1. はじめに
本稿は、アイルランドにおける質的データのアーカイブの取り組みの紹介を目的とする。アイルランドを選択した理由は、同国が国家的な資金とインフラを使って大規模なアーカイブに取り組む先進的な地域の1つであると考えるためである。アイルランドのアーカイブの歴史や現在の取り組みにおいて重視されている論点を知ることにより、今後日本などの地域でどのようにアーカイブを進めていけるか考える材料としたい。また、筆者が実際に「アイルランド質的データアーカイブ(Irish Qualitative Data Archive: IQDA)」のデータ請求の仕組みを使ってみた時の手続きを説明することにより、同国の制度をより想像しやすく提示したい。
アイルランドの社会科学のデータのアーカイブを担っているのは、主に大学である。そこで、質的データのアーカイブの取り組みについて紹介する前に、アイルランドの大学と、質的データよりも先にアーカイブの取り組みが始まった量的データのアーカイブについて、概要を説明する。大学の概要については、宇田川晴義により、次のように簡潔に説明されている。
今日のアイルランド高等教育の特色は、大学部門と非大学部門の二部門制(Binary System)にある。大学部門を構成する大学7校は、伝統的な人格形成・教養主義の歴史を持つ5大学と、社会に役立つ人材育成を目的とする所謂、実学を理念とする2大学に分けられる。
伝統大学の系譜は、アイルランド国立大学“National University of Ireland: NUI”の3大学(後述)と“Trinity College Dublin(TCD)”そして“St. Patrick's College Maynooth(SPCM)”から分離した“NUI Maynooth”である。(中略)
実学を理念とする2大学は、“University of Limerick(UL)”と“Dublin City University(DCU)”である。この2大学は、1972年に開設された“National lnstitute of Higher Education(MHE)”を前身とし、1989年にNUIの“University”に昇格した大学である。(宇田川[2011:48])
アイルランド国立大学は、1908年の「大学法」によって、非宗派的な大学として設立された。それまでの歴史は、「アイルランド・カトリック教徒が、カトリック教徒の国立大学設立を要求する激しい運動(カトリック・ナショナリズム)と、その運動への政府の対応の歴史だった」という(宇田川[2011:50])。その後、1997年の「新大学法」により、アイルランド国立大学の4校は、アイルランド国立大学の構成校ではなく、独立法人となった。この時、構成大学は、文部科学省から高等教育局(Higher Education Authority)に管轄を移管された(宇田川[2011:63])。
アイルランド国立大学を構成している4校は、ユニバーシティカレッジダブリン、ユニバーシティカレッジコーク、アイルランド国立大学ゴールウェイ校、メイヌース大学である。このうち、社会科学の量的データのアーカイブを担う「アイルランド社会科学アーカイブ(Irish Social Science Data Archive)」の基盤となっているのが、ユニバーシティカレッジダブリンである。アイルランド社会科学アーカイブは、ユニバーシティカレッジダブリンとユニバーシティカレッジダブリンの経済社会研究所によって、2000年に設立された。設立、発展のための資金は、高等教育局の「第3段階の教育機関における研究のためのプログラム」の第3サイクル(2000~2006年)である。設立の目的は、国内及び国際的な研究者及び学生のための社会科学のデータのアクセスの改善であった。
アイルランド社会科学アーカイブは、5年に1度の国勢調査をおこなう中央統計局と協力関係にあり、学術調査をおこなう場合のデータの最初の参照点としての機能を中央統計局からは期待されてきた。また、「欧州社会科学データアーカイブ委員会(CESSDA)」と「社会科学の情報とテクノロジーの国際連盟(IASSIST)」のメンバーとして、欧州内および国際的な機関におけるアイルランドの窓口の役割を果たしている(McBride[2003])。
2. IQDAの歴史と概要
2.1. IQDA発足の背景
