1. 問題の所在
近年、生活保護の基準が度重なって引き下げられるとともに、生活保護法が「就労自立」を強化する方向で改正されてきた(岩田 2021: 21)。たとえば、2013年の生活保護法改正は、申請手続きの厳格化、親族間の扶養の強化、稼働年齢層への就労指導の強化、不正受給対策の厳格化など多くの問題点を孕み、最後のセーフティーネットとしての機能を弱体化するものであった。また同改正とセットで成立した生活困窮者自立支援法は、生活保護の利用抑制という性格をもつ反面、生活困窮者の掘り起こしや支援という機能を併せもっていた(吉永 2015: 3,64-112)。これらの政策動向は、所得保障機能を縮小するとともに就労促進機能を強化するものとして捉えることができる。本稿は、生活保護制度における所得保障機能の縮小を問題視し、所得保障機能の縮小と連動する就労促進機能の強化を批判的に考察するために、ワークフェア概念を再構成することを目的とする。ワークフェアとは、発祥国のアメリカにおいて、公的扶助受給者に受給条件として労働を義務付ける政策を意味した。だがワークフェアは、イギリスを中心にヨーロッパに普及するなかで、公的扶助以外にも広く社会保障と労働を連携させる政策を指すものとして使用されるようになった(Peck 2001; Handler 2004など)。
後述するように、国内の先行研究では、ワークフェアによって捉えられていた政策が、アクティベーションとして捉え返されるようになるなど、議論は混乱してきた。本稿は、議論の整理を試みた三浦・濵田(2012)を参照しつつ、ワークフェアを概念化するために以下の図式を用いる。すなわち、再編期の福祉国家で就労と福祉を連携させる政策の総称として「雇用志向の社会政策」という用語を使用し、下位分類として、教育訓練を重視する「人的資源開発モデル」と労働義務の履行を強調する「労働市場拘束モデル」の二類型を設ける。この図式を用いて、三浦・濵田が議論のパターン化を行ったのに対して、本稿は先行研究を批判的に考察することで、ワークフェアを概念化するための課題を明らかにする。
以下、第2節で、国内でワークフェアの概念化を行った先行研究を概観し、研究方法を設定する。第3節で、埋橋孝文の議論を中心に、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを用いる概念化について検討する。第4節で、宮本太郎の議論を中心に、ワークフェアとアクティベーションを対比させる概念化について検討する。第5節で、まとめと今後の課題を述べる。
あらかじめ結論を示すと、第一に、ワークフェアは、公的扶助制度に限定して就労と福祉の連携を強化する政策を指すものとして定義したほうがよい。ワークフェアを公的扶助以外に拡張し就労と福祉の連携を(相対的に)弱める政策も含めるような概念化は、矛盾した側面をもち議論に混乱を招くからである。またワークフェアの生活保護抑制と労働強制という相補的な機能に注目することによって、生活保護基準の引き下げや、「所得保障なき就労支援」という問題を批判的に捉えることができる。第二に、多様な現金給付制度において、就労と福祉の連携を強化する政策だけではなく(相対的に)弱める政策も指す場合は、アクティベーションを使用することが妥当である。ワークフェアとアクティベーションは、積極的労働市場政策への支出水準で明瞭な差異がある。しかし、両者は前述の二類型を有している点で共通していることが重要である★01。
2. 先行研究と方法
国内でワークフェアの概念化を行った先行研究として、以下の三点を挙げることができる。第一に、池上(2001: 49-50)は、地方財政論の観点から、公的扶助を対象とするワークフェア概念を拡張し、「地方政府が供給責任を負う普遍主義的な対人社会サービスと住民の労働提供に代替する納税義務との関係」を「新しいワークフェア」として提起した。同概念は、ワークフェアの背後にある権利義務論に着目し、中央集権的な福祉国家から分権的な「福祉政府」に向けて転換するための論理を導くために提起されたといえる。第二に、宮本(2004a)は、ワークフェアを「福祉の受給資格として就労を強く打ち出し、福祉の目的のひとつとして就労支援を重視する考え方」(217)と広く捉えたうえで、スウェーデンを念頭に制度領域を区分し、人的資源開発(あるいはサービスインテンシブ)モデルと労働市場拘束(あるいはワークファースト)モデル★02をもとに多角的な指標を組み合わせ、包括的な分析枠組みを提示した。同分析枠組みは、スウェーデンとアメリカの違いを捉え得る精緻なものであり、福祉国家再編の対立軸を明瞭にすることが意図されていた。
第三に、埋橋(2007b)は、再編期の福祉国家での福祉と就労の関係の再編をワークフェアと捉え(15)、ソフトとハードのタイプに分類しつつも、雇用情勢の悪化のなかで本来的な困難を抱えているとして、ディーセントワークに向けた「事前的労働規制」や、就労をより見返りのあるものにするMaking Work Pay政策のような「事後的補償政策」を組み込むよう拡張したといえる。同定義は、埋橋編(2007)において、多様な国際的動向のみならず、日本の各福祉領域で進展する自立支援政策を捉えるための概念化であったと考えられる。
以上の概念化について、第一に、ワークフェアという用語によって指す内容が論者によって大きく異なることを指摘できる。たしかに、それぞれの概念化は各論者の目的に応じたものであるから、公的扶助以外に拡張されたワークフェアによって指す内容が異なるのは当然ともいえる。しかし、その結果、ワークフェアが何を指すのか曖昧になり、公的扶助で進展する労働を義務付ける政策を捉えることが困難にならなかっただろうか。
第二に、公的扶助を対象とするワークフェアの労働市場拘束モデルを批判的に捉えつつも、公的扶助以外に拡張したワークフェア概念のなかにポジティブな要素を見出そうとする点で共通していることを指摘できる。しかし、そのような概念化は、ワークフェアがもたらす問題をワークフェアによって解決しようと試みるものでもあり、矛盾した側面をもつといえる。
これに対して、拡張したワークフェア概念を使用するのではなく、他の概念を使用する議論が現れた。主要な例として、宮本(2004b)は、拡張したワークフェア概念を使用することを止めて、スウェーデンなど北欧のシステムについてはアクティベーションを使用した。その結果、公的扶助で労働を義務付ける政策を相対的に捉えやすくなったものの、ワークフェアとアクティベーションは重複する部分もあり、両者の違いを巡って議論は混乱するようになったといえる。
