遡航

遡行/遡航 立岩 真也
2022年6月 『遡航』002号 pp.116-121
遡行/遡航

 「学問」や「研究」について思うこと考えてきたことはあって、それでこの雑誌にも関わるようになった。ただ、それはだんだん書いていくことにする。ここでは言葉のことを少し。そういえば、私は、「遡行」「遡航」という言葉を、わりあい前から使ってきたなと思った。それで検索などしたらいくつか出てきた。ここではそれをたんに並べていく。
 ちみなに「遡行」「溯行」「遡航」「溯航」と4つほどの熟語があるようで、私は「遡行」を使ってきた。このたび「行」ではなく「航」を使うことにしたのは、雑誌の表題として並べた時に2つの漢字の字画・密度があまり違わないほうがよいように思ったこと、そして「航」という字も、船が上流のほうに進んでいくのもよいと思ったことによる。『地獄の黙示録』の影響というわけではない。また、検索したら柄谷行人に『内省と遡行』という本があり、「そういえばあったかな」と思ったが、長く忘れていた。
 そして「溯航」のほうが、やはりなんとなく、並べた時の左右のバランスがよいように思ったので、これで行こうと思った。ただ、今回雑誌ができるにあたってやはり検索してみたら、「早稲田大学大学院文研考古談話会」の発行で『溯航』という雑誌が1987年から刊行されていることを知った。(さらに調べてみると、「早稲田大学考古学専攻院生協議会」が1978年から1981年にかけて、『文研考古連絡誌』という雑誌を出していて、これが第1号から第3号まで刊行されている。そこで『溯航』は第4号から始まったようだ。)同じでいけないとは思わなかったが、やはりかぶらないほうがよいと思って、『遡航』にした。

1998

 検索してみたら、私が題に「遡行」を使った最初は、1998年10月31日、STS(は「科学技術と社会」) Network Japan のシンポジウム「医療問題は科学論で語れるか」に呼んでもらった時の報告の題「闘争と遡行」のようだ。京都大学が会場だったようだが、私はこの時は松本にいた(1995年4月から2002年3月)から、出張したのだと思う。パネラーは蔵田伸雄佐藤純一、小林傅司、松山圭子と私。司会は横山輝男。その報告は、『STS NETWORK JAPAN Yearbook '99』(2000/03/25)にその題「闘争と遡行」で収録されている。原稿でなくその場で話した話をそのまま掲載したもののようだ。
 その始まりは

 はじめまして、立岩です。呼んでいただいてありがとうございます。シンポジウムというのは、今も昔もおそるべきものがいっぱいあって、横に座っている人とはたしてどういう接点があるのか分からないことがある。非常に悲しいというか、虚しい思いをすることがたいへん多いんです。世の中にはなんとお金が余っているところがあって、そのお金を消化するために何だかよく分からない人を何人か集めてきて、喋らせて、シンポジウムが終わってしまう。今日のシンポジウムは、それよりだいぶいいなと僕は思っていまして、なんだか明るい未来が見えてきた気がします。
 さて


全文を読むことができるから、全体の紹介の要はない。以下は全体の3分の2ほどのところ。

 僕の前半の話というのは、基本的に少なくとも僕の中では白黒ははっきりしている。お客さんの立場、お客さんサイドにいる。少なくとも、普通のサービス産業と同じくらいには、消費者主権なら消費者主権というものが貫かれてよい。それを阻害するメカニズムが何か、それを除去していく装置は何か、そういうことを考えていくということでした。ただ、白黒はっきりしていない領域というのも、やっぱり残される。それが、科学論というものと関係するかしないか、僕は知りませんけれども、そういったものがある。そういったものも、どこかで僕らは気になってしまうわけですし、考えてしまうわけですし、考えちゃいるんだけど考えがまだ足りなくて、まだ何だかよく分からない、そういうことがある。
 科学・技術というのは何かといえば、科学というのは、基本的には分かるということ、知ることだということになっていますね。技術というのは、何かを作ることであり、何かを変えることであるわけです。それが社会で私たちが生きていることにどういう意味合いを持つんだろうか、それについて私たちはどう判断したらよいのかということを考えていく、というのもおもしろいぞと思っているんです。分からないこと、白黒がはっきりしないことがいっぱいあって、去年、出版させていただいた『私的所有論』(勁草書房)という本は、こちらの話にウエイトを置いています。
 私たちの社会というのは、ある程度分からないことがある、ということをどこかで前提として含み込んだ上で成立している。あるいは、変えられないということを含み込んだ上で成立している部分がある。あるいは、変わるか変わらないか分からない、というところを前提とした上で、いろいろなものが成り立っているというところがあるわけですね。これは考えてみれば誰でも知っていることです。


20分の報告の終わりは以下。

 とりあえず方向性の違う話を二つしましたが、僕は時間がある限り、二つの仕事を同時にやっていきたいと思っています。皆さんのお考えになっていること、あるいは科学論というものと、それがどういうふうに関係があるのか、あるいはないのか、議論の中で深めていければと思います。どうもありがとうございました。


