[[ 生きている間に聞き・緩めの雑誌を作り続け・本を編む
【論文(査読無し)】 生きている間に聞き・緩めの雑誌を作り続け・本を編む 立岩 真也
2023.04 『遡航』007号 pp.81-98
生きている間に聞き・緩めの雑誌を作り続け・本を編む

■3つ

大きくは3つを組み合わせることを考えている。1つは、Ⅰ:記録すること、その記録を可能な範囲において皆が読めるようにすること。今回はそのことについて書いてきた文章をそのまま列挙する。本誌はオンラインで提供され、リンクされているから、この文章の終わりにただ並べる文章の多くはその全文を読むことができる。それを読んでいただくために並べた。  1つは、そうした作業を行いながら、Ⅱ:その都度、必ずしも立派な査読論文でなくてよいから、文章にしていく、していってもらう、まとめていく、まとめてもらう。その媒体のある部分を本誌『遡航』は担う。もちろん普通に論文はたくさん書かれていたらよい。しかしそれではまにあわない。わざわざ新たに作ったのには理由がある。そう思うから作った。そうした文章には「公認」されにくいところがあるかもしれない。しかしそのことわかったうえで、それでも、この仕組みでやってみる。なお、この文章は、この雑誌に関わっている人たち、関わろうという人たちのためにあてられている。なぜわざわざ新たに始めるのか。それをきちんと考えるとどうなるか、それはまた別途の文章を書く。  そしてⅢ:本のシリーズ〈叢書 身体×社会〉(仮)を作っていく。叢書のアーカイブについてのシリーズ・1では、世界にはより網羅的な収集・公開の営み、あるいはそのことについての議論があることが紹介されるが、そうした営み・試みも意義のあるだろうことは承知しつつ、私たちは、私たちが行なってきた限定された範囲の作業もまた必要であるのは明らかだから、やれるだけのことやる。すでに始めており続けているが、その部分的なことであっても、さらに拡大していく必要はあるから、行なう。それに尽きる。そうして行なってきた/行なっていること、これまでのことはこれからおいおい書いていく。やはり詳しくは別途説明するがここでは一つ。一人ひとりががんばって博士論文を書き、そして本を作る。立派なことだ。しかし、そういう一つひとつの営みをただ足していってもだめだ。このこともまた、つくづくと思っている。「塊(かたまり)」を作っていかねばならない。そんなことを思いながら研究所で行なってきていること、科学研究費で進めていること、それでもまださらに拡張の必要があることはアーカイブについての本・2以降で書く。

■2020/11/05 「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」(科研費応募書類冒頭)

まず、科学研究費(基盤A、2021年度から2005年度)の書類冒頭を引用する――全文を読んでいただけるようにしているのでぜひ読んでいただきたい。これが基本的に考えていることだ。なお以下とほとんど寸分たがわぬ書類は前年の同時期、2019年の秋に提出しているが、その時には採択されなかった。「なんでだよ」、と本気で思いつつもう一度出して、2021年度4月、1日だったと思う、採択通知を得た。ようやくか、当然だ、と思った。不遜なことであるとはまったく思っていない。

 人は有限の身体・生命に区切られ、他者と隔てられる。そこに連帯や支配、排斥や支援も生じる。人々は、とくにその身体、病・障害と呼ばれるもの、性的差異、…に関わり、とくにこの国の約100年、何を与えられ、何から遠ざけられたか。何を求めたか。この時代を生きてきた人たちの生・身体に関わる記録を集め、整理し、接近可能にする。そこからこの時代・社会に何があったのか、この私たちの時代・社会は何であったのかを総覧・総括し、この先、何を避けて何をどう求めていったらよいかを探る。  既にあるものも散逸しつつある。そして生きている間にしか人には聞けない。であるのに、研究者が各々集め記録したその一部を論文や著書にするだけではまったく間に合わないし、もったいない。文章・文書、画像、写真、録音データ等、「もと」を集め、残し、公開する。その仕組みを作る。各種数値の変遷などの量的データについても同様である。それは解釈の妥当性を他の人たちが確かめるため、別の解釈の可能性を拓くためにも有効である。  だから本研究は、研究を可能にするための研究でもある。残されている時間を考慮するから基盤形成に重点を置く。そして継続性が決定的に重要である。仕組みを確立し一定のまとまりを作るのに10年はかかると考えるが、本研究はその前半の5年間行われる。私たちはそれを可能にする恒常的な場所・組織・人を有している。著作権等を尊重しつつ公開を進めていける仕組みを見出す。本研究では生命・生存から発し、各地にある企てと分業・連携し、この国での調査データ全般のアーカイブの拠点形成に繋げ、その試みを近隣諸地域に伝える。」([2020/11/05])