IQDAは、高等教育局の「第3段階の教育機関における研究のためのプログラム」の第4サイクル(2007~2009年)の下での3年間の資金を得て、2008年に設立された。IQDAの目的は、インタビュー、写真、その他の数値データ以外の資料を含むアイルランドの社会科学の質的データの中心拠点になることである。IQDAが設立された背景には、さまざまな機関で集められた社会科学のデータが、プロジェクトの終わりとともに破棄されてしまい、使われないデータやデータの再利用が限られていることに対する懸念がある(Gray and O’Carroll[2010:18])。
2008年、アイルランドのいくつかの研究費を提供する機関が研究をオープンアクセスにするとの方針を採った。最初に採用したのは、「科学、技術、テクノロジーのためのアイルランド研究委員会(IRCSET)」★01である。その後、同年内に、高等教育局と「アイルランド科学基金」も同様の方針を採用した。2008年のリーマンショックは、アイルランドの経済にも強く影響し、それによって資金に関する公的説明責任の重大性が増した。このため、2012年には全国運営委員会が発足して、オープンアクセスのための全国的な取り組みをさらに進めていくことになった。全国運営委員会の構成員には、全ての主要な機関が関係者として含まれており、アイルランド研究委員会も、高等教育局もその一員である(PASTEUR4OA Project[2014:2])。
2008年の高等教育局の方針により、高等教育局の資金を得て研究している研究者は、早急に研究成果をオープンアクセスのリポジトリに登録しなくてはならなくなった。さらに、高等教育局は、調査結果そのものについても、科学研究の再現性を高めるために可能な限り公開することを求めた。しかし、こちらは方針の実現に困難があった(Gray and O’Carroll[2010:18])。
高等教育局とFórfas★02は、2006年、アイルランドの研究インフラについての調査の実施を決定した。調査の目的は、特に高等教育における研究インフラを国際的な視点から評価すること、また、短期的及び中期的に対処できる国内の研究インフラのギャップを発見することであった(Higher Education Authority and Fórfas[2007:3])。調査の結果、質的データや研究論文の全国的な保管場所やリポジトリがないことが、重大なギャップとして認められた(Higher Education Authority and Fórfas[2007:23])。
当時、ユニバーシティカレッジダブリンのアイルランド社会科学アーカイブだけが、アーカイブ活動に精力的に取り組んでいた。ここでは、現在と同様に、中規模、大規模な量的調査のデータを収集していた。質的調査については、個別の小さな取り組みがあるにとどまり、それらの多くは一般的なアーカイブを志向するよりも各プロジェクトに基づくものであった。このような状況を受けて、IQDAは発足した(Gray and O’Carroll[2010:18])。
IQDAでは、基本的にデジタルデータをアーカイブしており、その他のフォーマットでデータをアーカイブする方法、資源は持っていない。このため、研究者にデータをデジタル化するための助言をしている(Gray and O’Carroll[2010:19])。
2.2. アイルランドの社会学
Conway(2006)は、アイルランドの社会学の歴史を、①黎明期(1930年代まで)②制度化(1930~1958年)③成長期(1959~1979年)④危機(1980~1990年)⑤拡大と大衆の参加(1990~2005年)に分けて論じている(Conway[2006:5])。本稿では、この区分に沿って、質的データに注目しつつ、社会学の形成と変化を概観していく。