2000

 2000年10月に私の単著としては2冊めということになる『弱くある自由へ』が刊行された。そのおりに『図書新聞』からインタビューを受けた。じつはこの時、編集部から送ってもらった原稿はほぼまったく使えないものだと思えたので、ほぼ最初から書きなおして、それを掲載していただいた。2001年1月27日付の『図書新聞』に掲載された。
 以下はその冒頭。

―― 立岩さんは先頃、『弱くある自由へ――自己決定、介護、生死の技術』を刊行されました。この本を手がかりにお話をうかがいたいと思います。
 まず、タイトルになっている「弱くある自由へ」についてですが。
立岩 最初この本のタイトルを『闘争と遡行』☆01にしようかと考えていたんです。売れないって却下されましたけど。たしかに売れないかもしれません。
―― かつて続けて出ていた埴谷雄高の評論集のタイトルを思わせますね。
立岩 闘争ではスタンドポイントははっきりしている。それをどうやって実現していくのかという戦略、そこで実現されるべき仕組みを考えていく仕事なんですね。たとえば、人が自分の暮らしのこと、暮らしのありかたを自分で決めて、自分で実現していくという意味での自己決定については、私はまったく肯定的な立場に立ちます。障害者なり病者の生活に対する決定が剥奪されている、それはけしからんと。ではどうやっていくか。介助・介護について考えた第7章「遠離・遭遇」は基本的にそういう仕事になります。
 けれどそういう仕事でも、実現するために、なぜ実現しないかを考えていく必要が出てきます。この問いは簡単に解けることもありますが、そうでないこともある。闘争のために、闘争の一部として、遡行がなされないとならない。さらに、自分自身がどこに立っているのか、なぜ、どこに立てばよいのかよくわからないことがあります。あるいはわかっていたつもりがわからなくなることがあります。とすれば、遡っていかないとならない。
 僕は、両方の仕事を同時にやっていきたいと思っています。なにか「哲学的なもの」がとんでもなく素朴なところにとどまっていることがあります。原理的なことを考えているようで、全然そうでないことがよくあります。「そんなことは知ってる、問題はその後しばらく行ったところに現れる」と、闘争し、その方向を考えている人は言うでしょう。
―― 通読して、「弱くある自由へ」ということがこの本に通底するテーマとなっていることを感じました。第1章の「空虚な~堅い~緩い・自己決定」で立岩さんは「もっと弱くあればよいのだ、もっと弱くあってよいのに」と書かれていますね。
立岩 第2章「都合のよい死・屈辱による死」と第3章「『そんなので決めないでくれ』と言う」で「安楽死」のことを書いています。今の状況は、耐え難い身体的苦痛で死ぬ、死ななきゃいけないという状況ではありません。日本だと苦痛への対応がきちっとしていないからそう言い切れないんですが、うまくやれば肉体的な痛み自体はかなり取れる。そういう意味では古典的な、あまりに痛いので死期を早めるという安楽死は意味を失っている。けれども医師の自殺幇助による死を選ぶ。なんで死ぬんだろう、なんで死にたいんだろうと思う。またその決定の周りにいる人にとってはどうか。自己決定を基本的に認めるから、死の自己決定である安楽死、医師による自殺幇助もそのまま認めるんだという話になれば、それはそれですっきりするかもしれないけれども、すっきりしない人もいる。少なくとも私はすっきりしない。とすれば、遡っていかないとならない☆02。
 と言っても、そんなにややこしい話ではありません。たとえば[…]


 ☆01等は2020年の第2版(増補改訂版)に付した註。☆01は「この題は『闘争と遡行・1――於:関西+』(立岩・定藤編[2005])で使った。「2」はまだない。[200003c]にもこの題が使われている」とある。[200003c]は「一九七〇年」。☆02は安楽死・尊厳死に関わる長い註で略。次にこの語があるのは以下。

 第4章の初出の題は「一九七〇年」だけだったんですが、それじゃわからないというので、本の方では「闘争×遡行の始点」という副題をつけました。これでもやっぱりわからないですけど、具体的には障害者運動のことを書いてます☆09。この時期に、僕はいくつか大切なことが言われ、考えることが始まったと思っています。優生学が本格的に問題にされだすのもこの頃だと思います。学問的にその歴史が研究されだすのはもっと後になってからですけれど。出生前診断などもそういう文脈で問題にされ出します。その人たちが、一方で自己決定を主張し始めながら、つまり人に迷惑をかけながら自分で決めていくことを強く主張しながら、他方で、安楽死を批判するというということをします。最低、そういうところは押さえておきましょうということです。
 これには、もちろん当時のはねあがった状況が関わっています。その時いろんな場面でかなり重要なことがいろいろと言われたと思うんですね。ただ、それがストレートに継がれることなく、八〇年代的・九〇年代的な知の状況にずるずると移行していってしまった。そしてそれはしばらくはおもしろかったんだけれども、だいたいまあこんなものかなというぐらいのところまで来てしまって、それで行き止まっていると思うんですね。だから、いったん消えてしまったり放っておかれた問題をストレートに考え直していく、考えることを立て直していく。僕は前の本も含めて、そうしたスタンスでものを書いているところがあります。