ちなみにこの種の書類を、ときに私はかなりまじめに書いている。こういうものが読まれるといったことはまあないのだが、「ここぞ」という時には、大切にしている。以下は「そもそも」の始まりということでもあった、グローバルCOE(卓越した研究拠点!?)「「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」申請書類。15年経て、考えていることは基本、まったく変わっていない。

■2007/02 「「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」申請書類

[拠点形成の目的]

 人々は身体の様々な異なりのもとで、また自分自身における変化のもとに生きている。それは人々の連帯や贈与の契機であるとともに、人々の敵対の理由ともされる。また、個人の困難であるとともに、現在・将来の社会の危機としても語られる。こうしてそれは、人と社会を形成し変化させている、大きな本質的な部分である。本研究拠点は、様々な身体の状態を有する人、状態の変化を経験して生きていく人たちの生の様式・技法を知り、それと社会との関わりを解析し、人々のこれからの生き方を構想し、あるべき社会・世界を実現する手立てを示す。  世界中の人が他者との異なりと自らの変容とともに生きているのに、世界のどこにでもあるこの現実を従来の学は十分に掬ってこなかった。もちろん、病人や障害者を対象とする医療や福祉の学はある。ただそれらは治療し援助する学問で、そこから見えるものだけを見る。あるいは、押し付けはもう止めるから自分で決めろと生命倫理学は言う。また、ある型の哲学や宗教は現世への未練を捨てることを薦める。しかしもっと多くのことが実際に起こっている。また理論的にも追究されるべきである。同じ人が身体を厭わしいと思うが大切にも思う。技術に期待しつつ技術を疎ましいとも思う。援助が与えられる前に生きられる過程があり、自ら得てきたものがある。また、援助する人・学・実践・制度と援助される人の生との間に生じた連帯や摩擦や対立がある。それらを学的に、本格的に把握する学が求められている。その上で未来の支援のあり方も構想されるべきである。  関連する研究は過去も現在も世界中にある。しかしそれらは散在し、研究の拠点はどこにもない。私たちが、これまで人文社会科学系の研究機関において不十分だった組織的な教育・研究の体制を確立し、研究成果を量産し多言語で発信することにより、これから5年の後、その位置に就く。

[拠点形成計画の概要]

 なにより日常の継続的な研究活動に重点を置き、研究成果、とりわけ学生・研究員・PDによる研究成果を生産することを目指す。効率的に成果を産み出し集積し、成果を速やかに他言語にする。そのための研究基盤を確立し、強力な指導・支援体制を敷き、以下の研究を遂行する。  □Ⅰ 身体を巡り障老病異を巡り、とくに近代・現代に起こったこと、言われ考えられてきたことを集積し、全容を明らかにし、公開し、考察する。◇蓄積した資料を増補・整理、ウェブ等で公開する。重要なものは英語化。◇各国の政策、国際組織を調査、政策・活動・主張の現況を把握できる情報拠点を確立・運営する。資料も重要なものは英語化。こうして集めるべきものを集めきる。それは学生の基礎研究力をつける教育課程でもある。◇その土台の上に、諸学の成果を整理しつつ、主要な理論的争点について考究する。例:身体のどこまでを変えてよいのか。なおすこと、補うこと、そのままにすることの関係はどうなっているのか。この苦しみの状態から逃れたいことと、その私を肯定したいこととの関係はどうか。本人の意思として示されるものにどう対するのか、等。  □Ⅱ 差異と変容を経験している人・その人と共にいる人が研究に参加し、科学を利用し、学問を作る、その場と回路を作る。当事者参加は誰も反対しない標語になったが、実現されていない。また専門家たちも何を求められているかを知ろうとしている。両者を含み繋ぐ機構を作る。◇障害等を有する人の教育研究環境、とくに情報へのアクセシビリティの改善。まず本拠点の教育・研究環境を再検討・再構築し、汎用可能なものとして他に提示する。また、著作権等、社会全体の情報の所有・公開・流通のあり方を検討し、対案を示す。その必要を現に有する学生を中心に研究する。◇自然科学研究・技術開発への貢献。利用者は何が欲しいのか、欲しくないかを伝え、聞き、やりとりし、作られたものを使い、その評価をフィードバックする経路・機構を作る。◇人を相手に調査・実験・研究する社会科学・自然科学のあり方を、研究の対象となる人たちを交えて検討する。さらにより広く研究・開発の優先順位、コストと利益の配分について研究し、将来像を提起する。  □Ⅲ このままの世界では生き難い人たちがどうやって生きていくかを考え、示す。政治哲学や経済学の知見をも参照しつつ、またこれらの領域での研究を行い成果を発表しつつ、より具体的な案を提出する。◇民間の活動の強化に繋がる研究。現に活動に従事する学生を含め、様々な人・組織と協議し、企画を立案し実施する。組織の運営・経営に資するための研究も並行して行い、成果を社会に還元する。◇実地調査を含む歴史と現状の分析を経、基本的・理論的な考察をもとに、資源の分配、社会サービスの仕組み、供給体制・機構を立案し提示する。◇直接的な援助に関わる組織とともに政策の転換・推進を目指す組織に着目。国際医療保険の構想等、国境を越えた機構の可能性を研究、財源論を含め国際的な社会サービス供給システムの提案を行なう。

