1. はじめに
日本における自閉症とその周辺(知的障害等の自閉症と合併しやすい障害)への支援運動の歴史研究は数が少なく、とりわけ自閉症支援の黎明期とされる1960年代の実像はよくわかっていない。当時、国内唯一の自閉症児のための専門施設として「あすなろ学園」(三重県立高茶屋病院内、1964年1月15日設立)があり、そこに集まって来た全国の自閉症児の親と、学園の職員をはじめとする支援者たちが黎明期における運動の担い手であったことはわかっている。しかしながら、当時の運動に関する資料は断片的なものしか残っておらず、運動の具体的な内容や、担い手となる個人や組織の変遷、それらの連続性・非連続性についてはほとんどわかっていない(詳しくは別稿を参照されたい)★01。資料が乏しく研究が進んでこなかった背景を、植木 [2022b]は次のように分析している。
共通する特徴[…] 当時、関係者の間ではこれらの活動自体はわりと知られていたものである。関係者にとってはわが子との生活を守ることが最優先であったため、多種多様かつ雑多な資料を保存し活動を引き継いでいくということについては、あまりあるいは殆どの場合がこだわりなく柔軟にやってきたと思われる。なぜなら、発行人・発行責任者、事務局・編集元は、このような家庭の状況に加えて各地と各世代間をつなぐボランタリーな担い手であるからだ。 活動としては現在にいたるまで、名称や各種の組織・団体登録の変更(任意団体や非営利活動法人、一般社団法人などの法人格取得など)を経ながら継続してきている。組織・事務局機能は、一貫した所在地がなく各家庭で引き継いできた。そしてその中で多種多様な資料が十分に保存されず引き継がれてこなかった。このような点がこの種の活動体(親の会など)の特性だと考えられる。[…] おわりに[…] 自閉症児者親の会は、自閉症児・者への理解を求めた組織・活動体の1つであったことは確かである。その担い手たちは、自主的かつ積極的な活動の連なりであった。各地・各世代間をつなぐボランタリーな活動特性があったがゆえにわかっていないことも多い。親の会黎明期を知る親が会の活動から離れていったり、高齢化していたり、場合によっては死去したりするといった現状を鑑み、現在につながる過程について、その連続性を明らかにしておくことが今後の課題である。またそれは今後の実践にも役立つものと思われる。 (植木[2022b])
こうした状況のなか、2020年、あすなろ学園の「保護者と職員の会」保存資料が、自閉症児親の会とゆかりのある、あすなろ学園関係施設の倉庫にて、山積みの段ボールの中から発見された。これらの資料(群)は、あすなろ学園の後身施設にあたる「三重県立子ども心身発達医療センター」にて、「三重県自閉症協会(三重県自閉症児者の親の会)」及び「あすなろ学園関係施設(檜の里あさけ学園、おおすぎれんげの里)」とその親の会関係者に共有された★02。資料は主として①〈写真アルバム集〉、②〈文集〉、③〈新聞切り抜きファイル〉、④〈陳情書、請願書、要望書、理由書等〉に分類される。 本稿ではこれら資料のうち、保護者と職員の会が国・県・関係機関等に自閉症支援の整備を求めて運動してきた記録にあたる、④〈陳情書、請願書、要望書、理由書等〉を対象とし、黎明期である1960年代の資料を整理する。これら資料を整理することは、自閉症とその周辺への支援の制度化を果たす上で重要なアクターであったと考えられる「保護者と職員の会」(及びその支援者)組織の活動を分析するために必要である。また、当時の親の会組織と、現在の親の会(とその支援者)組織との連続性あるいは非連続性を明らかにしたり、歴史的経緯を踏まえた上で今後の自閉症支援の実践や運動のあり方を議論したりするために有用な資料となりうる。以上が本稿の目的である。
2. 1960年代、あすなろ学園の親の会らによる「陳情書、請願書、要望書、理由書」
