1. 戦後の肢体不自由教育の経緯
戦前には、1932(昭和7)年に開校した東京市立光明学校を除いて、肢体不自由児のための学校はなく、一部小学校の通常学級や特別な学級で学ぶごく少数のものを除いて、ほとんどの肢体不自由児は就学を免除されていた★01。 戦後の肢体不自由教育は、肢体不自由児施設等に設けられた特殊学級から始まり、次いで公立養護学校の設置にともない養護学校での教育が行われていくという経緯をたどっている(文部省[1978])。その背景には、先述のように戦前の肢体不自由教育が東京市立光明学校や一部の府県の小学校に設置された特別な学級で行われていたのみで、基盤となる学校制度や教育体系が確立されていなかったことがある。 公立の肢体不自由養護学校は、非義務教育機関であったために、なかなか設置が進まなかったが、1956(昭和31)年4月に大阪府立養護学校と愛知県立養護学校が開校している。その後、1957(昭和32)年の公立養護学校整備特別措置法の全面施行、および、1960年を起点とする、養護学校の設置を促進する文部省の五か年計画の策定などを受けて養護学校の整備が進み、1969年に滋賀県立養護学校が開設されたことで全国都道府県での設置が実現した★02。 戦後草創期の肢体不自由教育は、ポリオ(脊髄性小児マヒ)、脳性マヒ、先天性股関節脱臼、骨・関節結核が主な対象であり(文部省[1982])、肢体不自由単一で障害の程度が比較的軽度のものが多かった。しかし、養護学校の整備が進むにつれて脳性マヒ児の増加が進み、1970年代半ばには養護学校在学児童生徒の約70%を脳性マヒ児が占めるようになった。脳性マヒ児の増加は、知的障害や他の障害との重複や、障害の程度の重いものの増加をもたらし、それまでの肢体不自由単一のものを対象とした教育では対応が難しくなった。
2. 『肢体不自由教育』の刊行
以上のような状況下では、学校現場の実践に役立てることができる図書や文献はあまりなく、また肢体不自由教育に関する専門誌も存在しなかった。そこで、学校現場における教育実践・教育研究の交流の場をつくることを企図して『肢体不自由教育』が刊行された。そのきっかけとなったのが、1969(昭和44)年9月に出された「『肢体不自由教育』誌の発行と日本肢体不自由教育研究会創立のよびかけ」である。
ここ十年間の肢体不自由教育の発展には目ざましいものがありますが、必ずしも内容が伴っているとはいえないと思われます。つまり、肢体不自由養護学校数や就学者数の増加という点では飛躍的発展とみることができますが、カリキュラムや指導法の検討という面からみますと、まだふじゅうぶんと思われます。したがって今後は、教育実践・教育研究という内容面の充実に力を注がなければならないと考えます。そのためには、互いの教育実践や研究の交流の場が必要になります。近年各地で研究会活動も盛んになってきましたが、それらの成果を交換し、整理するためにも肢体不自由教育関係の「中央誌」が必要です。…そのために、『肢体不自由教育』誌の編集主体および読者組織として「日本肢体不自由教育研究会」の設立を呼びかけることにいたしました(村田[1991:2-3])。
このように、『肢体不自由教育』は学校現場等における教育実践や研究の交流を図るための中央誌として、肢体不自由教育が質・量ともに充実・発展していくための重要な役割を担わされたのである。その後は、平均して年に5号が発行され、2022(令和4)年11月には第257号が発行されている。
3. 『肢体不自由教育』のアーカイブの意義
3.1 『肢体不自由教育』の資料的価値
『肢体不自由教育』は、1970年代から現在までの日本の肢体不自由教育が、対象とする子どもの変化や社会状況の変化の中で、何を課題として、どのような教育実践・教育研究を積み重ねてきたのか、どのような成果をあげてきたのかを通観する上で貴重な資料である。 今回、科学研究費「生を辿り途を探す ― 身体×社会アーカイブの構築」の一環として、『肢体不自由教育』の第1号から第189号までを入手することができた。入手のきっかけは、筆者が専門とする肢体不自由教育の研究資料の検索・収集を行っている中で、たまたまオンライン古書店で第1号から第189号までが一括で販売されているのを見つけたことであり、研究代表者である立岩真也・立命館大学大学院先端総合学術研究科教授と相談して購入した。筆者が所有する第190号以降を合わせて最新の第257号までの全冊を所有することとなった。ちなみに第1号から第189号までの価格は、177,500円である。 購入にあたり、全国の大学図書館、研究所等の保有状況を調べたが、全冊を保有しているのは国立国会図書館、独立行政法人国立特別支援教育総合研究所の他になく★03、これらを一括して保有し、目次をデータ化して公開することは、今後の肢体不自由教育研究に資する有意義な取り組みであると考える。