■2020/04/25 「話してもらう――何がおもしろうて読むか書くか 第12回」 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』127

次に、2020年春、その最初の書類が非採択になったことがわかったあたりに書いた文章より。

◆話を集める

 私自身(の頭?)とPCがあれば、あとはなにもなくても書けるし、書きたいことがある。ネットもどうして要るわけではなく、むしろない方が気が散らないかもしれない。電波がこない南極でも、暖房さえあれば書けると思う。私はそういう人だ。だが他方、いろんな人の話を聞くことが大切だとも思っていて、ここ二・三年、ほぼ三十年ぶりにインタビューを再開し、それを文字にしてもらって、ホームぺージに公開している。  ずっと前、一九八〇年代後半、大学院生などしながら、後で『生の技法』という本になる調査をしていたころは、お金もなかったから、自分で録音記録を文字にしていた。その頃はカセットテープに録音していたから「テープ起こし」と呼ばれていた。今は皆ボイスレコーダーで録音しているのだが、それでもけっこうテープ起こしと多くの人は言う。その仕事、今は時間がまったくとれず、お金を払ってお願いしている。私が依頼しているところは1分200円〔→250円〕でやってくれる。安いと思う。それに、私が聞き手なら私が手をいれ、話し手に確認・修正してもらい、HPで見られる形に(今のところ私が)して掲載していく。そこそこ手間はかかるが、しかし私は手を抜いているので、私の場合なら話を伺うのも含め半日仕事といったところだろうか。  ご覧ください。おもしろいです。「生存学」で出てくるサイトの表紙からも行けるし、「身体社会アーカイブ」で検索しても最初に出てくる。そこに「インタビュー等の記録」というコーナーがある。昨日もすこし増やして、2月末現在・106。1つひとつの全部が読める。総文字量でいったら普通に厚い本20冊分ぐらいになるのではないか。そんなことはできない。また「ちゃんとした本」にしようとしたら手間がかかる。それはあきらめよう、「乱造上等」、というのが、ここのところ私が思うことだ。よほどお金があったり人がいたりすれば別だろうが、すくなくとも今は無理だ。ないよりよいものは、よい、ことにすると方々で言いまわっている。いったんできたものは残るが、話はその人が生きている間にしか聞けない。このかんも、話うかがえばよかった、だが亡くなってしまった、と思うことが幾度もあった。だから急ぐ。  もちろん私が一人でできることはたいへんに限られている。いま掲載されているのは私が聞いたものが多いのだが、それは私が言いだしたのでまずは私が、というだけだ。みなさんよろしく。聞き手も研究者などに限られる必要なく、聞きたい人が聞けばよい。そして話したい人が話す。例えばこないだ慢性疲労症候群でその人たちのために行動しようとしている人に会ったのだが、その人に、話を聞きたい仲間がいたら、聞いて録音記録ください、そしたら今ならこちらの研究費で文字にしますから、と申し上げた。今のところまだ、だが、そのうち送っていただけるのではないかと思っている。

■2021/10/25 「集められるうちに集められるものを集めよう――何がおもしろうて読むか書くか 第15回」 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』130