三浦・濵田(2012)は、ワークフェアとアクティベーションの概念を巡って混乱があることを指摘し(3)、雇用志向の社会政策を人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルの二類型に分類するという図式を用いて、議論の整理を行った(10-7)★03。同整理によれば、一方で、埋橋(2007b)は、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを使用したが★04、下位概念に労働市場拘束モデル(ハードなワークフェア)と人的資源開発モデル(ソフトなワークフェア)の両方を含んだ。他方で、宮本(2004c, 2009bなど)は、労働市場拘束モデルとしてワークフェアを使用するとともに人的資源開発モデルとしてアクティベーションを使用し、両者を一部重複するが対立するものとして位置付けた★05。
三浦・濵田の用いた図式は、議論のパターンを整理するうえで有効であったと考えられる。実際、同整理によって特に宮本の議論の特徴は明瞭になった。宮本とは対照的に、欧米の議論では、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを用いる場合もあればアクティベーションを用いる場合もあるが、どちらの場合も下位分類として労働市場拘束モデルと人的資源開発モデルの二類型を設けることが一般的であることが指摘されたからである。
以後の研究では、三浦・濵田(2012)を参照して、宮本の議論のようなパターンもあるが、ワークフェアとアクティベーションはほぼ同義語であり、雇用志向の社会政策の総称にどちらの用語を使用するかは論者の好みの違いとみなすような傾向が生じたといえる(福田 2014; 福原・中村・柳原 2015: 14-6; 二宮 2019など)。さらに日本でも雇用志向の社会政策の総称にアクティベーションを用いる議論が現れたが、同議論でワークフェアは労働市場拘束モデルのみを指すものとして使用される傾向がある(中村・福原 2012: vi,中村 2019)。
しかし、宮本の議論や雇用志向の社会政策の総称にアクティベーションを用いる議論でみられるように、ワークフェアを労働市場拘束モデルとしてのみ捉えることは、はたして適切であろうか。またワークフェアとアクティベーションを同義に扱う議論は、前述したような拡張されたワークフェア概念が孕む問題点を看過することに繋がらないだろうか。本稿は、ワークフェアの概念化と関わって、ワークフェアとアクティベーションには重要な差異があると考える。換言すれば、依然として、ワークフェアとは何か、ワークフェアとアクティベーションの違いは何か、という問いは残されていると考える。
この問いに答えるために、本稿は再編期の福祉国家で就労と福祉を連携させる政策の総称として「雇用志向の社会政策」という用語を使用し、下位分類として、教育訓練を重視する「人的資源開発モデル」と労働義務の履行を強調する「労働市場拘束モデル」の二類型を設ける★06。同図式は、議論のパターンを整理するだけではなく、アクティベーションとの差異に留意しながらワークフェアを概念化するうえでも有効であると考えるからである。第一に、再編期の福祉国家で就労と福祉を連携させる政策の総称として、ワークフェアとアクティベーションを同義に扱う議論や両者のどちらが適切かといった議論(による混乱)を回避しつつ、拡張されたワークフェア概念が孕む問題点を批判的に検討できる。第二に、公的扶助を対象としてワークフェアを使用する場合も、二類型に着目することによって、ワークフェアを労働市場拘束モデルに純化させる議論(やアクティベーションを人的資源開発モデルに純化せる議論)を批判的に検討できる。
本稿は同図式を用いて先行研究を批判的に考察することで、ワークフェアを概念化するための課題を明らかにする★07。第一に、埋橋孝文の議論をもとに、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを使用する議論の問題点を明らかにする。埋橋の議論をもとに考察を行うのは、埋橋の概念化が最広義のワークフェアといえるほど広いため、上述の問題点が明瞭になると考えるからである。
第二に、宮本太郎の議論をもとに、ワークフェアとアクティベーションを対比させる概念化の課題について二類型を用いて明らかにする。宮本の議論をもとに考察を行うのは、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを使用していたのを止めて概念化を行ったからである。同総称にワークフェアを使用しない場合、アクティベーションのような他の概念と対比するなかで、ワークフェア概念の輪郭が明瞭になる部分があると考えられる。宮本の議論の変化を考察することで、同総称にワークフェアを使用する議論の問題点とともに、同総称にワークフェアを使用しない議論の課題を検討できると考える。
以下では、まず埋橋の概念を考察し、日本の自立支援政策を論じた議論をもとに同概念の有効性を検討する。次に宮本によるワークフェアからアクティベーションへの転換を考察し、埋橋と宮本の議論を対比させながら、ワークフェアとアクティベーションの関係について検討する。
3. 埋橋孝文の議論
3-1, 最広義のワークフェア
埋橋(2007b)は、1980年代以降、欧米の福祉国家で進行する福祉と就労の関係を再編する政策をワークフェア(あるいはwelfare-to-work)として捉え分析を行った。まず発祥地であるアメリカの福祉改革を概観したうえで、アメリカのワークフェア政策が国際的な影響力を発揮するにつれて、アメリカの福祉改革の両義性が注目されたことを指摘した。その結果、ワークフェアの国際的な影響力は肯定的評価と否定的評価の両方を意味したとして、以下のように分析した。ワークフェアにはそうした強制力と罰則規定がかならずしもついてまわるものではないとの認識も生まれて……一般化するにつれて、ワークフェアという言葉は、各国の違いをもその概念の中に包摂することができる、より広義で一般的な”umbrella term”となってきた(埋橋 2007b: 18)同分析に基づき埋橋はワークフェアを「何らかの方法を通して各種社会保障・福祉給付(失業給付や公的扶助、あるいは障害給付、老齢給付、ひとり親手当てなど)を受ける人びとの労働・社会参加を促進しようとする一連の政策」と定義した(18)。また一定時間以上の労働を要件とするハードと、求職活動や訓練への参加を要件とするソフトなどのタイプ分けを紹介し、タイプ分けが各国の動向や位置を評価する導きの糸になったとしつつも、さらにワークフェア概念を拡張した。すなわち、ワークフェアは、雇用情勢が悪化するなかで福祉から労働へ問題を「投げ返す」点で「本来的な困難」を抱えるが、それで問題が解決するわけではないので、「ワークフェアの焦点」は、事前的労働規制や事後的補償政策に「シフトしていることを示す」と論じた。前述したように、事前的労働規制はディーセントワークを目指すものであり、事後的補償政策は就労をより見返りのあるものにするMaking Work Pay政策などを指す。
