないで集め、それを限定的に公開する

本稿が検討したWayback MachineやWARPの事例は、許諾を得て/得ずに集め、そのほとんどをインターネット上で公開するという性質のものである。どちらも収集したデータを広く公開するという点で共通している。  データを収集するが広く公開しないという性質のウェブアーカイブも考えうるだろう。収集するデータに個人的な情報を多く含みうるようなアーカイブズの場合は「登録者のみ」「研究者のみ」といった、公開の限定を設ける場合も多い。Wayback Machineは前述の通り、利用規約において利用を「学問および研究」に絞っている。  例えば、ツイッター社は過去の公開されたツイートのすべてにアクセスし、そのデータを容易に取得できる仕組みを整えている。これは「フルアーカイブサーチエンドポイント」と命名されている。これには厳格な審査があり、自らが研究者であることを記した公的機関によるウェブページの存在や、研究目的のチェックなどが行われる。これに通過しなければ、その仕組みを利用することはできない。  このようにして利用できるユーザーを狭めることによって、収集するデータをより広げることもできる可能性がある。例えば、ある範囲のウェブページを公的な機関があらかじめ収集しておく。それは原則的には公開されておらず、研究利用にのみ用い、個々のデータの個人情報を匿名化して公開するという制約とそれへの誓約のもとに利用が可能となるような仕組みである。  このような仕組みであれば、著作権や個人情報に関連して起こりうるリスクを低減しうるだろう。管見の限り、大規模に機械的に収集する(バルク収集)においてこうした方式を取っているウェブアーカイブズは世界的に見ても存在しないようである。

4. 社会運動という限定のもとで

4-1. 「記録を残すという運動」において残されるべきこと

ここまで述べたことは、社会運動に関わらないウェブアーカイブズ一般における議論である。事例の考察をもとに、さらに社会運動にかかわる部分ではどのように考えうるかを論じたい。大まかに議論し、詳細は別稿に譲る。  社会運動のアーカイブに関する研究として、原山[2009]や平野泉による平野[2013]、平野[2020]を挙げることができる。平野は立教大学共生社会センターのアーキビストである(同センターでの勤務は2010年より)。  平野は立教大学共生社会センターの成り立ちについて、次のように述べる。

「まず確認しておきたいのは、一九六〇~一九七〇年代に日本で運動に取り組んだ当事者たちが運動の記録を自分たちで残そうと、さまざまな動きを作っていたことです。運動が終わるとか、ある世代が亡くなってしまうというような節目で、もしも記録を残さなければ権力側の記録しか残らないということも、人々は意識していたのかなと思います。この人たちがいなかったら、センターの設立はそもそもあり得なかった。」(平野[2020:189])

記録を残さなければ「権力側の記録しか残らない」という意識が、運動の記録を残そうとした先人の中にあったのではないか、と平野は述べる。それは換言すれば、社会運動の記録を残すことも、権力に抗する運動とも捉えうるということである。  また平野は社会運動のアーカイブについて、次のことを述べている。

「アーカイブズとは、日々の活動のために必要とされ、生み出されるものなので、やはり事務所の賃貸契約、会議の議事録、事務局のノート、電話のメモなどが重要なのです。手紙なども、大切であるのに捨てられてしまうケースがすごく多いですね。 たとえば、総会の配布資料は割と残っています。でも、総会に至るまでの記録もほしい。総会がなぜこういう内容になったかがわかるわけですから。そういう一見すると日常的・事務的で「つまらない」ものが、百年たつと価値がでる。それがアーカイブズの醍醐味だと思うのです。」(平野[2020:193])

平野[2020]におけるこの2つの発言から言いうるのは、次のことである。社会運動は「公」の記録に残らないものを残すという(再帰的な)運動としての側面がある。そこでは「総会の資料」のようなものではなく、「事務所の賃貸契約」や「電話のメモ」と言った細かく、日常の中で作られていくものの積み重ねが集められることも重要である。  もちろん、日常の細かなものが記録されていくことこそが重要だということは、社会運動に限らず、あらゆるアーカイブズにおいて同じだろう。しかし、社会運動のアーカイブズであっても、日常的なものこそが重要なのであって、そこを見落とすわけにはいかないということは確認する。