次に、その書類について書いた文章(間違って、以下は実際に雑誌に掲載された文章より長いものになっている)を全文引用する。

◆「科研費」

 今回は書く前のこと、集めることについて、今やっていることをお知らせする。  この国で(に限らないが)研究費を得ようとすると、税金で運営されている国の外郭団体みたいなところ(日本学術振興会)に計画書を書いて応募して、当たればお金がでるという仕組みを使うことになる。「科学研究費」、略して「科研費」という。今年はコロナのせいか少し変更だそうだが、秋に、当たれば翌年度から開始という書類を出して、翌年春、その年度初めに結果が届く。大学といってもお金のあるところないところあるし、いくらかは合理的な仕組みだ。ただ、いま私がやっている仕事については、私の勤め先の大学のようにある程度お金をもっているのだったら(実際、ある)大学としてお金をかけてよ、と私は思っている。そのことはまたそのうち書くかも。  さてその科研費、2020年度に当たると思っていて(→連載12)外した「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」が、もう一度書類を出して、ようやく2021年度から始まった。  科研費にも何種類かあり、各々で申請できる総額の上限が決まっており、期間は3年から5年なので、3年ものにしたほうが1年あたりの金額は多いという計算になるが、書類を書くいやさを思って、に加え、一定のかたちを作るのにそのぐらいはかかると思い、5年ものにした。これで書類をしばらく書かずにすむ。応募し採択されたのは「基盤A」という、なかでは額の多い種類のものだが、実際にはたいしたことはない。例えば、常勤のスタッフを1人雇えるかといったら雇えない。そのぐらいのものだ。ちなみに、2017~19年度の3年間は、基盤Bの「病者障害者運動史研究」だった。Bの上限は1回2000万円で、3年で割ると年約600万円。今回のも1年あたりにするとそう変わらない。

◆声の記録

 その書類、そして「実績」のすべてはこちらのホームページに掲載してあるからご覧ください。今検索してみたら「生を辿り」でも「身体社会カーカイブ」でも先頭に出てくる。「生存学研究所」のHP(の一つ)の表紙から「蔵」というところをクリックしても行けます。  だから中身の詳しい説明は略。とにかく、集められるうちに集められるものを集めよう。それにつきる。  集めるものはいろいろ。本や雑誌や機関紙といったものももちろんその対象だ。このごろ、いただきものがますます多くなってきている。その場しのぎ的ではあるが、スペースをなんとか確保し増やしながら、整理しながら、やっている。  そして今真面目にとりくもうと思っているのは話を聞いて、それをそのまま、もちろん承諾を得て直すところは直してもらってからだが、こちらのHPに掲載していくこと。  紙に書かれたものは、捨てなければ残るが、話は生きているうちにしか聞けない。うかがおうと思っているうちに亡くなってしまったとか、そんなことがある。亡くなるなんて考えたこともなく、うかがってそう時間の経たない時に訃報に接するということもある。私が直接に話をうかがった人でも、2020年に亡くなった中山善人さん(元青い芝の会会長)へのインタビューが2018年とか、やはり2020年に亡くなった斉藤龍一郎さん(元アフリカ日本協議会事務局長)へのインタビューが2019年、とか。  そして、今年になってからでも、1月に平本歩さん(バクバクの会)、2月に矢吹文敏さん(日本自立生活センター)、5月に鈴木絹江さん(福祉のまちづくりの会)、6月に栗城シゲ子さん(地域活動支援センターくえびこ)、7月に佐藤きみよさん(自立生活センターさっぽろ)。鈴木さんと栗城さんについては『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の五〇年』(生活書院)を2019年に出せて、出せないよりはよかったけれども。

◆みなでやる

 私は、一人で書いていればよいというところがある。手許になにもなくても書けることはいくらもあると思っている。メールの返信しなくてすむ日があるとうれしい。しかし、集めて収めて、知ってもらうことの大切さも強く感じている。  不遜なことを言えば、どちらも大切だと思う。しかし、今進めないとまにあわない、という意味では、後者が先、だろうか。だから自分で書きたいことを書いてしまってから、とはいかない。(とか言っていると、やはり有限な時間の間しかできない1人での仕事も延び延びになっていくのではあるが。)  そして、この集める仕事は、1人の仕事としては不可能だ。というか、1人では、2人3人でも、毎年いろいろと起こるその量だとか、人が失せていくその速度に到底ついていけない。すると、大学院だとか研究所とか、関係のありそうな人たちがそこそこの数いる組織というものの意義があり、面倒でも、そこの運営に関わったり、(実年齢的には多くそう若くはない)「若手研究者」への助言やら指導やらに関わることになる。それはいくらか、というかだいぶストレスのかかることではあるが、仕方がない。