埋橋の概念化について、第一に、筆者もワークフェアがアメリカ以外の国の福祉改革も指し、必ずしも強制力や罰則規定が強いわけではないという認識が生じたことに同意する。しかし、その認識が一般化しワークフェアが”umbrella term”化したと判断するには慎重になる必要があると考える。同判断の根拠は不明瞭なので検証困難だが、埋橋が参照したPeck(2001: 1)が”umbrella term”を指摘しており、同書の影響力が窺える。上述の認識が一般化しておらず、またワークフェアが”umbrella term”化していないとすれば、ワークフェアを広義に定義する根拠が薄れることになる。
換言すると筆者は、ワークフェア概念に、労働市場拘束モデル(ハード)だけではなく人的資源開発モデル(ソフト)の二類型を含む点は同意するが、対象を公的扶助以外に拡張して使用する場合は、概念化によって得られる得失を十分に検討する必要があると考える。また拡張したワークフェア概念を使用する場合でも、労働を促進することだけではなく、社会参加を促進することまで含むことが適切かどうかも重要な論点になると考える。
第二に、(埋橋の議論で必ずしも明示されているわけではないが)雇用情勢の悪化がもたらす低所得・失業・貧困問題について、筆者も問題意識を共有する。しかし、ワークフェアは「本来的な困難」を抱えているのであろうか。もしワークフェア政策が掲げる目標が、ディーセントワークのような労働を通した自立ならば、たしかに同困難を抱えていることになるであろう。しかし、埋橋の定義では労働(や社会参加)を「促進」するだけであり、「ワークフェアは就労することを第一義的目的とし、その労働の中身はあるいは労働を取り巻く環境を問う」(33)ことはないとも指摘される。
ワークフェア論を体系化したPeck(2001: 6)によれば、ワークフェアとは、労働市場が「柔軟性」を増していくなかで、公的扶助の要求を抑制するとともに、受給者に低賃金で不安定な職に就くことを強制するように機能するものであった。それ故、ワークフェアは、福祉から労働へ問題を「投げ返す」ことによって、本来的な困難を抱えているのではなく、上手く機能しているとみなすほうが適切であろう。
第三に、埋橋が事前的労働規制や事後的補償政策の重要性を指摘したことは、ディーセントワークのような議論やMaking Work Pay政策を欠く日本において、大きな意義を持ったといえる。しかし、ワークフェアの「本来的な困難」の有無と関連して、同困難と事前的労働規制や事後的補償政策をつなぐ論理を明らかにする必要があるのではないだろうか★08。埋橋は「福祉から労働へというワークフェアの動きが結果的に労働の性格……を問題とせざるを得なくなる」(37)と述べており、あたかも本来的な困難(によって生じる問題)が、その解決策(の進展)を必然化するかのような論理である。そのような論理によって、ワークフェアは事前的労働規制や事後的補償政策を含むよう拡張され、理想的なワークフェア概念が提起されているようである。逆に理想的なワークフェアからみれば、前述したような「本来的な困難」を抱えていることにもなるであろう。
筆者も事前的労働規制や事後的補償政策が重要であることに同意する。だが両者を含めるほどに拡張されたワークフェア概念はかなり広く最広義のワークフェアといえるが、はたして妥当であろうか。
3-2. 自立支援政策の議論
埋橋の定義は、埋橋編(2007)で論じられた日本の各福祉領域の自立支援政策を捉えるための概念化でもあったと考えられる。そのため、ここでは同著のなかでワークフェア概念を使用して母子家族、生活保護受給者、就職困難者への自立支援を論じた議論について、労働市場拘束モデルと人的資源開発モデルを用いて検討する。第一に、湯澤(2007)は、日本の母子家族は、居住費や子育て費用捻出のために、不安定雇用でも働き続けざるをえなかったのであり、生活保護基準以下の所得であっても準公的扶助的な性格を強める児童扶養手当のわずかな下支えにより生活を維持してきたことを強調した。すなわち、日本の母子家族は、ワークフェアの「はじめから就労ありき work first」モデル(166)によって自助努力を要請され、その結果、高い就労率を維持してきたのであった。にもかかわらず政府が2002年の母子福祉改革で導入した「welfare to work」政策は、児童扶養手当に制裁規定を伴う要件として求職活動を導入するとともに受給期間に期限を設定する就労促進策であり、さらに就労を求めることが批判された。
対照的に、2005年度から開始された母子自立支援プログラム策定事業によって、児童扶養手当受給者が生活保護受給者等就労支援事業を活用できるようになったことが注目された。後述するように同事業は、経済的自立支援だけではなく日常生活自立支援や社会生活自立支援を含むため、学歴階層をはじめ母子家族の実態把握に繋がるとともに、教育支援など実態にもとづいた支援提供の契機となることが期待された。
湯澤の述べる「はじめから就労ありき work first」モデルは、ワークフェアの労働市場拘束モデルを指すと考えられる。実際、湯澤(2004)は、宮本(2004a)を参照しつつ、2002年の児童扶養手当制度の改革をワークファースト(労働市場拘束)モデルとして捉え批判していた。ただし西欧諸国では、母子世帯の就労率が低くワークフェアによって就労率の増大が目標とされたのに対して、日本では「ワークフェア」によって母子世帯は高い就労率を維持してきたのであり、両者は位相が異なった。西欧諸国とは異なる日本型ワークフェアの特徴を「はじめから就労ありき」という用語で表現したと考えられる。
第二に、布川(2007)は、まず2004年に設置された社会保障審議会福祉部会「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」による提起を検討した。同提起が強調した自立支援は、先進国に共通するワークフェアの進展を背景としつつも、経済的自立だけではなく日常生活自立や社会生活自立を含むよう自立を再定義しており、「まずは就労(ワークファースト)」とは異なることが強調された。また同提起における自立支援プログラムは、援助的側面と就労の義務付けを強化する側面の二面性をもつことや、プログラムへの参加義務が指導指示、制裁・不利益変更と直結している点でワークフェア的側面をもつことが指摘された。
次に実際の自立支援政策の展開として、2005年度からハローワークと福祉事務所が連携する「生活保護受給者等就労支援事業活用プログラム」によって就労自立が優先されて始まったことが指摘された。だが同プログラムとは別に、自治体が独自に福祉事務所で実施した就労支援プログラムは、日常生活自立支援や社会生活自立支援に取り組むものであり、「就労のための福祉」★09(206)として評価された。欧米は就労可能な要扶助者に現金給付をしてきた歴史があって「福祉から就労へ」と転換しているが、日本は生活保護が就労可能な者を受け入れてこなかったのであり、ワーキング・プアの社会問題化に対して早期に給付を開始し「就労のための福祉」を拡充すべきと結論づけられた。