黎明期について、1847年、ダブリン統計学会が、「社会の科学」を制度化、正当化するための試みとして発足した。学会は、統計学の方法を用いて社会問題を解決する役割を果たしていた(Conway[2006:11])。制度化について、アイルランドの社会学は、大学の外で始まり、その後大学にも根を張って発展していった。社会学の大学での学問としての形成に大きな影響を与えたのが、現在のメイヌース大学の前身である、カトリックの司祭になるための聖パトリックカレッジである。ローマカトリック教会も、社会学発展の中心となった(Conway[2006:12])。成長期には、国家の介入が大きくなっていく。1959年、フォード財団の支援を受けて、アイルランドで最初の社会学研究の機関として、経済研究機構(ERI)が発足した。その後、いくつかの大学に社会学を教える社会科学の学部が開設され、1973年にはアイルランド社会学会(SAI)が設立された(Conway[2006:17⁻19])。続く危機は、国家の財政的な危機による。失業率が急上昇し、10人に1人が海外に移住した。当時、社会学だけでなく、社会科学全体が財政的に困難な状況に陥った。そこで、社会学者の専門職としての地位の確立が目指され、大衆の社会学に対する注目を集めようとした(Conway[2006:23⁻21])。
この時期、重要な介入をしたのが、ロイヤルアイリッシュアカデミーである。ロイヤルアイリッシュアカデミーは、1785年に発足した国内第1の学術団体である。その初期には、特に考古学に力を入れていた。当初から、科学と人文学それぞれ11名の委員で運営され、3年毎に科学と人文学交代で11名のうちの1名が会長を務めてきた。アカデミーの社会科学研究委員会が、1999年の「人文学と社会科学のためのアイルランド研究委員会」★03の発足を導いた(Harbison[2003])。
ロイヤルアイリッシュアカデミーは、1988年、社会科学に関する声明を発表した。このときの会議の議事録によると、主たる議題は社会科学の予算が乏しいことにあった。社会学に関しては、2人の委員からそれぞれ別の指摘があった。1つは、方法論が発展していないことである。具体的には、質的研究の成果が不足していることと、大学によって方法論が異なることであった。もう1つは、社会学が発展するための分野やチーム間のつながりがないことであった(Conway[2006:23⁻24])。
拡大期には、社会学は、宗教の強い影響を脱し、経済学や政治学など他の社会科学と同様の学術分野であることを主張しようとし、社会学教育の場の拡大や研究費の増大など、徐々に成功していった。この時期、アイルランド社会学会は、自身の歴史を残していく必要性を見出し、かつての学会誌や写真、学会抄録等のアーカイブを開始した(Conway[2006:24⁻27])。アイルランドの社会学の方法論は、量的な方法に強く依存しており、エスノグラフィーや参与観察、文献分析のような記述的な質的アプローチはあまり使われてこなかった(Conway[2006:28])。
2.3. アイルランドにおける質的研究
IQDAでは、アイルランドにおける質的研究の拡大のマッピングを始めている。さらに、質的研究の一覧作りもおこなっており、一覧には、2011年3月までに480件のプロジェクトが収録されている。質的研究の方法としては、エスノグラフィー、地域研究(community studies)★04、掘り下げた(in-depth)インタビュー、グループインタビューなどがある。特に最近では、ライフヒストリーやオーラルヒストリー、写真や青年が書いたテキストなどさまざまなデータを用いた研究がおこなわれるようになってきた。さらに、近年おこなわれるようになってきたのが、混合研究法による縦断的研究である。政府あるいは欧州連合の資金による、主な量的な縦断的研究はアイルランド社会科学アーカイブに収録されている。IQDAでは、質的な縦断的研究のアーカイブの取り組みを進めている(Gray and O’Carroll[2010:19])。
IQDAのデータ収集方針などを活用している縦断的研究としてハリス(Elaine Harris)らによる、子どもに関する研究プロジェクトがある。「アイルランドで成長すること(Growing Up in Ireland)」と題されたこの研究は、2006年に開始された。この研究の目的は、子どもを対象とした2つの代表サンプルについて、現在の社会的経済的文化的環境の中でどのように育ったのかを記述することである。それによって、子どもにとって最善の政策やサービス提供に役立てることを目指す。このプロジェクトの第1期は、7年に渡り、8,500人の9歳の子どもと、11,100人の9か月の子どもを対象として、2回の量的調査を実施した。また、量的調査の対象となった子どものいる120の家族に質的調査を実施した(Harris at al.[2011:5])。