◆もとを載せる

 なかで私が大切だと思うのは、記録そのものを残しておくということだ。研究者という人たちは、自分の論文であるとか著書だとかに、自分が行なった調査の一部を使うということをしてきた。記録はそこの引用などに現れる。  しかしまず一つ、そんなかったるいことをやらないと残らないというのではまったくまにあわない。大学院生だと、書いて審査(査読)に通るのはまあ1年に1本だ。その査読→掲載にもだいたい1年ぐらいはかかる。  そして、長く論文の指導やらで論文の原稿と調査の記録の双方を見ることになるので実感するところなのだが、そうして苦労して書かれた論文より、「もとの話」のほうがおもしろいと思うことがよくある。へたな「筋」や「おち」をつけようとがんばるより、「もと」を見せてよ読ませてよと思うことがある。いや、上手であってもだ。一人の話、一人の人生については、つねに複数の解釈がありうるし、あってよい。複数ありうるためには、どちらがもっともかと考えるためには、「もと」が読めるのがよい。  もとのデータを公開するというのは、量的な調査についても、結果の出し方の妥当性を検証する上でも、大切なことのようになっているようだが、これは統計的な調査に限らないことだ。しかも、こちらのほうが大切だと思うのだが、その記録は、研究のためだけに読まれるものと決める必要もないのだ。だから、もちろん本人が了解了承すればだが、誰にでも読めるものにしようと思う。  録音し、それを業者に頼んで文字にする、話し手に見てもらいなおしてもらって、掲載する。やってみるとわかるが、これはこれでなかなか大変だ。自分が話したことは何でも素晴らしいと思えるほど自己肯定感の強い人はそういない。話したなかにはなおしたいと思うところもあるが、どうなおすか、思いつかない、めんどうだということもある。そう思って、手をつけるのもおっくうなことがある。そこでしばらくほっとく。するとそのうちほんとうに忘れてしまう。そんな具合にそのままなくなってしまう。  公開までの過程を途中で止めず、なんとか最後まで持っていく。私にはそういうまめさに欠けている。だから、確認したり催促したりする人に付いてもらって、作業を進める。まだ試行段階だが、そういう態勢をとりつつある。  その記録が8月10日現在180〔2023年5月、声を文字化した記録409+動画or音声173=578〕。話し手の名前を記す人も記さない人もいる。どちらでもよいと思う。研究者が聞き手になることもあるが、それもいろいろありうる。いま進めてもらっている企画には、慢性疲労症候群の人が慢性疲労症候群の人に聞くというものもある。受け取りますということなら、話し手と聞き手と双方に謝礼を支払うようにしている。  まずいくつか読んでみてください。名前五十音順、その後匿名のものを並べている。この辺の工夫も必要と思っている。  いま記した6人についてのインタビュー記録を列挙すると以下のようになる。みな、まったく意外な時に、亡くなってしまう。急げるならものなら急いだ方がよい。そう思っている。斉藤龍一郎には私が2019年にインタビューしたが、その前々年2017年、末岡尚文さんもインタビューしてくれている。筋ジストロフィーで長く金沢市の医王病院に入所していた古込和宏さんに聞いたのは、私の勤め先(立命館大学大学院先端総合学術研究科)の院生でもある坂野久美、2017年12月のことだった。その翌月、2018年の1月、私も話をうかがった。それは坂野の研究の一環ということでもあり、また、古込の退院を一つのおおきなきっかけとして始まった企画「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」(仮)の比較的初期のできごとでもあった。その動きは広がっていった。西別府病院にいた芦刈昌信に私が話をうかがったのは2020年12月。そして、別府にあるアジア太平洋大学の学生だった(2023年度から先端総合学術研究科院生)田場太基が聞いたのが2022年6月。その芦刈が2023年1月に亡くなってしまった。