1960年代の陳情書、請願書、要望書、理由書を年月日順にNo1~7まで並べてその特徴を表に整理した。表では、資料の種別をA:陳情書、B:請願書、C:要望書、D:理由書とした。なお、本稿で掲載する1960年代の資料にはC:要望書に分類されるものはないが、今後別稿で同様に整理する予定である1970年代以降には存在するため、本稿を含め共通の凡例A~Dで分類することとした。またNo.1は、表紙の冒頭には「陳情書」とあるが3頁には「請願」とあるため〈A・B〉いずれも該当と分類した(頁を明記した各資料の全文は、別途「arsvi.com」ホームページ内の「あすなろ学園」頁http://www.arsvi.com/o/asunaro.htm に収録する)。
以下、Noの順(年月日順)に資料を全文文字起こしして、掲載する。なお、No.1以外はすべて手書きである。資料の公開については、これら資料を管理する「親の会・施設づくり運動発起人会」メンバーであり、親の会・施設づくり運動の歴史を後世に伝える活動に取り組む「おおすぎ設立発起人会」役員の宮本隆彦に許諾を得ている(なお、★02にもこれに関する補足情報がある)。
2.1. No.1【1967年7月1日「自閉症児の教育施設等の整備に関する陳情・請願」(全国親の会)】★03
自閉症児の教育施設等の整備に関する陳情 陳情者 自閉症児親の会代表 文京区××(*原文は住所記載) 横山 佳子 他 一八〇〇〇名 (*空欄ママ)殿 自閉症児の教育施設等の整備に関する請願 昭和四十二年七月 (*空欄ママ)日 自閉症児親の会 自閉症児親の会
私達は(*行末始まりママ)本年二月二十六日、すべての児童の幸せを約束する児童憲章の精神に基づき、自閉症児についての啓蒙と治療教育、養護についての巾広い運動を行うことを目的として、自閉症児 親の会を設立し、この目的の為に、今まで各関係方面に運動して参りました。今後もたゆまず努力を続ける覚悟でございます。(*以下、改行一字空けなしママ) 自閉症は文字通り社会との交流を自ら断つ(ママ。以下同)てしまう情緒の障害で最近ようやく知能障害とは区別されるようになりましたが、まだその原因、治療法等は殆ど明らかにされておりません。しかし、自閉症児が「適切な治療教育をすれば必ず効果がある」ということだけは、学者も教育者も一様に認めて下さいます。 どうぞ社会の暖かい御理解により子供達と親の上に希望の光がさしますよう次の事項について早急に適切な措置を講じて頂きたく、ここに親の会々員、顧問、相談役の総意により請願申し上げます。 一、 公立学校に自閉症児を含めた情緒障害児のための特別学級又は実験が急を設置するようお願いします。 (理由) 自閉症児にとつて普通児との接触が一つの治療法といわれておりますので実験学級設置の際その点を御考慮願います。 二、 特殊教育綜合研究機関の設置をお願いします。 (理由) 自閉症児を含めた情緒障害児のために、その原因を追求し治療教育するための研究機関を作つて頂きたい。 その附属機関として教育部門、治療部門を設置し心理学、医学、教育学を含む共同研究の場を設け専門家の育成と研修にあたつていただくことを望みます。 三、 大学に児童精神衛生講座を設置するようお願いします。 (理由) 現在、医学課程において大学内に児童精神衛生講座はなく、医学生であつても、年に四回、六時間の講義を修得し得るだけであります。アメリカにおいては、精神医学課程を四年修得し、なお児童精神課程を二年経て、はじめて児童精神科医となり得ると聞いております。熟練した専門家がぜひ、これら研究には必要でありますから、この部門の開拓に力を注いで頂きたいのです。 四、 現在自閉症児を治療教育している諸機関に対して格別の助成をお願いします。 (理由) 現在、特志をもつた先生方が私立の機関で多くの困難に直面しながら、自閉症児の治療教育をし、効果をあげその結果、普通児に近くなつた子供も育つてきております。 しかし、一対一の人員を必要としても訓練をうけたカウンセラー、セラピストの数が少く、設備も不備の点が多々あり、先生方の個人的負担、苦労は大きなものがあります。 又、父母にとつても、その負担は大きく、週一回一時間の月謝、五千円が標準となつております。ぜひ、これら諸機関に対して適切な助成をお願いします。 