 『弱くある自由へ』第4章は、『現代思想』の1998年2月号特集「身体障害者」に掲載された「一九七〇年」。本への収録にあたって「一九七〇年――闘争×遡行の始点」という題にしたということだ。第2版収録にあたって付した☆09の冒頭は「読み直してみて、第4章はその時期にあったことを記録するというより、そこにあった理屈を言う文章だと思った。その時期(以降)について書籍の再刊も含め、文献が出るのはその後のことになる。私も、運動やそれを担った人たちについて、いくつかのというよりは多い、文章を書くことになった。」

2005→現在

 これまでいくつか、出版社からでなく、のちにKyoto Booksという名前をつけたところから、当初はPCのプリンターで印刷して、簡易製本機というものを買い込んで1冊1冊製本して、郵送やら学会大会の会場やらで販売してきたものがある。今はそれらを、そして2017年頃から作ってきたものは最初から、電子書籍――といってもたいがいただのワードのファイルであったり、HTMLファイルであったりなのだが――を作って、オンライン決済の仕組みを使って、驚くほど売れないのだが、販売している。2005年の9月に定藤邦子との共編ということで出した『闘争と遡行・1――於:関西+』はその最初のものということになる。さきの註にも記したが、「2」はまだ出ていない。この本というか冊子というかには、堀田義太郎野崎泰伸の論稿、山下幸子・松永真純の現代史に関わる論文を掲載(再録)している。他に、定藤による川嶋雅恵さんへのインタビューの記録、関西の青い芝の会の関連年表・資料が付され、そして、しばらく忘れていたが、さきの『図書新聞』に掲載されたインタビューも再録されているといった具合だ。
 こうして、私は、何度か「闘争と遡行」という言葉を使ってきた。こういう仕事をしている人はわかると思うのだが、いちいち文章や講演に題をつけるというのは面倒な仕事だということもある。ただ、それだけでもなく、そんな気分でやっていこうという気持ちがあってのことだ。そして私は、立場や主張があった上でどうやって前に進むかという闘争、闘争のための仕事と、その場所、その根拠を探す仕事という具合に、この2語を位置づけたようだ。今でもそれはそれでよいと思っている。
 ただ、『闘争と遡行・1』などが既にそのようなものになっているが、「遡行」は、考えるためにも、何があったのか、何が考えられたのか、何が言われたのかを知る、記録するという仕事をも指している。つまり、遡って知る、知ったうえで、あるいは知りながら、さきを考えるという、その前段を指している。
 それは「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」という現在進行中の企画(文科省科学科学研究費研究・基盤A)の「辿る」、「辿り…探す」ということでもある。それは、その前の科研費研究「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」から同じだ。2021年に出版した『介助の仕事――街で暮らす/を支える』では第5章が「少し遡り確かめる」になっているのもそういうことだ。
 こうして私は、遡って思考していくこと、考えるためにも過去に遡ること、両方の意味で「遡行」という語を使ってきたようであり、そこにはいくらかの力点の変化もあって、このごろは「現代史」をする、それをやろうという呼びかけとして「遡行」の語を使っているらしい。実際まったく大切なことだと、大切だが、まったく仕事が足りていない部分だと思っている。それで本誌創刊号の緒言も、10分ぐらいで書いたのだが、書いた。そして次に、私は、調査の結果とそこから得られる理論的含意なるものが、一つの文章・論文のなかに常に両方なけれはならないとは考えていない。幾人もの人が、幾つもの仕事をして、それがどのように繋がるのかが示される。そのためにも雑誌があるし、誰かが別の人のなにかを受け取り、そこから先に進めるために、煩雑な文献表示やその方法――ただ本稿はだいぶ正しい方法を崩して書いてしまっているのでよい見本にはなっていない――もあるのだと考える。そのことについては別に、多分次号に、述べる。

文献(刊行年順)

立岩 真也 1998/02/01 「一九七〇年」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233→2000/10/23 「一九七〇年――闘争×遡行の始点」,立岩[2000:87-118]→立岩[2020:91-122]
立岩 真也 1998/10/31 「闘争と遡行」,STS Network Japan シンポジウム「医療問題は科学論で語れるか」於:京都大学
立岩 真也 2000/03/25 「闘争と遡行」,『STS NETWORK JAPAN Yearbook '99』:43-48(立岩[1998/10/31]の記録)
立岩 真也 2000/10/23 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,382p.
立岩 真也 2001/01/27 「闘争と遡行――立岩真也氏に聞く 『弱くある自由へ』」(インタビュー、聞き手:米田綱路),『図書新聞』2519:1-2→立岩[2020:359-380]
立岩 真也・定藤 邦子 編 2005/09/00 『闘争と遡行・1――於:関西+』,Kyoto Books,120p.
立岩 真也 2020/01/10 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社,536p.
立岩 真也 2021/03/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房,238p.
立岩 真也 2022/03/24 「緒言」,『遡航』1:1