中山 善人  2018/09/26 :1953~2020 ◇斉藤 龍一郎  2017/10/132019/11/02 :1955~2020/12/19 ◇古込 和宏  2017/12/30・2018/01/30 :1972/04/26~2019/04/23 ◇芦刈 昌信  2020/12/192022/06/22 :1976/04/19~2023/01/23 ◇海老原 宏美  2019/12/22 :1977/04/05~2021/12/24 ◇(Marc Bookman)マーク・ブックマン  2021/12/23 :1990~2022/12

 文献表には試しに以下のように記してみている。

◆古込 和宏 i2017 インタビュー 2017/12/30 聞き手:坂野久美 於:金沢 ◆―――― i2018 インタビュー 2018/01/30 聞き手:立岩真也 於:金沢 ◆芦刈 昌信 i2020a インタビュー・1 2020/12/19 聞き手:立岩真也 大分・西別府病院間 Skype for Business使用 ◆―――― i2020b インタビュー・2 2020/12/19 聞き手:立岩真也 大分・西別府病院間 Skype for Business使用 ◆―――― i2022 インタビュー 2022/06/22 聞き手:田場太基 ◆中山 善人 i2018 インタビュー 2019/08/25 聞き手:立岩真也 於:福岡県久留米市・久留米市役所内 ◆斉藤 龍一郎 2017/10/00 「質問「金井闘争にどのようにして関わることになったのか」への応答」 ◆―――― i2017 インタビュー 2017/10/13 聞き手:末岡尚文他 於:東京 ◆―――― i2019 インタビュー 2019/11/02 聞き手:立岩真也 於:御徒町・焼肉明月苑/アフリカ日本協議会事務所

■2022/10/25 「遡るし逗まる――何がおもしろうて読むか書くか 第16回」 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』132

ジャパンマシニスト社という不思議な名前の出版社から刊行されてきた『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』にずっと連載させていただいてきた。とてもよい雑誌だったのだが、その定期刊行が終了し、私の連載も終わりになった。ついで、ということもある。どうせだし、最終回も再掲させていただく。なお、安積さんとの本は2023年に持ち越しになった。

◆今年の本3冊

 A:自分で書かなきゃと思うことを書く、B:様々な人が書いたもの話すことを集めてとっておく、そして読んだり聞いたりできるようにする。Aだけだったら勤め仕事をする必要はないが、Bの関係で、C:大学院生他といっしょに仕事ができること、集めたものをその人たちまた学外の人たちにも使ってもらえる場所は大学にあることもあって、組織に属し、給料をもらい、「教育」という仕事他をする。むだに消耗することもあってときどき、いやになるが、仕方がない。  この連載の題はAの方向だが、このところ、Bの関係のことを書かせてもらってきた。今回、まずAについて。  10年以上前になるが『良い死』『唯の生』という本を筑摩書房から出してもらった。その4分の3ぐらいを使って、今度ちくま学芸文庫から『良い死/唯の生』を出してもらうことになった。安楽死だの尊厳死だのといった主題についての本だが、もうすこし広いところで死生について考えてもらう本でもある、と思う。  そして『唯の生』の第1章をおおはばに加筆して『人命の特別を言わず/言う』と題した本を、やはり筑摩書房から出してもらう。動物を大切にしよう、は、それだけだったら誰にも異論はないことだが、そして本誌の読者にはそういう優しい人が多いのではと思うのだが、同じぐらいの「程度」の動物と人間のいずれを救うかといった問題を立てる人がいて、そうすると、ある種の動物ほど立派でない「限界事例(マージナル・ケース)」の人間は後回しにしてよい、すべきだという話にもなる。そういう話の組み立てでいいの、といったあたりのことを考えて書いている。近頃「動物の権利」といったことについて書かれた本が(ふしぎに)たくさん出版されているのだが、そういうものとは異なる、しかし、じつはみんなこんなふうに考えている・思っている・生きているだろう、そういうことを書いた本です。どうぞよろしく。  そしてもう一冊、これは私が考えついたのではなく、思いついたら実行してしまう安積遊歩さんとの対談本が生活書院から。安積は32年前に名著!『生の技法』をいっしょに作った人。私と違って「ビーガン」な人でもあって、その辺りに関係することも話して(というか、話したように書いて)いる。