請願の参考資料 一、 自閉症の現状(東京都及びその周辺地区)(*以下からこの参考資料の箇所はすべて、改行一字空けなしママ) 会に登録された児童数/ (昭和42年4月1日現在) 生年/昭和24年/男/1名/女0名/計1名 生年/昭和25年/男/0名/女0名/計0名 生年/昭和26年/男/1名/女0名/計1名 生年/昭和28年/男/3名/女0名/計3名 生年/昭和29年/男/5名/女0名/計5名 生年/昭和30年/男/2名/女1名/計3名 生年/昭和31年/男/4名/女0名/計4名 生年/昭和32年/男/15名/女3名/計18名 生年/昭和33年/男/17名/女4名/計21名 生年/昭和34年/男/31名/女6名/計37名 生年/昭和35年/男/45名/女9名/計54名 生年/昭和36年/男/21名/女7名/計28名 生年/昭和37年/男/20名/女4名/計24名 生年/昭和38年/男/6名/女1名/計7名 生年/昭和39年/男/1名/女2名/計3名 不明/男/17名/女6名/計23名 合計/男/189名/女44名/計233名 昭和36年3月以前に誕生した児童150名中、就学、未就学の別 就学/54/未就学54/不明/42 就学児童54名中普通学級、特殊学級、入級の別 普通学級/35名/特殊学級/19名 未就学児童54名中、就学免除、就学猶予の別 就学免除/9名/就学猶予/45名 この表は親の会の統計による資料で不備の点もありますが、昭和三十五年に児童数のピークがみられるのは、この時期が現在就学年令に達つしており、それまで家庭にあつて保護され、おかしいと思つても診断を受けなかつたものが就学時のテストにより判明したものと思われます。 しかし、それ以前に出生した児童が少数であることは、自閉症児と診断されず精神薄弱児又はその他の障害児としてすでに他の対策により取扱われているものとも考えられます。年令層が下になるにつれて今後の増加傾向がうかがわれるので早急な対策の必要を痛感します。 二、 自閉症児の問題点 1 就学年令以前の児童の場合 殆んどが家庭にあつて週一、二回のプレイセラピーまたは通院のみで、文字通り親は一瞬も子供から目を離すことができず神経をはりつめて生活をしております。「常同行動」「言語生活困難」「感情の爆発」「固執」など自閉症児特有の性癖になやまされる最も養育困難な時期であります。 この間、集団生活(他者との交わり)がこの子達の治療に必要であるにもかかわらず、親子共々自閉的な生活を強いられ崩壊する家庭もあります。万一、母親が病弱で養育が出来なかつたら、この子達は一日も生きて行けないと言つても過言でなく、殆どの母親が、例えば歯痛に悩まされてもその治療を受けることが出来ず、身体の疾患なども検査をうけることさえ困難であります。母子共精神衛生管理の必要な時期であります。また週一、二度のプレイセラピーによつて状態が緩和されることがわかつても、その費用で多額で週一回一時間のセラピーに五千円を要する現状であります。 2 就学出来ない状態の子供の場合 症状は多様であり、理解さえあれば入学出来ると思われるもの、また理解をもつてのぞんでも、就学は無理で、なかには家庭における養育さえ困難な者もいます。この場合本人の状態の悪い者、或は本人よりも家庭環境に問題があること等が挙げられます。例えば止むを得ず自閉症に適さない環境に入れて言語が消失し家族の見分けも出来なくなつた者の報告もあります。同様の例で本人を家庭に戻した結果、近隣から苦情が絶えず、家具はこわれ、布団は敷きつぱなし、ガラクタの中に昼間も雨戸を閉めて母親がつきつきりでいるというケースもあります。いずれにせよ、本人の症状は固定的なものではなく、変化するものと思われ、特に五~六才、十一~十二才においてこの変化が統計的に示されております。従つてかなり重症と思われるものであつてもその取扱いは慎重を要すると考えられます。 3 就学児童の場合 普通学級に入級している者が三十五名と多数のように見えますが普通学級に適応しているものは数少なく、数多の問題をかゝえながら、親の努力と教師の熱意により辛うじて支えられている現状であり、現段階の受け入れ体制では早晩何らかの問題が惹き起こされると思われます。