「アイルランドで成長すること」プロジェクトでは、量的データはアイルランド社会科学アーカイブ、質的データはIQDAに預けた。質的データには、インタビューの音声ファイル、書き起こし、フィールドノート、写真やワークシートなどの視覚資料が含まれている。インタビューのデータは、IQDAの匿名化指針に従って匿名化した。具体的には、名前、場所、会社、仕事、年齢、時期、特定可能な出来事、病気、障害、スポーツ団体等での肩書など、個人を特定しうるデータはすべて削除した。特定の地名を、IQDAの助言に従って、地域ごとの区分に置き換えた。法的な行動やスキャンダル等につながる可能性のある情報は削除した。さらに、少数のデータは、以上の処理をしても、個人の特定の可能性があったため、アーカイブしなかった。視覚資料も、同様に匿名化した。たとえば、パスポートの写真や従兄弟の名前などを不鮮明にした。その上で、「自分の家族についてのワークシート」「絵」といった種類ごとに分類してアーカイブした。インタビューに関するフィールドノートは、インタビューの書き起こしと同様の匿名化の方針に従って匿名化した(Harris at al.[2011:22⁻23])。
これらの作業の上で、質的データはIQDAにアーカイブされている。「アイルランドで成長すること」プロジェクトは、21世紀の初期における子どもと家族の生活についての詳細な情報を提供する遺産になるだろうとプロジェクトの報告書は結ばれている。これらのデータは、社会科学や社会的な歴史の研究者にとって貴重な資料となることが期待されている(Harris at al.[2011:25])。
この他にも、若者の孤独と社会的孤立についての質的な研究がある。この研究の目的は、孤独と社会的孤立の若者自身の視点からの描写と、今後の研究に向けた理論的な方向付けである。調査の方法は、半構造的インタビュー、オンラインでのグループインタビュー、自由回答形式のオンライン質問調査から、対象者が選択する形式である。この研究のインタビューでは、書き起こしを作成したのち、音声データを削除している。その上で、対象者の同意を得て書き起こしを、今後の研究のためにIQDAに預けている(Creaven at al.[2021])。
このように、調査で得たデータをIQDAに預けている研究は、いくつか見出すことができた。IQDAに所蔵されているデータ等を用いて、二次的に分析する研究については、次節で言及していく。
2.4. アーカイブデータを利用した研究のための取り組み
IQDAでは、2009年から2010年にかけて、アイルランドと北アイルランドの社会科学の関係者30名に対して、質的データのアーカイブに関するインタビュー調査をおこなった。この調査は、「子ども発育機構(CDI)」とアイルランド研究委員会の任命を受けて実施された。この調査の背景には、ヒートン(Janet Heaton)による質的データのアーカイブに関する文献レビューの知見がある(Geraghty[2014:188,191-192])。
ヒートンは、英国の質的データのアーカイブ★05に関する調査に基づいて、研究業界にはデータのアーカイブと二次利用について、3点の懸念があるという。第1には、第一次の目的のために収集されたデータが、第二次の目的のための分析に利用するデータとして的確であるのかという点、第2には、適切な同意のとり方や秘密の守り方といった倫理的、法的な問題、第3には、質的データのアーカイブや再利用に関する政策やガイドラインの不足である(Heaton[2008:40⁻41])。
この研究を踏まえておこなわれたIQDAのインタビュー調査の対象者は、子ども発育機構の評価チームのメンバーが10名、子ども発育機構の諮問委員会と中心的な職員が7名、さまざまな研究領域の年長の研究者が6名、政策や実践の分野の人が7名である。対象者のほとんどは、量的、質的両方の研究に従事したことがあり、アーカイブの重要性を認めていた。しかしながら、データの二次利用に関しては、認識論的な懸念と倫理的法的な懸念が表明された。これらの懸念は、ヒートン[2008]による知見と重なるものであった(Geraghty[2014:192-197])。IQDAでは、このような懸念を踏まえて、質的データのアーカイブのベストプラクティスについての、付録を含めて17ページのハンドブックを子ども発育機構と共に作成した(Gray et al.[2011])。