◆『遡航』

そしてB+Cに関わって、オンラインの雑誌を作り始めた。『遡航』という。「そこう」と呼ぶ。川を遡るといった意味だ。3月に第1号を、6月に第2号を出した。うまくいったら8月第3号、10月第4号、2月に1号ペースでと。  忙しいのになんでわざわざと、自分でも思う。しかし、今の、とくに「学術雑誌」のペースでは、記録し、書いておくべきことの多さにぜんぜん付いていけない。とにかくみんなにがんばって調べてもらい書いてもらおうと思って、作った。まだマイナーなので、知名度ないので、まずは「立岩 遡航」で検索してください。そうするとでてきます。  10人ぐらい読んでくれる人がいたら、ありがたいというもの。本誌のような、紙で作って値段のある、マニアな人でなくても読む(読んでもらう)雑誌のほうがずっと大切で、そしてたいへんであることはわかっている。それでも、私らのようなものもあってよかろう。お金はかからない、手間もかからない。楽なものだ、と言っておく。  1000本載るまでやる、ととりあえずほらを吹いておくことにします。ただ本人はわりとまじめにそう思っている。

◆本やらもらいものやら

 もう一つ、そうやって書いてもらったものをもっとよくしてもらったりして、みなに書いてもらって、私は編者のほうにまわって、本を出していこうと思っている。これも大きくでますが、5年の間に15冊とか考えている。  まず例えば、薬、ワクチン、感染症…といったあたりとか。このかん、コロナのことは皆リアルに知っているわけだが、その前にもいろいろあった。ただ、私は、NHKの番組でやっていたような、前の世紀前半やその前の、ペストだのスペイン風邪の大流行、というよりはもっと近くのことが、忘れられているか、そもそも知られていないと思う。  本誌に関わる人だと、毛利子来さんだとか山田真さんとか、例えば学校での予防接種を問題にしてきた人たちはおり、動きはあってきた。それと今回のコロナ関係はどう関係あるのかないのか、とか。  そういうことと関係するところでは、このたび、2021年の10月に亡くなられた母里啓子さんが遺された本・資料を、栗原敦さん、古賀真子さんがまとめてこちらに送ってくださった。  世の中に起こったことの全部を集めておこうなんていう望みは私にはない。ただ、もうすこし、集めよう、整理しよう、そして公開しよう。それはやっていこうと思っている。調べたものをもとに、考える、ものを言う、そのためにも、もとにもなるものを集めたり、整理したりする。それが大学というものがあってよいなら、その大きな使命の一つだと思う。前向きのこと、というか前のめりのことというか、そんなことばかりでなく、というか、前向きためにも、大学がんばってくださいよ、と私(たち)は思う。  また学会というものもそういうことにもっと関わってよいと思う。たまたま数十年ぶりに日本社会学会の活動に関わることになり、そこでも、紙や声、アナログやディジタルの「アーカイブ」についてもっとやってこうということで、〔2022年〕11月に学会の大会でのセッションをやり、それと連動させて、院生他に調べてもらい、まとめてもらい、それらを『遡航』にも載せていこう。  そんなわけで、することありすぎなのですが、やっていきます。

■2013/09/30 「たんに、もっとすればよいのに、と」 『社会と調査』11:148(有斐閣)

こうして、ずっと、同じことを幾度も書いてきたし、話してきた。しつこいが、しつこいほうがよいと思うようになっているので、もっと以前の、2010年代の2つの短文を再録する。今回はそれで終わり。