4-2. 社会運動のウェブアーカイブがとくに重要で価値があると言う

社会運動のアーカイブズそのものに社会運動としての側面がある。公が残さない記録を集め、残すこと自体が社会運動であり、そのアーカイブズは社会的に価値のあるものである。まず、このように言うことができるだろうということを述べた。  その場合、他の事柄よりも、収集・公開という側面から優遇されうる可能性がある。つまり、一般の雑多な情報を集めたウェブアーカイブズよりも、社会運動のウェブアーカイブズがより社会的に価値があると考えることができる。それがどの程度認められる論理であるかはわからない。しかし、一般の情報よりも、社会運動に関わる情報は、社会をよりよく変えようとする人々の主張の蓄積であり、価値がある。このように言い、それを認めさせることは不可能ではない。  そのようにすると、資料を収集し、公開するときにかけられている制約を、一般の情報をアーカイブすることに比べて、緩和しうる可能性がある。私はこの論理は少なからず認められうるものだと考える。

4-3. 日常的記録への近接

しかし、平野[2020]が述べるように、日常の些細と思われるような情報は社会運動のアーカイブズとして価値を持つ。この論理は社会運動のウェブアーカイブズ(機関)が収集し、公開する範囲をあいまいに、あるいは量的に捉えるならばその範囲を大きくさせる。  日常の記録は個人情報を大きく含んでいる。例えば、事務所の賃貸契約であっても、そこには代表者の住所や口座番号、契約内容が含まれているかもしれない。より「日常」的記録であればあるほどに、個人の情報に近づくということもあるだろう。  ウェブアーカイブズについても同様である。ある社会運動組織の中心的人物が、それがその人であるとは言わず匿名で行っていたブログがあるとして、それは後世から見れば貴重な歴史的資料である。  「日常の記録」が重要であると強く言えば、それはどこまでが社会運動のウェブアーカイブズの対象なのかということを広げ、あいまいにしてしまう。これは社会運動のウェブアーカイブズが社会的にとくに意義があるとし、それによって「公的」に公開の制約を緩和させようとするうえで、問題になるだろう。社会運動のウェブアーカイブズが重要だとして、では、どこまでが社会運動のウェブアーカイブズの対象なのか、という点である。この点について検討を行うことは今後、重要ではないかと考えられる。

4-4. 小括

本節では次を論じた。まず、「社会運動」のアーカイブズがとくに社会において重要であると主張し、そのうえで、公開における制約を緩和しうる可能性があることである。この論理をさらに検討していくことは意義があるだろう。  社会運動は他に比べて、社会的意義があると主張することは「公開」のしやすさを広げることになるだろうし、また「公開」の主体に関わる議論ともつながるだろう。つまり、社会的に価値があるのだから「公的」に集めるべきなのだと主張することもできるだろう。WARP事業のような法的に裏付けられ、予算化されたアーカイブズの構築を公的機関が担うことが可能になれば、それは最も安定的な形であるように思われる。  しかしながら、社会運動のアーカイブズにおいて重要な「日常の記録」は、個人情報に近接するがために、ウェブ上の公開に対しては困難を生じさせる可能性も指摘した。これについても、より精緻に、どのような「日常の記録」が重要なのか、それが分からないとしてもその蓋然性が高いものはどのようなものなのかを検討していくことには価値がある。

5. おわりに

本稿では、社会運動のウェブアーカイブズ構築に向け、「公開」の側面に着目しつつ論じた。構築には様々な方法があるが、それは「公開」の方法に大きく制約される。極論を言えば、収集したとしても公開が全くできないのであれば、収集する必要もなくなる。公開ができるとしても、それがどのように公開できるのかによって、収集の方法や何を収集するかも異なることになる。本稿はそれを論じた。  ここに述べた多くのことは社会運動に限らないウェブアーカイブズ全般に言いうることであるが、これまで十分に議論されていなかったために、本稿ではそれをまず述べた。そのうえで、社会運動のウェブアーカイブズ構築に向けて考察を展開した。あくまで可能性を示唆するものであり、議論は十分でない。今後も検討する必要がある。