布川は生活保護制度における自立支援政策のもつ二面性に着目したが、ワークフェア概念については、労働市場拘束モデルとしてのみ使用し、人的資源開発モデルとして使用することには慎重であったと考えられる。一方で、経済的自立を優先する政策をワークフェアの労働市場拘束モデル(ワークファースト)として批判的に捉えた。他方で、日常生活自立支援や社会生活自立支援を重視する政策を、ワークフェアの人的資源開発モデルではなく「就労のための福祉」として捉えた。人的資源開発モデルは、教育訓練を重視しつつも経済的自立を志向するため、日常生活自立支援や社会生活自立支援を重視した多様な支援政策を捉えにくかったと考えられる。実際、日常生活支援や社会生活支援は、「就労への橋渡し」という位置づけではなく、就労支援と並列するものとして捉えることが重要とされた。しかし、布川(2009)では、「就労のための福祉」は、「就労への橋渡しという位置づけでの日常生活支援、社会生活支援」へと変更された。同変更は、社会サービスを生業扶助として利用するための戦略とも考えられるが、生活保護制度のなかで経済的自立を(最終)目標とせず日常生活自立支援や社会生活自立支援を行うことの困難を示しているとも考えられる。
第三に、福原(2007)は、政府が進める「福祉から就労へ」の施策と連動しつつも地方自治体で新たな独自の取り組みとして実施された就職困難者への就労支援に注目し、大阪府内と府内市町村の地域就労支援事業をもとに分析した。就職困難者は就労可能であるが様々な就労阻害要因を抱えるホームレス生活者、若者、シングルマザー、障害者、生活保護受給者などを指す。同事業によって就職困難者は、就労阻害要因を明らかにされ、就労支援や生活支援(育児・介護、社会給付や生活保護、社会教育、住居など)を受けるなどして働く場を得たが、その賃金は圧倒的に低水準であった。しかし、同事業は、福祉政策や雇用政策から排除されてきた生活保護ボーダー層あるいはワーキング・プア層への社会的包摂として評価されるとともに★10、就労を通して社会的包摂を試みる点でワークフェアとみなされた。日本政府が進めるワークフェア政策がワークファーストとして批判されたのに対して、地方自治体の地域就労支援事業は「もうひとつのワークフェア」あるいは「就労のための福祉」(welfare for work)として評価された。
福原は日本政府によるワークフェア政策の特徴として、以下の三点を挙げた。まず湯澤が述べた母子家庭への「はじめから就労ありき:ワークファースト」政策、次に稼働層の捕捉率が少ない生活保護での自立支援や他の福祉施策での就労に向けた自立支援、最後に自立支援策における就労インセンティブとして給付の引き下げ(たとえば生活保護制度の母子加算の見直し)の活用であった。政府のワークフェア政策を労働市場拘束モデルとして批判したといえるが、同モデルによって給付の引き下げを捉えている点が特徴的である。給付の引き下げは、他に頼る手段がなければ働かざるを得ないことを意味し、実際他に頼る手段がない(から生活保護を利用する)場合が多いため、労働を義務付ける政策として捉えることは妥当であろう。
対照的に、地域就労支援事業は、ワークフェアの人的資源開発モデルではなく「就労のための福祉」として肯定的に捉えられた。同事業は就職困難者の就労阻害要因の把握と解決に特徴があり、就労支援の一環として行われる生活支援は非常に多様であるため、経済的自立を志向して教育訓練を重視する人的資源開発モデルで同事業を捉えることは困難であったと考えられる。また生活保護から排除されてきた就職困難者への就労支援という日本型ワークフェアの特徴を捉えるためにも、「就労のための福祉」が使用されたと考えられる。
以上、三者の議論は、日本の自立支援政策の多様性を示している。だが第一に、日本は欧米と異なり生活保護から稼働層が排除されてきたのであり、第二に、欧米の「福祉から就労へ」政策によって経済的自立を優先することは問題があり、第三に、就労支援だけではなく多様な社会サービスを拡充する必要がある、という点で共通しているといえる。
3-3. 最広義の概念の有効性
それでは、埋橋(2007b)による最広義のワークフェア概念によって、日本の自立支援政策は、どのように捉えられるのであろうか。前述した三者の議論の共通点について、埋橋の概念では、ハードなワークフェアによって、就労を優先する政策を捉えることができるといえる。しかし、ソフトなワークフェアによって、多様な社会サービスの拡充を捉えることは困難であると考えられる。ソフトなワークフェアは、教育訓練によって雇用可能性を高め労働市場への参加を促進する政策を指した(埋橋 2007b: 19)。そのためワークフェアの定義を労働だけではなく社会参加の促進まで含むよう拡大しても、労働の促進と社会参加の促進の関係や、教育訓練と他の多様な社会サービスの関係を整理しなければ、ソフトなワークフェアという概念を使用するのは困難である。さらにワークフェア概念に、事前的労働規制や事後的補償政策を含むよう拡張しても、稼働層の生活保護からの排除を捉えることはできないであろう。
むしろ埋橋の最広義のワークフェア概念によって、労働の促進、就労優先政策、ソフトなワークフェア、社会参加の促進、事前的労働規制や事後的補償政策、「はじめから就労ありき work first」モデル、「就労のための福祉」、「もうひとつのワークフェア」が一括りにされることになり、議論が混乱するようになったのではないだろうか★11。
たとえば、福原(2008)は、埋橋(2007b)を参照して、日本政府の自立支援政策をハードなワークフェアとして批判的に捉える一方で、先進的な自治体での雇用政策をソフトなワークフェアとして区分し肯定的に評価した。後者の政策として、地方自治体での生活保護受給者への就労支援事業(布川 2007)、大阪での就職困難者への地域就労支援事業(福原 2007)、自治体がサービスを委託する業者に示す公正な雇用ルール、の三点が挙げられた。最初の二点の事業は、「就労のための福祉」として就労を実現する点で評価されたが、ワーキング・プアへの移行にとどまるという限界が指摘された。しかし、ワークフェアが抱える本来的な困難が事前的労働規制や事後的補償政策を「必然化する」(14)という埋橋の議論を参照して、特にディーセントワークが注目された。実際、地自体による雇用政策の三点目は、ディーセントワークの政策提案とみなされ、ワーキング・プアの発生に歯止めをかけるものとして期待された。
福原の議論から、埋橋のワークフェア概念にはディーセントワークのような事前的労働規制が含まれる(と解釈される)ことが分かる。しかし、ソフトなワークフェアと事前的労働規制によって同じ政策を指すなど、議論は混乱しているといえる。また拡大されたワークフェア概念におけるポジティブな要素が注目されることによって、ハードなワークフェアの問題やソフトなワークフェアの限界を批判的に捉えることは、議論の後景に退いてしまったといえる。あたかも(ハードやソフトの)ワークフェア改革は問題や限界を抱えるからこそ、さらなる(最広義の)ワークフェア改革が必要である、という論理が作用したかのようである。