2012年、IQDAの研究者は、アイルランド研究委員会から、アーカイブした質的データの再利用のあり得る仕方の提示と、情報交換のための連続企画の開催のための資金を得た(Maynooth University[2022a])。この資金による研究プロジェクトを基に作成されたのが『家族の変化』(Gray et al.[2016])という教科書である。社会学及びジェンダーや女性研究を中心とした関連する社会研究を専攻する学部学生と大学院生以上を対象とした包括的な教科書である。『家族の変化』は、「アイルランドで育つこと」と次節で閲覧する「ライフヒストリーと社会の変化」という2つの大きな国家的な研究プロジェクトのデータを利用して書かれた。これらの質的データを使って、アイルランドの家族の日常的な経験や実践を描き出している(Maynooth University[2022c])。
IQDAは、2015年のアイルランドデジタルリポジトリ(Digital Repository of Ireland: DRI)の発足にも貢献した。DRIは、アイルランドの機関が所蔵している芸術作品、人文学、社会科学のデジタルデータの国の中心的なアクセスポイントである。人文学と社会科学分野の教育と研究のための、国家によるインフラとして機能している(Maynooth University[2022a])。この仕組みのことをDRIは、メンバーシップモデルと呼んでいる。メンバーシップモデルは、デジタルデータを所蔵するさまざまな団体にメンバーになってもらい、その管理をDRIが担うという方法である。メンバーには、正会員と賛助会員があり、規模の大きさによってどちらになるのかがおおよそ決まる。正会員と賛助会員では、会費が異なる他、DRIの運営やトレーニングに参加する権限や人数が異なる(DRI[2022a])。
DRIは、ロイヤルアイリッシュアカデミーを中心として、メイヌース大学、トリニティカレッジダブリン、ダブリン技術学院、アイルランド国立大学ゴールウェイ校、芸術デザイン国立カレッジの6つの学術機関が共同で設立した。さらに、アイルランド国立図書館、アイルランド国立アーカイブ、アイルランド放送協会などの学術、文化、社会、企業のパートナーからの支援も受けている。最初は、高等教育局の「第3段階の教育機関における研究のためのプログラム」の第5サイクル(2011~2015年)の下で、520万ユーロの支援を受けて始まったが、その後、国内や欧州連合のさまざまな機関から支援を受けるようになった(Maynooth University[2022a])。
3. IQDAの利用
IQDAは、メイヌース大学のホームページ内から利用できる。IQDAの主なデータは、DRIを通して公開している。加えて、DRIにあるIQDAのデータは、メイヌース大学のウェブサイト内からも閲覧できる。データの中には、誰でも閲覧できるものもあるものの、IQDAのデータの大半の閲覧は、研究者、教員、第3段階の学術組織に登録している学生に限られている。これらのデータは、まずDRIに登録した上で、公開を依頼することができる。さらに、IQDAのデータの中には、DRIを介してではなく、IQDAが直接に公開しているものもある。これらのデータを閲覧するには、データ閲覧申請書に記入した上で、メイヌース大学内のIQDAに申請書を郵送する必要がある。申請書には、代表者だけでなく閲覧するすべての人の名前と連絡先の記入、利用規約に対する同意のサインが求められている。学生が閲覧を希望する場合には、指導者が代表者として申請書を記入する必要がある。加えて、利用したいデータとその利用目的、閲覧者が従事している研究の研究課題名とその概要の記入欄もある(Maynooth University[2022b])。
本稿では、IQDAデータの大部分を占めるDRIを通して、研究者、教員、学生のみが閲覧できるデータを、筆者が実際に閲覧してみたときの手続きなどを述べていく。IQDAの「収集データ」のタブを開くと13のデータコレクションと追加のコレクション、写真コレクションから、閲覧したいものを選択できるようになっている。コレクションとは、研究プロジェクト等を指し、それぞれのコレクションの中にインタビューの書き起こしなど1つ1つのデータが所蔵されている(Maynooth University[2022b])。DRIのウェブサイトからリポジトリを見る場合、データ毎に探すか団体毎に検索するか選択でき、団体毎の検索でIQDAを選択すると26件のコレクションが所蔵されていることがわかる。