3.2 『肢体不自由教育』目次のデータ化
各号のページ数は概ね65ページ前後であり、これらをすべてデータ化することは、作業量や著作権の関係ですぐには難しいが、現在、発行元である日本肢体不自由教育研究会の許可を得て、全冊の目次を、テキストファイルとしてデータ化し、ウェブに掲載する作業を行っている。手順としては、筆者が所属する大学で特別支援教育を専攻する学生が手作業で各号の目次を入力し、それを5号ごとにまとめて1つのファイルとし、そのファイルを筆者がアップロード担当者に送付している。現在(2022年12月1日)は、第1号から第40号までがウェブサイトに掲載されている。それらは、以下のページからアクセスできる。
http://www.arsvi.com/m/shie19.htm
目次をデータ化することによって、いつの時期にどのようなテーマが取り上げられていたのかを簡易に通観することが可能となり、戦後の肢体不自由教育史の研究に寄与することが期待される。例えば、1960年代の後半から現在まで、肢体不自由教育では、一貫して対象児童生徒の障害の重度・重複化が大きな課題となっている。各号の目次を追っていくことで、重度・重複化がどのような課題意識のもとで取り上げられているのかが明らかになる。1970年12月発行の第5号では「重複障害児の集団形成についての一考察」という実践報告がされ、以下「重複障害児指導の試み」(第8号)、「重複障害児の作業学習」(第8号)、「重度肢体不自由児の教育-障害の重い脳性マヒ児に即して(上)(下)」(第15号・第16号)など重度・重複障害教育関連の論説や実践報告が数多く掲載されている。そして、1975年3月発行の第22号では「重複障害児の指導」という特集が組まれ、そこでは「重複障害児の教育について思うこと」、「重複障害児の教育をどう進めるか」、「重複障害児指導への提言」、「重複障害児をめぐって」という論説や、「重度脳性マヒ児の指導の実際-摂食行動の変容過程について-」、「重複障害児指導の実際-重度脳性マヒK児の場合-」、「重複障害生徒指導の実際」という実践報告が掲載されている。現在でも重度・重複障害教育関連の特集が組まれており(直近では2021年11月発行の第252号)、特集以外でも、重度・重複障害教育関連の記事は『肢体不自由教育』に数多く掲載されている。筆者自身も『肢体不自由教育』に掲載された論説や実践報告等を使用した研究を行い、その成果を発表しているが★04、肢体不自由教育における実践の変化や制度の変遷などを研究テーマとする研究者が、今後研究を進めていく際の参照資料として重要な価値を持つものであり、活用されることが期待される。
■註
- ★01 茨城や大阪、三重、熊本の各府県では小学校の中に特別な学級を設けたり、身体虚弱児や精神薄弱児の学級と併設したりしていた。これらの学級を含めて、戦前には全国でおよそ14の肢体不自由児学級に100人前後の児童が在籍していたといわれている(文部省[1978:153])。
- ★02 1969年時点での養護学校数は95校、在学者数は13,080人であった。
- ★03 大阪教育大学附属図書館が第1号から第257号までを所蔵しているが、CiNiiの情報では、第155号が欠となっており、全冊の所蔵とはなっていない。
- ★04 2023年3月発行予定の『岩手大学教育学部研究年報』第82巻に掲載予定の「 脳性まひ児の増加問題が小学校肢体不自由特殊学級に与えた影響についての考察」や、本号(『遡航』第5号)に掲載の「戦後肢体不自由教育における医療から教育へのパラダイムチェンジ」などがある。
■文献
- 文部省 1978 『特殊教育百年史』,東洋館出版社
- 文部省 1982 『肢体不自由教育の手引き』
- 村田 茂 1991 「100号発行に当たって」,『肢体不自由教育』100:2-3