本稿は、前述の三者の議論に対して、ワークフェアの労働市場拘束モデルと人的資源開発モデルの二類型で整理しつつ、稼働層の生活保護からの排除を指摘し、就労を優先する政策を批判し、多様な社会サービスの拡充を求める、という三点で共通点があることを確認した。就労を優先する政策は、労働市場拘束モデルで捉えることができるが、多様な社会サービスの拡充は、人的資源開発モデルで捉えることは困難であることを指摘した。そのため労働の促進だけではなく社会参加の促進も目標とした多様な社会サービスの拡充については、後述するようにアクティベーションを使用したほうが妥当であると考える。最後に、稼働層の生活保護からの排除をワークフェアで捉えることができるかどうかは、埋橋の最広義の概念化と関連して重要な論点を含む。
もともと埋橋(1997: 190-7)は、雇用保障と社会保障の組み合わせで福祉国家を比較し、日本は「雇用・労働市場の良好なビヘイビアが社会保障=国家福祉の機能を代替」し、「生活保障の方法として、ウェルフェアよりもワークフェアをより選択したシステム」であるとして、日本モデルを「ワークフェア体制」と位置づけていた。日本では大企業による長期的雇用慣行や公共事業による雇用創出・維持が福祉国家に代替したという意味であるが、ワークフェアは雇用創出・維持を含むものとして使用されたことを確認できる。だがワークフェアは基本的には需要志向の雇用政策を疑問視し供給志向の雇用政策を追求するものであり、埋橋の定義は一般的な理解よりもかなり広かった。すなわち埋橋は、事前的労働規制や事後的補償政策を含む定義よりもさらに広く雇用創出・維持まで含むものとしてワークフェアを捉えていたことが分かる★12。
しかし、日本が欧米よりも「ワークフェアを先取り」していたという場合、宮本(2009a)が指摘したように、雇用保障が社会保障を代替したことと、その結果、生活保護など狭義の所得保障が抑制され人々が就労に追いやられたことを区別することが重要である。日本では特に公共事業に財政が集中した結果、所得保障が薄くなり、結果として就労を迫られる状況が現れた。日本型ワークフェアは、いわば「不作為の結果としてのワークフェア」であり、制裁を伴って就労を義務付ける政策が後景化していたため、アメリカやイギリスのwelfare-to-work政策とは位相が異なっていた。だが 「構造改革」により雇用創出・維持が縮小したことによって、制裁を伴って就労を義務付ける政策が前景化してきたといえる。
岩田(2008: 169-76)は、日本の自立支援政策は、所得保障の条件としての就労義務というワークフェアばかりでなく、ワークフェア以前の「所得保障なき就労支援」が強調されている点に特徴があることを指摘した。一方で、母子家庭自立支援施策や生活保護受給者等就労支援事業の導入によって、所得保障に就労支援が明示的に連結され、ワークフェアに傾斜したとみなされた。他方で、ホームレス自立支援事業や若者支援策は、生活保護などの所得保障との連結は回避されており、所得保障が手薄なため「ワークフェアでさえない」とみなされた。稼働年齢層への所得保障が不十分なところへ、所得保障に代替的な就労自立支援策が展開されていることが問題視されたのであった。
筆者は、第一に、雇用創出・維持を含むほどにワークフェアを拡張することは、供給志向の雇用政策を追求するという一般的なワークフェアの理解と大きく異なり議論に混乱を招きかねず、また日本型ワークフェアの「不作為」という位相を捉えにくくすると考える。後述するようにワークフェアを公的扶助に限定して使用することで、日本型ワークフェアの位相に留意しつつ、就労を義務付ける政策の前景化を労働市場拘束モデルの強化として捉えることができると考える。
第二に、「所得保障なき就労支援」は、生活保護から排除された稼働層への代替的な就労支援といえるが、生活保護の要求を抑制するよう機能している点で、ワークフェアとして捉えることができる。前述したように、ワークフェアは、公的扶助受給者に低賃金で不安定な職に就くことを強制するだけではなく公的扶助の要求を抑制する機能を有しているからである(Peck 2001: 6)。福原がワークフェアとみなした生活保護の給付の引き下げも、低賃金不安定労働の強制だけではなく、生活保護要求の抑制としても捉えることが重要である。ワークフェアが有する生活保護の抑制と労働の強制という相互に補完的な機能によって、「所得保障なき就労支援」という日本の自立支援政策の特徴も明瞭になるといえる。
4. 宮本太郎の議論
本節は、雇用志向の社会政策の総称としてワークフェアを使用していたのを止めて、ワークフェアとアクティベーションを対比させるようになった宮本の議論を考察する。宮本の議論の変化を検討することによって、同総称にワークフェアを使用する議論の問題点と、同総称にワークフェアを使用しない議論の課題を明らかにする。4-1. ワークフェアからアクティベーションへ
宮本(2004a)は、欧米で「就労なき福祉」から脱却し人々の自立と就労を促進する機能を高める方向で展開する政策をワークフェアと捉えて論じた。ワークフェアには「福祉給付の条件として就労を課すという面と、福祉の目的を就労支援におくという面と、二つの契機が」あり、「二つの契機は不可分のものであるが、それでも前者に力点をおく制度と後者に力点をおく制度の相違は重要」(220)として、以下の分析枠組みを提示した。まずワークフェアの制度領域として、第一に、失業保険や公的扶助の領域、第二に、労働者の就労可能性を高める諸政策(職業訓練、リカレント教育、職業紹介など)からなる領域、第三に、年金や医療あるいは育児休暇期間中の所得保障等の領域、を区分した。そのうえで、各国の制度のあり方によって生じるワークフェアの多様性を捉えるために、Lødemel and Trickey eds. (2001)が公的扶助の領域で用いた指標(プログラムの理念、ミーンズテストの有無、執行は集権的か分権的か、クライアントと行政の交渉の余地、制裁時の代替給付の有無など)をもとに、前述の第二・第三の制度領域についても他の指標を加え、多角的な指標として整理した。そして、Peck (2001)が区分した二つのモデル、すなわち就労要請を重視する労働市場拘束モデル(またはワークファーストモデル)と就労支援を重視する人的資源開発モデル(またはサービスインテンシブモデル)に、上述の制度領域と多角的指標を組み込むことで、より包括的な制度類型を提示したのであった。
宮本によるワークフェアについての二類型は、スウェーデンとアメリカの違いを捉え得る精緻なものであったため、公的扶助以外に拡張されたワークフェアが日本で普及するのに影響を与えたと考えられる。また宮本の議論は、埋橋がワークフェアを最広義に定義する際に一定の根拠を与えたともいえる★13。