就学児童中相当数の者が母親の付き添いのもとに出席している事実がこれを物語るものであります。現在、就学して幸運にも自己の才能を伸ばしている者もありますが、なお長期の観察が必要であり、彼等の今後を予想する時、親としては最悪の場合を考慮せずにいられません。(年令の高い者が会員中に少ないので、その実情の把握ができないのは残念です。) 4 特殊学級入級児童の場合 精神薄弱と異質の自閉症児にとつては特殊学級が、精神薄弱児を対象として一般に「訓練を主たる教育手段」としている現状から、廔々適応困難となります。 親の努力と担当教師の個人的な熱意と工夫に依存して辛うじて自閉症児に特殊学級における教育の場が与えられているに過ぎないのであります。 自閉症児親の会の現状 一、 沿革 自閉症児親の会は、昭和四十一年十二月、日本総合愛育研究所、三重県立高茶屋病院内あすなろ学園、東京都立梅ヶ丘病院、東京(私立)栄光幼稚園、慶応大学医学部、社会福祉法人嬉泉こどもの生活研究所、東京医科歯科大学、東京大学医学部分院、日本社会事業大学こども相談室、武蔵野日赤こども相談室、都立三鷹教育研究所(五十音順)等に於いて、自閉症児と診断・治療をうけている者の母親四十余名が自発的に集まり、この子供達に適切な治療と教育の場を与えてほしいと、手をつなぐべく起ち上がつたのがその母胎であります。 昭和四十二年一月十五日発足準備会をひらき、設立大会にそなえ、更にひろく呼びかけを決議し、二月二十六日には、常陸宮、同妃殿下をお迎えして設立大会をひらき、正式に「自閉症児親の会」として発足しました。 顧問三名、相談役三十七名、会員は東京、神奈川、埼玉、千葉を中心として、現在二百三十三名(児童数)であります。会は幹事二十数名により月一回(原則)幹事会をひらいてその運営にあたつております。会員に対しては、隔月(四月・六月に実施)に例会をもつて問題にみちた我が子を如何に育てるべきか、如何に社会に受け入れてもらうか。個々の大きな悩みを会全体としてまとめ、子供たちのために拓り(ママ)開くべく真剣に討議しています。なお六月初旬に会誌‶いとしご″創刊号を発行、会員相互の励ましと各方面へ自閉症の理解のために頒布、この他会報を隔月(五月に第一号発行)に発行しております。 現在、北海道、仙台、静岡、名古屋、大阪、神戸、あすなろ学園等の各地区の親の会とも連絡をとつていますが、今後も足並みを揃えて進み、近い将来、纏まつて全国組織をつくるつもりであります。 賛同者数 一万八千名
2.2. No.2【1967年12月1日「年長児病棟設置に関する理由」】★04
以下、[…]のみ筆者による中略を示す(*当該データとして実質なしを示す「0」の記述が続くため略す)。
年長児病棟設置に関する理由 はじめに 昨今 高茶屋病院に入院する児童数は (空白ママ。以下同)これを制限しようとする努力にかゝわらず 増加の一途をたどり 現在 年少児五十三名中 児童病棟で入院治療をうけているもの四十名、年少児四十一名はすべて他の病棟におかれている現状です。これら 年長児は いうまでもなく 心身ともに発達途上にありますが 年少児と同一集団としてあつかうには 知的 体力的な差が大きすぎて集団的な治療 病棟における日常生活等に 重大な問題があり 一応 現在あるような児童病棟では取扱いが不能であります。 その心性について 年長児の中でも もっとも精神的危機的状況を呈しやすいのは 十四~十五才からであり、身体的にも身長、体重、胸囲さらに循環器系、消化器系は この期間に最もよく発育し、とくに内分泌系の変化は急速著明なものがあります。 中でも 性的成熟はいちじるしく この時期におけるほとんどすべての行動特性には 性的色彩が著明に伴なうと認められるほどです。 さらに 急速に成長する身体、性欲の自覚、社会集団からの期待と規制といった問題が一挙に自我意識にめざめはじめた個体の中で意識化され 統合解決されることを要求するのであります。 そこに 反抗、自己主張 優劣の意識 孤独 煩悶 不安あるいは憧憬 期待 好意 行動化の傾向、粗暴 内閉といった精神面 行動面での不均衡状態を呈するものであります。 