 「現地に出かけて直接人の話を伺うという類の調査をしたのは、博士課程に入った1985年からの数年だけのことだ。それは『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』という共著書になって、1990年に初版、95年に第2版、そして2012年に第3版を文庫版で出してもらった。ずいぶん長い期間・時間、話をうかがった。実はそこで得られた話は、そのままの「引用」のかたちではほとんど私が担当した章には使われていない。「聞き取り」で論文を構成するといったスタイルがなかったわけではない。そのころからそれはわりあいよくあるかたちになりつつあった。たんに私の担当した章はそのように書く必要がなかったということだ。けれどそうして聞いた話は、その本のすべての「もと」になったし、そしてその後、私が「机上の空論」を延々と続けていく時の「もと」にもなった。まず「調査」とはそういうものではないかと思う。あたりまえだけれど、言いたいことの一つがそのこと。  そして、もう一つ思うのは、信じられないほど調査されてよいことが調査されていないということ。社会学者だけでもこんなにたくさんいるのになんで、と思うことがある。私たちのさきの本になった調査については理由があった。(当時の、と言っておくが)社会福祉(学)の「主流」にとって快くないものだったからだ。そして今でも、様々な事情・力学のもとに調べられるべきが調べられないことが多々ある。そこをどういう手練手管を使って調べるか。ときには「調査倫理」的にぎりきりの(しかし妥当な)線を狙う必要もある。そこが工夫のしどころなのに不要に無駄に慎重になってしまっていることがあると思う。そしてそんな「きな臭い」ことと関係なく、本当にまったく単純な意味で調査されていない領域が広大に残されている。私は、COEという仕組みがしばらくあったために「〈生存学〉創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」というものに関わってきたのだが(今は大学内の研究センターになっている〔その後研究所に〕)、その仕事をやっていて、あきれるほど何も調べられていないところがあまりにたくさんあることを思った。他方では、「ねたさがし」に苦労しているという大学院生がいたり、同じようなことを多くの人がやっていて妙に混み合っていたりするらしい。世の中に何があるか、調べるとおもしろそうか、事実・ヒントを示す側にも問題があるのかもしれない。何十でも今すぐにできる、したらよいことがあげられるはずなのにと思う(→生活書院刊の『生存学』3・4号での天田城介氏との対談)。  そしてもう一つ、そうやって気がつかれず、なされないうちに――このごろそのことばかり言って書いているのだが――もう幾つのものことが、あるいはその記憶が、なくなっているか、なくなりかけている。私たちのその本も初版から22年だから、当然のことではあるが、幾人もの人が亡くなっている。その多くは長い文章など書き遺さなかった人たちだ。例えば、若くして突然亡くなった人(1948年に生まれ1999年に没した高橋修という人がいた)について、文字として残されているのは、私たちが行なった3回の聞き取りを文字にしたもの、他に限られる。その3回の聞き取りができただけで、私はあの時期、論文も書かず――一番書かねばならなかった博士課程3年から4年、1本も書かなかった――調査をしていてよかったと思う。これからしばらくを逃すと何も残らない。そんなことがたくさんある。

■2018/02/07 「「とにかく調べて書け」みたいなことしか言わない:「事実への信仰」より・07――「身体の現代」計画補足・472」 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2009045442695766

 立岩 先ほど〔荻上〕チキさんが言っていたのは、大西巨人という作家が渡部昇一に噛みついたという話ですね。大西赤人という大西巨人のお子さんが血友病だったのです。だから血友病絡みの話なんです。北村健太郎というここの大学院の第一期生――大学院は二〇〇三年に始まりました――が実際血友病で、血友病の人たちの運動史のことを書いています。「薬害エイズ」というものがあって、血液製剤でエイズになってしまった人たちの社会運動があったということも、ここにいるうちのどれくらいの人が知っているでしょうか。北村さんが研究したのはさらにその手前にあったことですけど。その一つが大西vs渡部の事件だったのです。そういったことがまずはあったという水準で調べて書くことが要るよねという話です。(北村健太郎『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』,生活書院)  その上で、そういう事件・出来事を穿り出して書いたらそれで話が終わるかというと、それでは終わらないのです。そこで何かしらのロジックがあったり、ロジックではどうにもならない壁があったりする。どういうふうにそれに対していくかというのは、悩ましい。こういうことがあったからそれがわかる・書けるというものではない。だけれども、悲しいかな、われわれの社会というものはそれ以前のところでこういったことがあったということすら知らない。そうすると、先ほどチキさんが言ったように、同じ周を回っていることになってしまう。多少でもそういうことを知っていれば、「こういう話が昔あったよね。こういう論点とこういう論点だったよね」と言えます。そして「その当時はそういう話だったのだけれど、次をどう考えようか」というときにちょっと上がれるわけです。螺旋状に話を持っていけるわけなのですが、そういうことを知らないと、一〇年前・二〇年前の同じ話をグルグルやって疲れるということになってしまう。  私はよく大学院生に「とにかく調べて書け」みたいなことしか言わない人だと言われているし、実際そうだし、別にそれは悪いことだと思っていません。そう言っているのは、その手前のところを残すとか、そういうことすらなされていないということです。それでも、沖縄については岸さんみたいな学者が何人もいたりするし、また水俣や広島といったごく限られたものについては、それでも調べたり書いたりするということがかろうじてなされてきたわけですが、それ以外のものに関しては本当に何もないというようなことがずっと続いている。それが今の学問というものの体たらくで、現状であるということを知ってもらいたいし、それを何とかしようという人がいるといいなと思います。」