しかし、宮本は後の議論で、拡張したワークフェア概念を使用することを止めて、スウェーデンなど北欧のシステムについてはアクティベーションを使用するようになった。たとえば宮本(2004b)は、福祉国家再編のキーワードとして着目した社会的包摂の異なるアプローチとして、ワークフェア・アクティベーション・ベーシックインカムを使用した★14。そこで宮本の議論においてワークフェア概念がどのように変化したのかを明瞭にするために、宮本が用いた概念図の比較を行う。
図1 拡張されたワークフェア(出所)宮本(2004a: 227)
図1は、宮本(2004a)で使用された図であり、公的扶助以外に拡張されたワークフェアについて上述の二類型が政府支出の大小からなる縦軸で整理された。労働市場拘束モデルは、三つの制度領域のなかで第一の領域を最重視するが、そこでは福祉依存の解消が強調され、クライアントと行政の交渉の余地は小さく制裁時の代替給付はほとんどない。また第二の領域の職業訓練の規模は小さく民間のイニシアティブや雇用主の関与が期待され、第三の領域では民間の職域ごとの労使協約や企業福祉が中心になる。典型例はアメリカである。
対照的に、人的資源開発モデルは、三つの制度領域のなかで第二の領域を最重視するが、そこでは積極的労働市場政策に多くの財政資金が投入される。また第一の領域では、社会的排除との闘いという理念のもと、クライアントと行政の交渉の可能性があり制裁時にも代替給付があり、第三の領域では、公的なプログラムのなかで所得比例原理を強化することで就労インセンティブの増大が目指される。代表例はスウェーデンである。
図2 縮小されたワークフェア(出所)宮本(2004b: 22)
図2は、宮本(2004b)で使用された図であるが、ワークフェアは縮小して使用されるとともに、アクティベーションが導入された。ワークフェアは、公的扶助に関わる領域に限定されたが、以前の議論と同様に二つのモデルに区分された。ワークフェアと比べてアクティベーションは、第一に、積極的労働市場政策の規模で異なり、就労支援への政府支出の大小からなる縦軸で整理された。第二に、福祉政策の内容で異なり、就労連携の強弱からなる横軸で整理された。一方で、北欧でも公的扶助の領域で就労忌避に対する制裁として給付を停止するプログラムが増大していることが言及され、同政策は積極的労働市場政策と並んで、就労と直接リンクした福祉政策として捉えられた。他方で、年金、医療、失業保険、育児休暇期間中の所得保障などで所得代替率を高める政策や育児・介護サービスや生涯教育などは、人々の就労や労働インセンティブを高める方向で作用し、就労と間接的にリンクした福祉政策として捉えられた。後者は、第二象限にはみだすふくらみとして概念化された。
両図の比較から、宮本の議論について以下のことを確認できる。第一に、ワークフェアは、公的扶助に関わる領域に限定され、政府支出の大小に関して二類型に区分されるものの、その差異は相対的なものとなった。第二に、ワークフェアは、あくまで福祉政策と就労の連携を強化するものであり、図2のアクティベーションの第二象限へのふくらみで示されるような就労連携が(相対的に)弱い北欧の福祉政策には該当しなくなった。
筆者も北欧のシステム全体をワークフェアではなくアクティベーションと呼ぶことに異論はない。しかし、次にみるように宮本の概念化にも課題があると考えられる。
4-2. 埋橋‐宮本の議論
ここでは、宮本による埋橋編(2007)への書評と埋橋からのリプライを取り上げて、埋橋の概念化の問題点を明瞭にするとともに、宮本の概念化について労働市場拘束モデルと人的資源開発モデルを用いて検討する。宮本(2009a)は、埋橋によるワークフェアの定義が広すぎるとして、労働市場に関わる包摂型の社会政策をワークフェアで一括りにすることを批判した。第一に、埋橋がワークフェアを最大限に広く定義し、事前的労働規制と事後的補償政策の契機を組み込むことで、実効性が高く包括的なワークフェアを構想していると判断した。そのうえで埋橋の議論では、社会民主主義的な性格の強いディーセントワークの実現も、新自由主義的なトーンが付き纏うワークフェアになるがよいかと問うた。
第二に、社会保障と就労を連携させる多様な政策が出現し様々な用語が飛び交う言説政治のなかで、対抗軸を示すことの重要性を強調した。また対抗軸を示すためには、ワークフェアを拡張して使用することを止めて、新自由主義的な政策には公的扶助関連に限定したワークフェアを用い、社会民主主義的な政策にはアクティベーションを用いる必要があると論じた。
宮本へのリプライとして、埋橋(2011: 130-1)は、ハードとソフトを区別しつつもあえて広義のワークフェアを採用した理由として以下の二点を挙げた。第一に、雇用情勢悪化のなかで福祉から労働へと問題を「投げ返す」ことの困難を強調したかったからであった。アクティベーションも同困難から免れないとして、宮寺(2008)を参照しつつスウェーデンのアクティベーションのワークフェア化が指摘され、不況期に雇用促進効果を過大視することはできないと論じられた。アクティベーションのワークフェア化とは、公的扶助で制裁的な要素が強化されたことを意味した(宮寺 2008: 106-7)。
第二に、ワークフェアとアクティベーションなども対抗軸として重要であるが、ワークフェアとその関連領域との関係が最も重要であると考えていたからであった。ワークフェアは事前的労働規制や事後的所得補償とセットになって初めて効力を発するのであり、それらを欠くと新たなワーキング・プアを生み出すと論じられた。すなわち、従来のワークフェア概念には事前的労働規制や事後的所得補償は含まれなかったが、埋橋はワークフェア概念を拡大し両者を組み込んだといえる。
埋橋は社会民主主義的な政策も含めて上述の困難から免れないことを強調しようとするあまり広すぎる定義を採用し、その結果ワークフェアに関連するが別の領域である事前的労働規制と事後的所得補償をもワークフェアに含む(と解釈される)ことになったのではないだろうか。筆者は、北欧諸国も含めて公的扶助制度で労働義務の履行が強化されたことを問題視する点で、埋橋と問題意識を共有する★15。しかし、宮本も指摘したように、埋橋の定義では、ワークフェアとして問題視した困難への処方箋もワークフェアとなってしまう。その結果、議論に混乱を招くことになりかねないので、事前的労働規制や事後的所得補償は、ワークフェアではなく他の概念で捉えるほうが適切であろう。
さらに埋橋のワークフェアの定義は、「事前的労働規制」や「事後的所得補償」を含まないよう限定したとしても、社会保障・福祉受給者の労働を促進する政策だけではなく社会参加を促進する政策も含むほどに広かった。しかし、筆者は、あくまでワークフェアは就労との連携を強める政策に限定し、就労との連携を(相対的に)弱める政策も含めて論じる場合はアクティベーションを使用したほうがよいと判断する。なぜなら、社会参加を促進する政策も含むようワークフェア概念を拡張する場合、労働の促進と社会参加の促進の関係や、教育訓練と他の多様な社会サービスの関係を整理しなければ、議論が混乱し、労働義務の履行を強化する政策が問われにくくなると考えるからである。