とくに重視すべきは、この時期において過去の乳幼児期にかけての心理的諸問題、信頼と不信、分離不安、自発性と自主への要求と罪悪感、超自我の形成、自信と劣等感 エディプス状況の問題、同一化と同一性の障害、集団同一視と孤独等数多の問題のうち未解決の部分が きわめて劇的にその困難な状況において混然として再燃してくることであります。 ・病態について(*この項は以下からすべて、改行一字空けなしママ) この時期では 精神障害といっても性格異常への傾向や、多数の神経が交錯して あらわれることが多く その特異性について診断治療上の考慮が要求されます。 たとえば 一見きわめて予後不良とみられる分裂病症状を呈するばあいも 必らずしも従来の成人における知見に合致せず 年長児独特の治療方法をとれば 一般に予後良好なるものであります。また 年少児期に発病して慢性的に経過した精神障害児にとっても この時期は 治療上大きな機会となりました。 本来 年長児期の精神障害は 成人に比較すれば 予後のよいものです。しかしながら 彼らを一般病棟においたのでは 成人分裂病群の中に 孤立 埋没せしめ症状固定にいたり、ふたたびこれを正常にもどし難いのであります。 現状について この点 春秋に富む彼らにたいする処遇の重要性はいうまでもないところですが、病棟には一般病棟に収容されることのため 彼らにたいする最も効果的治療法の一つである集団的取扱いが不可能となっているし 日常日課の学習 躾、運動、食事 娯楽の類いにしても きわめて不適切なものに終ることを余儀なくされています のみならず喫煙おぼえ 性的関心をさらに刺戟され 同性愛的行為を示唆 命令されたり あるいは 精神病質者から反社会的な感化をうけたりすることは むしろ治療的マイナスとなるものであります。 対策について 十四~十五才より 十九才までの患者は同一病棟内で治療すべきであり また彼らの特性に応じた病棟構造をとることを 要します。 近来 年長児精神障害者の増加とその対策については われわれの憂慮するところでありますが 本県においても まずとりあえず 年長児病棟を設立してその本人と親の将来に光明を与たえられんことを 切望するものであります。 三重県立高茶屋病院 一九六七年十二月 三重県立高茶屋病院児童病棟あすなろ学園 就学児状況調 昭和42年12月1日現在(*以下からすべて、改行一字空けなしママ) 院内 小1/8才/男0名:女1名[…]/10才/男2名:女1名[…]/合計/男2名:女2名 小2/9才/男2名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 小3/8才/男1名:女0名[…]/合計/男1名:女0名 小4/10才/男1名:女0名[…]12才/男1名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 小5/10才/男0名:女1名[…]/合計/男0名:女1名 小6/11才/男2名:女0名/12才/男0名:女1名[…]/合計/男2名:女1名 ●小/合計/13名 中1/14才/男2名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 中2/13才/男1名:女0名[…]/合計/男1名:女0名 中3/16才/男1名:女0名[…]/合計/男1名:女0名 ●中/合計/4名 8才/合計/2名 9才/合計/2名 10才/合計/3名 11才/合計/2名 12才/合計/2名 13才/合計/1名 14才/合計/2名 15才/合計/0名 16才/合計/1名 ●全合計/17名 院外 小1/[…]/合計/男0名:女0名 小2/8才/男2名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 小3/9才/男1名:女0名[…]/合計/男1名:女0名 小4/9才/男1名:女0名[…]11才/男1名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 小5/[…]/合計/男0名:女0名 