DRIには、2022年8月25日現在、71の団体が登録されているが、多くの団体のコレクションは1~2件であり、10件以上のコレクションを登録しているのは、メイヌース大学の24件、DRIの16件、性と生殖に関する健康アーカイブの12件、ロイヤルアイリッシュアカデミーの12件の、全部で5団体のみである。このうち、IQDAの26件とメイヌース大学の24件は重複しており、性と生殖に関する健康アーカイブの12件には、IQDA所蔵のコレクションとロイヤルアイリッシュアカデミー所蔵のコレクションが混在しており、それぞれと重複している。このため、アーカイブのコレクションを所蔵している団体が、71団体あるというわけではない(DRI[2022b])。
IQDAの24件のコレクションを見ると、それぞれのコレクションのデータの件数は、4件から588件まで幅広い★06。24件のコレクションのデータを合計すると、2551件のデータがある。コレクションどうしには重複はなく、2551件はすべて異なるデータである(DRI[2022c])。
本稿では、IQDAが所蔵している「ライフヒストリーと社会の変化コレクション」を閲覧していく。メイヌース大学のウェブサイトで、コレクションのタイトルをクリックすると、まず研究プロジェクトの概要の説明がある。データをIQDAに預けた研究者の名前と所属、研究プロジェクトの目的が掲載されており、このプロジェクトによる研究成果の論文の一覧が確認できる。他のコレクションでは、研究成果を掲載していないものもある。この研究プロジェクトでは、113名にライフヒストリーインタビューをおこない、そのうち100名分がIQDAに所蔵されている。所蔵データには、インタビューの書き起こしだけでなく、トピック毎に区切られた音声も含まれている。そのメイヌース大学内のIQDAのウェブサイト上に、DRIのデータを公開しているページへのリンクがある(Maynooth University[2022d])。
DRIのウェブサイトの「ライフヒストリーと社会の変化コレクション」を見ると、音声135件、テキスト221件の合計236件のデータが所蔵されていることがわかる。音声データは、同じインタビュイーのインタビューから複数が作成されており、書き起こしのテキストデータのいずれかと結びついている。これは、音声とテキストの両方があるので、混合のデータとされている。インタビューの書き起こし等は、テキストデータとして別途整理されており、これが101件ある。つまり、音声とテキストの混合の135件とテキストのみの101件を合計して、合計236件になるという計算である(DRI[2022d])。
この中には、誰にでも公開されているものと研究者等にのみ公開されているものが混在している。例えば、「LHArchiveA06:エブリンへのインタビュー」は、研究者のみに公開されているインタビューの書き起こしのファイルである。このファイルについてのページを開くと、データ作成者や作成年、ファイルの種類などの情報は見ることができるが、ファイル自体には「アクセス権なし」と表示される。そこで、メールアドレスとパスワードをDRIに登録すると、「アクセス請求」ができるようになる。アクセス請求は、コレクション毎におこなう。請求においては、名前と使用目的の入力が必須で、所属機関と肩書の記入欄も表示される。使用目的は、学術研究、その他の研究、教育と学習、商用、その他の5つの選択肢から1つを選択する。学術研究を選択した場合、研究課題名、あれば研究費、請求者以外の閲覧者、学生であれば指導者の名前の記入が求められる。それらを記入するとアクセス請求できる。
筆者は、2022年8月12日金曜日にアクセス請求をおこなったところ、15日月曜日にデータ閲覧申請書のPDFファイルが添付されたメールを受け取った。データ閲覧申請書は、IQDAが直接公開しているデータの閲覧を申請する際に、提出を求めている書式と同じものである。筆者は、17日水曜日にメールでデータ閲覧申請書を提出したところ、19日金曜日に請求が受理されたとのメールを受信できた。受理された後に、DRIのウェブサイトでログインすると、閲覧申請したコレクションについてはDRIを通して見られるすべてのデータが見られるようになる。他方、IQDAが所蔵するものを含めた他のコレクションのデータのアクセスは、制限されたままである。