逆に埋橋と宮本の議論から、宮本の概念化が抱える課題も示される。たしかにワークフェアとアクティベーションを対比させる概念化によって、政府支出の大小や就労連携の強弱といった対抗軸が明瞭になったといえる。しかし、同概念化によって、社会民主主義的なアプローチ内で進行する制裁的な福祉政策を捉えることが困難になったのではないだろうか。
たとえば、宮本も言及したように、北欧でも公的扶助受給者の就労忌避への制裁政策は増大したが、同政策はアクティベーションなのか、それともワークフェアなのかという疑問が生じる。一方で、同政策をアクティベーションと捉えるならば、図2のアクティベーション概念の第一象限の下から第四象限にかけての部分、すなわちアクティベーションとワークフェアのサービスインテンシブモデルが交わる部分に該当すると考えられる。他方で、同政策をワークフェアのワークファーストモデルとして捉えるならば、同政策が進展する公的扶助制度は、スウェーデンのシステム全体を指すはずのアクティベーションには含まれず、システムの外部に位置付けられることになってしまう。いずれにせよ、宮本が提起したアクティベーション概念は、ワークファーストモデルで示される契機を捨象している。
宮本の議論は、社会的包摂の対抗軸を明瞭にしようとするあまり、社会民主義的なアプローチについて「福祉給付の条件として就労を課す」契機を捨象し、「福祉の目的を就労支援におくという」契機に純化させる傾向があったのではないだろうか。換言すれば、宮本のアクティベーション概念は、労働市場拘束モデルを捨象し、人的資源開発モデルに純化させる傾向があったのではないだろうか。同傾向は、ワークフェア概念で人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルを括る議論(図1)よりも、ワークフェアのワークファーストモデルと切り離してアクティベーションを使用する議論(図2)で強まったといえる。その後の議論では、アクティベーションが人的資源開発モデルに純化されるにつれて、ワークフェアが労働市場拘束モデルに純化される傾向があったといえる(宮本 2009b: 125, 2013: 32)。
宮本の議論に対して、筆者は、第一に、ワークフェアの制度領域は公的扶助に限定したほうがよいと考える。宮本(2004cなど)はワークフェア概念の制度領域として公的扶助だけではなく失業保険も含めた。だがもともとアメリカで発祥したワークフェアは公的扶助を対象とし、イギリスを中心にヨーロッパに普及するなかで失業保険なども含めるよう拡張して使用された。そのためワークフェアの定義に失業保険も含めると、アメリカの福祉改革との異同と関連して、ヨーロッパの雇用志向の社会政策がワークフェアか否かを巡り議論が混乱すると考えられる。その結果、ヨーロッパの公的扶助制度において労働市場拘束モデルを強化する政策を捉えにくくなるのではないだろうか。公的扶助に加えて失業保険や失業扶助や障害給付金など多様な所得保障制度を対象とする場合は、アクティベーションを使用したほうが、議論に混乱を招かずにすむであろう。
第二に、ワークフェアとアクティベーションはともに人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルの両方の契機を有していることが重要であると考える。ワークフェアは、否定的評価を伴うことが多い労働市場拘束モデルからのみ成るのであれば、広範に普及することはなかったのではないだろうか。ワークフェアは、労働市場拘束モデルに加えて人的資源開発モデルを含むからこそ、広範な合意を得て導入されてきたと考えられる。またアクティベーションは、人的資源開発モデルからのみ成るのであれば、公的扶助で進展する労働義務の履行を強化する政策を、アメリカの福祉改革の影響を受けた例外として位置付けてしまうのではないだろうか。ヨーロッパの雇用志向の社会政策にも内在する「福祉給付の条件として就労を課す」契機を捨象することは、公的扶助で進展する労働義務の履行を強化する政策を批判的に捉えることを困難にすると考えられる。
5. まとめと課題
本稿は、第1節で、生活保護制度の所得保障の機能が縮小されることを問題視し、所得保障機能の縮小と連動する就労促進機能の強化を批判的に考察するために、ワークフェア概念を再構成することを目的とした。第2節で、国内でワークフェアの概念化を行った先行研究を概観し、議論が混乱してきたことを示すとともに、雇用志向の社会政策を人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルに分類するという図式を用いる方法を設定した。第3節で、埋橋孝文による最広義のワークフェアを考察し、日本の自立支援政策を論じた議論をもとに同概念の有効性を検討した。第4節で、宮本太郎によるワークフェアからアクティベーションへの転換を考察し、埋橋と宮本の議論を対比させながら、ワークフェアとアクティベーションの関係について検討した。その結果、ワークフェア概念の再構成に向けて以下の課題が明らかになった。第一に、ワークフェアは、公的扶助制度に限定して概念化を行ったほうがよい。なぜなら、ワークフェアを公的扶助以外に拡張する概念化によって、ワークフェアで指す内容が論者で大きく異なることになり、またアメリカの福祉改革との異同を巡って、議論が混乱するからである。また公的扶助を対象とするワークフェアがもたらす問題を、拡張したワークフェアによって解決するような概念化は、矛盾しているからである。
第二に、ワークフェアが有する生活保護抑制と労働強制という相補的な機能に注目することによって、生活保護基準の引き下げや、低所得・失業・貧困問題を批判的に捉えることができる。また同機能によって、日本型ワークフェアの「不作為」という位相に留意しつつ、「所得保障なき就労支援」という問題を批判的に捉えることができる。
第三に、ワークフェアを公的扶助に限定する場合でも、労働市場拘束モデルと人的資源開発モデルの両方を含むよう概念化することが重要である。なぜなら、ワークフェアが発祥したアメリカでも、ワークフェアが伝播したヨーロッパでも、ワークフェアは両モデルの契機を有するからこそ広範に普及したと考えられるからである。ワークフェアを労働市場拘束モデルに純化させるような概念化は、生活保護において所得保障の縮小や就労促進の強化がすすむ要因を十分に解明することはできないであろう。
第四に、ワークフェアとアクティベーションには重要な差異がある。まず、積極的労働市場政策への支出水準で、ワークフェアは小さいがアクティベーションは大きい。次に、制度領域に関して、ワークフェアは公的扶助に限定されるが、アクティベーションは公的扶助以外にも失業保険や失業扶助や障害給付等の多様な現金給付を含む。さらに、就労と福祉の連携について、ワークフェアは連携を強化する政策に限定し、アクティベーションは連携を(相対的に)弱める政策も含む。