小6/11才/男1名:女0名/12才/男1名:女0名[…]/合計/男2名:女0名 ●小/合計/8名 中1/12才/男0名:女1名[…]/14才/男1名:女2名[…] 合計/男1名:女3名 中2/[…]13才/男2名:女0名/14才/男0名:女1名/15才/男0名:女1名[…]/合計/男2名:女2名 中3/14才/男1名:女0名/15才/男2名:女3名[…]/合計/男3名:女3名 ●中/合計/14名 8才/合計/2名 9才/合計/2名 10才/合計/0名 11才/合計/2名 12才/合計/2名 13才/合計/3名 14才/合計/5名 15才/合計/6名 16才/合計/0名 ●全合計/22名
2.3. No.3【1968年9月17日「あすなろ学園 高茶屋小学校 南郊中学校 分教室建築についての陳情書」】★05
あすなろ学園 高茶屋小学校 南郊中学校 分教室建築についての陳情書 陳情者 あすなろ学園 保護者会 代表 若林 敏昭 五十鈴会 代表 寺内 靖恒 (*空欄ママ)殿 あすなろ学園 高茶屋小学校 南郊中学校 分教室建築についての陳情書 昭和四十三年九月十七日 あすなろ学園保護者の会 五十鈴会 昨年県立高茶屋病院内に自閉症児を含めた重度情緒障害をもつ 不幸な子どもたちのために分教室を設置していただきまして 親にとっては地獄で仏に あったような 本当にありがたい気持でいっぱいでございました。 憲法 児童憲章 教育基本法は すべての子どもに就学の権利を保障しておりますが教育を受ける機会は与えられましても教育を受ける適当な教室がございません。(*以下4つ、改行一字空けなしママ) 現在病棟の一部 観察室自習室の2部屋を教室にあてて授業を受けていますが 入級児がしだいに増えてきて 現在の教室では7名までが限度ですが9名が入り 身動きもできない現状では学習にもなりません。 それになるべく健康児に近い学習の機会が与えられるようになりますと 学業成績は とも角としても子どもの病状を著るしく好転させることは この道の専門家の意見の一致するところであります。(*以下、改行一字空けなしママ) あすなろ学園内分教室が設置されて以来不安な状態であった子どもたちが学校という教育の場で 想いもかけぬ成長をいたしました。親も気付かぬ成長力を たとえ病児とえども潜在させているということを あらためてしらされました。 本年より入院児童 生徒数の増加にしたがって 先生は一名増員されましたが 教育を受ける場所は以前のまゝです。 この子たちは環境によって情緒の変化が非常に強いものです。 治療にあたる場合には治療室に 運動は体育館(病院の)運動場 屋外にと変化をもたせ 不安な状態を除かせると共に いかなる場においても その場の雰囲気に適応できるように なるように 願っております。 その面から考えましても 教育の場は 教室が最適の場でると 私たち教育には全く素人の親が考えてもわかります。 私どもは 不幸な子どもをもって 社会一般の方々の想像も つかぬ苦悩をおくってまいりました。 それが昨年 全国に先がけて分教室を設置していただいてより 前途に一すじに光明を見い出しましたが あまりにも普通学校とかけはなれた名ばかりの教室ですしずめで学習している子をみるにしのびません。 せめて自由に身体が動かせ 自由に学習できる教室を建築してくださることを心から願ってやみません。 以上 三重県津市高茶屋小森町二二二五の一番地 県立高茶屋病院内
2.4. No.4【1968年9月17日「自閉症治療病院設置にかんする陳情書」】★06