「ライフヒストリーと社会の変化コレクション」の236件のデータの中には、同意書やデータ使用のガイドが含まれており、これらは誰でも見られるデータである。同意書では、実名か匿名か、匿名の場合、個人が特定できる可能性のある情報を削除するかしないかの他、アーカイブについて、その条件の下で、書き起こしと音声それぞれを、研究者が閲覧できるアーカイブとして保存することに同意するか否かを記載するようになっている。
誰でも見られるデータの中には、インタビューの音声データのうちのいくつかが含まれている。音声データは、1~5分程度を切り取ったものであり、切り取られた場面が、どのインタビューのどのような場面のものであるのかが記載されている。例えば、「音声クリップ:LHArchiveA0203:アイルランド内戦時の南東アイルランドにおける反条約派の隠れ場所」には、1分42秒の音声が公開されている。これは、誰でもアクセスできるものである。説明欄には、「アイルランド内戦時に、インタビュイーが若い男の子として近所の反[英愛]条約軍の隠れ場所を訪れた時のことを思い出している場面」であることが書かれている([]内引用者)。「ライフヒストリーと社会の変化コレクションのコホートAの『サミューズ』」のインタビューの一部であり、全ての名前は匿名化されていることも説明されている。内容の場所と時代については、南東部の20世紀初めということだけが記されている。音声の内容は、インタビュアーとインタビュイーの2人の会話であり、「自由国軍がその家を焼き払っちゃったんだよ」「あなたは若いとき畑の辺りにいたの?」「そうだよ、そこから何でも見えた。逮捕された兵士とか」「じゃあ、すごく激しい場所だったの?」「そう、ものすごく激しかった。防空壕の作り方だって見たんだ」といったようなやりとりである。
アクセス請求の必要なデータについて、「LHArchiveA06:エブリンへのインタビュー」を見ていく。DRIウェブサイトからダウンロードできるのは、64ページのPDFファイルである。まず1ページ目には、このファイルが厳格に内密なものであるという注意が書かれている。ファイルに出てくる個人を特定しようとしてはならず、研究の過程で、特定できてしまった、あるいはその可能性がある場合には、速やかにIQDAに報告し、そのデータは研究には使ってはいけないことになっている。加えて、匿名化の処理に関する表記の凡例が書かれている。続いて、2ページ目にはインタビュイーのプロフィールやアーカイブに適する用データを編集した研究者の名前が記されている。インタビュイーのプロフィールは、DRIのウェブサイトではエブリンが1916年から1934年に生まれたコホートAに属することしかわからないが、「LHArchiveA06」では1923年に生まれたことがわかる。DRIのウェブサイトでは、エブリンの家族や生活について概要が説明されているのに対し、「LHArchiveA06」のインタビューの覚書欄には、インタビュアーの印象が記されている。具体的には、インタビュアーにとってエブリンの第一印象は、家族や会社からの支援を十分に得られていない孤独な女性であった。しかし、インタビューを始めてみるとエブリンは、家族のあらゆる物語を知っていて、それをくすくす笑いながら話してくれた。このインタビューは、1950年代から60年代のまだ家畜の取引がおこなわれていた頃のダブリンン中心地の様子をよく表すものであると書かれている。
3ページ目から最後のページまでは、インタビューの書き起こしである。インタビュアーは「INT」、インタビュイーは「RESP」と記されている。匿名化した部分は、開始時点が「@@」、終了時点が「##」で明示されている。例えば、エブリンのインタビュー内には、「それから彼らは、私を@@東側中央部の町1##にあるナーシングホームに私を送ったんだよ」、本について「叔父の@@ビル##は3巻と4巻を持っていた。叔父の@@リチェ##が何巻を持っていたかはわからないな」といった表記がある。また、[]で括って、笑った箇所や厳格な声で話した箇所、写真アルバムに手を伸ばすなどの動作が書き込まれている。タイムコードは付されておらず、データの作成(creation)★07が2007年であることはわかるものの、何日にどこで何分間インタビューしたのかはわからない。これらの表記の仕方は、「ライフヒストリーと社会の変化コレクション」を見る限りでは、どの書き起こしファイルでも統一されている。