以上の結論は、本稿で設定した図式を用いて埋橋孝文と宮本太郎の議論を批判的に考察することによって得られたものであるが、両者の議論に多くを負っている。そこで、両者の議論に対する本稿の貢献を確認しておきたい。
第一に、埋橋による最広義のワークフェア概念に対して、宮本はワークフェアを公的扶助と失業保険の制度領域で就労と福祉の連携を強化する政策に限定するよう提起した。両者に対して、本稿は埋橋のワークフェア概念によって議論が混乱していることを示したうえで、宮本が提起したように就労と福祉の連携を強化する政策に限定しつつ、制度領域は公的扶助に限定したほうがよいことを明らかにした。
第二に、宮本によるアクティベーション概念に対して、埋橋は北欧諸国も含めて公的扶助制度で労働義務の履行が強化されたことを指摘した。両者に対して、本稿は宮本のアクティベーション概念が労働市場拘束モデルで示される契機を捨象していることを明らかにしたうえで、アクティベーションもワークフェアも人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルの両方を含むことが重要であると述べた。
第三に、埋橋が日本を「ワークフェア体制」と論じたのに対して、宮本は日本型ワークフェアの「不作為」という位相の重要性を指摘した。両者に対して本稿は、ワークフェアの生活保護抑制と労働強制という相補的な機能に注目することによって、生活保護基準の引き下げや「所得保障なき就労支援」という問題を批判的に捉えることができると指摘した。
今後の研究課題は、アクティベーションの概念化や同概念を使用した議論について検討することである。生活保護制度において所得保障機能の縮小と連動しながら進展する就労促進機能の強化を批判的に考察するためには、アクティベーションも有効と考えられる。ただしアクティベーションも人的資源開発モデルだけではなく労働市場拘束モデルを含むことに留意しなければならない。そのためアクティベーション概念のなかで、どのように労働市場拘束モデルを位置づけることができるのか、検討が必要であろう。またアクティベーションとワークフェアは重なる部分も多く、アクティベーションの労働市場拘束モデルとワークフェアの人的資源開発モデルの関係を整理することも求められる。特にワークフェアの人的資源開発モデルは、肯定的評価を伴うことが多いが、ワークフェアがもたらす問題の解決策としてではなくワークフェアが普及する主要因として、批判的に考察することが重要である。
■注
★01 本稿の主題はワークフェアであり、アクティベーションはワークフェアの概念化と関わって論じるに過ぎない。アクティベーションの概念化は、中村(2019)などを参照せよ。ただし中村はアクティベーションを必ずしも仕事を義務付けるものではないとみなすが、筆者は仕事を(多かれ少なかれ)強制するものとみなす。詳細な考察は別稿に委ねたい。★02 宮本はPeck(2001)を参照して、人的資本開発モデルと労働力拘束モデルを用いた。本稿はより概念化の精度が高いと考えられるLødemel and Trickey eds. (2001)を参照して、人的資源開発モデルと労働市場拘束モデルに等置して言及する。両者の概念の詳細な比較は別稿に委ねたい。
★03 三浦・濵田は、再編期の福祉国家において就労と福祉を連携させる政策を指す用語として「雇用中心のアプローチ」を使用し、「就労義務強化型」と「雇用可能性向上型」の二類型に分類した。本稿では、議論が煩雑になるのを避けるために、それぞれ「雇用志向の社会政策」、「労働市場拘束モデル」、「人的資源開発モデル」に等値して言及する。
★04 実際、埋橋(2007a: 1)は雇用志向社会政策をワークフェアとして捉えた。
★05 宮本(2004c)は、スウェーデンなど北欧のシステムがアクティベーションと呼ばれることを紹介しつつ、ワークフェアにアクティベーションを含めて論じている。この点について、三浦・濵田の誤解があると考えられる。
★06 同研究方法の着想は、三浦・濵田(2012)に多くを負っている。ただし三浦・濵田が先行研究を概観して二類型の抽象化を行ったのに対して、本稿はLødemel and Trickey eds. (2001)の提起した二類型を用いる。二類型の詳細な考察は別稿に委ねたい。
★07 本稿は、生活保護制度において所得保障機能の縮小と連動しながら進展する就労促進機能の強化を批判的に考察するという限定的な視角から、先行研究を検討する。そのため各論者の目的も含めて概念化の得失を総合的に評価するわけではないことを断っておく。
★08 同論理を解明するために、ワークフェア政策に対する公的扶助受給者や労働組合の抵抗運動を分析することが重要である。たとえば、労働市場拘束モデルの典型例であるニューヨーク市での抵抗運動を分析したものとして、小林(2013)を参照せよ。
★09 布川(2009: 140,149)は、「就労のための福祉」を「個別カウンセリング、グループワーク、日常生活自立支援、社会生活自立支援など就労の準備のための福祉的支援」や「社会サービス」としている。具体的には、「生活リズムの改善、家事支援、金銭管理、病状の安定や服薬管理、通院支援、多重債務の処理、依存症対策、対人関係構築への不安の除去、コミュニケーションスキルの向上、居場所の提供、社会参加・社会貢献の機会の提供、基礎学力の取得、家庭問題の解決支援、子どもの保育園さがし、自家用車等移動手段の確保」など、就職活動の前段階での多様な支援が含まれた。
★10 ただし同事業によって新たなワーキング・プア層が創出され拡大されるならば、問題の根本的な解決にはならないとして、政府による最低賃金水準の引き上げや補助金による賃金補強が求められた。
★11 ワークフェアについての議論は、welfare-to-workが当初「福祉から就労へ」ではなく「働くための福祉」(武川・宮本・小沢 2004)や「労働のための福祉」(大山 2005)と訳されたことによって、さらに混乱したと考えられる。詳細な検討は他日の課題としたい。
★12 ただし埋橋(1997)ではワークフェアの概念化はまだ行われていない。ワークフェアには正式な定義がないとして、「国の社会保障への依存をできるだけ減らし、働くことによる自助・自立を促進する方向を含意」することが指摘された。
★13 たとえば埋橋(2007b)はワークフェアの分類を示すのに宮本(2004c)を参照した。
★14 ベーシックインカムも生活保護制度の所得保障機能の縮小を批判的に考察する概念として重要であるが、詳細な検討は他日の課題としたい。
★15 公的扶助の国際比較によって北欧諸国の「制度に埋め込まれた」就労要件を検証した埋橋(1999)を参照せよ。
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