アクセス請求の必要なデータの中には、インタビュイーのリストもある。リストでは、インタビューの書き起こしの2ページ目に記載されているインタビュイーのプロフィールを一覧の形で見ることができる。さらに、インタビュイーの匿名の名前の欄に「*」が付されている場合、それはそのインタビューが論文等に登場することを意味する。エブリンについて確認すると、彼女のインタビューは使われていないことがわかる。これは、二次的な研究をしやすくするためであると考えられる。
4. おわりに
アイルランドの社会科学領域では、もともと量的研究が盛んであったが、1990年代以降、質的研究も進められるようになり、質的データのアーカイブもその時期以降に進んできたことがわかった。現在のIQDAは、データ提供者の個人情報を保護しつつ、有効なアーカイブを継続していくための方法が制度化され、資金やインフラについても国家的な支援を得て持続可能性の高い取り組みとなっていると考えられる。欧州の中でもアイルランドは、質的データのアーカイブを全国的に促進してきたグループの一員として評価されている(Neale and Bishop[2011:7])。
しかしながら、筆者が、質的データを用いた研究に取り組む研究者の1人として、自身の研究を振り返ったとき、IQDAのアーカイブの仕方では自身の研究データを預けられない、あるいは預けられる状態にしたらデータの価値が大幅に損なわれてしまうように思う。筆者は、これまで精神障害者のグローバルな草の根運動の歴史を文書史料と口述史料を用いて記述し、社会運動の組織の構造や動員の仕方などを分析してきた。これは、ある地域や時代の一般的な精神障害者の生活や思想などを明らかにすることを目的とした研究とは異なり、社会に対して異議申し立てをした特定の個人や組織の活動や思想を明らかにすることを目的としている。このような研究のインタビューデータの匿名化は極めて難しいと考えられる。特定の組織において何らかの役職等についていた個人に対して、その組織や役職について話を聞くため、個人が特定できる可能性のあるデータを削除するとほとんど何も残らなくなってしまう。
筆者の研究のインタビュイーの中には、IQDAの所蔵の大半を占める研究者のみがアクセスできるデータにアクセスできる立場にいる人もいれば、そうでない人もいる。同じ社会運動組織で活動している人のうち、一部がその組織について語られたことに対するアクセスを持ち、一部の人がアクセスを拒否されるとしたら、組織内の分断を生んでしまうのではないかと懸念される。ひいては、社会運動の力を弱めてしまう効果をもつ可能性さえあるように思われる。
他方で、個人が特定された場合に、何らかの危険がインタビュイーやその周囲の人に及ぶ可能性は当然あり、IQDAが懸念している倫理的問題には該当する。さらに、精神障害のような差別、偏見の強い研究領域の場合、倫理的配慮の必要性はいっそう高まると考えられる。
このような種類の研究におけるデータのアーカイブの可能性についての考察は、今後の課題としたい。そのために、より広い地域のアーカイブの取り組みや、障害や社会運動など特定のテーマを設けた取り組みを調査していく必要がある。
■註
★01 科学、技術、テクノロジーのためのアイルランド研究委員会は、2012年3月に「人文学と社会科学のためのアイルランド研究委員会」と合併して「アイルランド研究委員会」となった(PASTEUR4OA Project[2014:2])。
★02 Forfásは、1994年に設立された、企業、貿易、科学、テクノロジー、技術革新に関する政策の諮問機関である。2014年に、Forfásの機能は、2014年に労働企業技術革新省(DETE)に編入された。
★03 人文学と社会科学のためのアイルランド研究委員会は、後に「アイルランド研究委員会」となる(★01参照)。
★04 おそらく民族誌や参与観察による研究だと考えられる。
★05 英国の質的データのアーカイブについては、青山[2019]を参照。
★06 この件数は、DRIのウェブサイトを通して閲覧できるIQDA所蔵のデータの件数である。つまり、この他に、IQDAに直接申請して閲覧できるデータがある。
★07 おそらくインタビュー実施日を指す。
■文献
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