自閉症治療病院設置にかんする陳情書 陳情者 あすなろ学園通園児親の会 代表 渡辺 信之 あすなろ学園保護者会 代表 若林 敏昭 五十鈴会 代表 寺内 靖恒 昭和四十三年九月十七日 三重県知事 三重県衛生部長 殿(*以下、文末に「。」なしママ、改行一字空けなしママ) 近来 児童生徒の中にいわゆる自閉症児の数が増加しておりますが これまで自閉症児をかかえながら適当な治療施設としてはあすなろ学園以外に知るところがなく しかもその入院待機ケースが山積しているという状態です(昭和四十三年八月三十一日現在八一五名)。 このままでは わたしたちの子どもは治療されないまゝに年を経ることになります さいわいにして昭和四十三年度は国の予算決定に際しようやく自閉症対策が考慮されるようになりました 本県においても なお治療をうけられずに放置されている自閉症児 とくにその年長児はきわめて多いといえます 何とぞ児童憲章第十一章「すべての児童は身体が不自由な場合 また精神の機能が不十分な場合に適切な治療と教育と保護が与えられる」の精神にもとずき(ママ) わたしたちの子どもにも適切な治療と教育を受けることができるよう 左記事項の実現を切にお願い申し上げます 一、 あすなろ学園に百二十床の自閉症児の収容入院治療施設を設置すること 二、 入院治療施設に通園治療施設を併設すること 三、 入院および通園の自閉症治療を保障するに足る人的要員を確保すること 以上 2.5. No.5【1968年11月4日「自閉症治療病院設置にかんする陳情書」】★07 以下のとおりである。 自閉症治療病院設置にかんする陳情書 陳情者 あすなろ学園通園児親の会 代表 渡辺 信之 あすなろ学園保護者会 代表 若林 敏昭 (住所 三重県津市高茶屋小森町県立高茶屋病院内) 昭和四十三年十一月四日 (*空欄ママ)殿 (*以下、改行一字空けなしママ) 近来 児童生徒の中にいわゆる情緒障害児や自閉症児の数が増加しておりますが 私たちはこうした子どもをかかえて 適当な治療施設としては あすなろ学園以外に知るところがなく しかもその入院待機ケースが山積しているという状態です(昭和四十三年八月三十一日現在八一五名) このままでは わたしたちの子どもは 治療されないまゝに 年を経ることになります。 (*以下からすべて、文末に「。」なしママ、改行一字空けなしママ) さいわいにして昭和四十三年度は国の予算決定に際し ようやく自閉症対策が考慮されるようになりました。三重県においても なお治療をうけられずに放置されている自閉症児 とくに その年長児は きわめて多いといえます 何とぞ児童憲章第十一章「すべての児童は身体が不自由な場合 また精神の機能が不十分な場合に適切な治療と教育と保護が与えられる」の精神にもとずき(ママ) わたしたちの子どもにも適切な治療と教育を受けることができるよう 左記事項の実現を切にお願い申し上げます 一、 三重県立高茶屋病院あすなろ学園に百二十床の児童入院治療病棟(うち自閉症病棟として四十床)を設置すること 二、 入院治療病棟に通園治療施設を併設すること 三、 入院および通園の自閉症治療を保障するに足る人的要員を確保すること 以上
2.6. No.6【1969年2月3日「あすなろ学園高茶屋小学校・南郊中学校分教室建築にかんする陳情書」】★08
あすなろ学園高茶屋小学校・南郊中学校分教室建築にかんする陳情書 昭和四十四年二月三日 あすなろ学園保護者会 代表 若林 敏昭 五十鈴会 代表 寺内 靖恒 (*空欄ママ)殿 昭和四十三年四月より県立高茶屋病院内に自閉症児をふくめた重度情緒障害児のため小中学校分教室を設置していただき親として感謝するところであります。その後分教室では熱意ある教師諸先生によつて大いに成果をあげているところであり 私たちも教育をうけるようになつてからの 子供たちの変化と進歩に目をみはるとともに やはりこの子供たちは教育をうける必要があつたのだということを今さらのように痛感しているわけであります。 ところが現在病院では教育をうけるに適当な教室がないため 病棟の一部 観察室(三坪)と自習室(三坪)各一室をそれに転用しているような状況であります。たとえば三坪の教室に対して教育をうけねばならぬ小学生は一七名 中学生も二十名近くおります。このためせつかく教育をうけることを制度上可能にしていただいても 実際には教室がせまくて教育の場からはみ出す子供たちが多く 身動きできぬような空間に彼等の半数をうめこんで勉強させているような現状です。 これではあまりにかわいそうですのでぜひとも規定の広さをもつた教室を建設して下さいますよう、また分級で教育をうけることのできる子供をすべて収容できるような教室を建築して下さいますようお願い申し上げる 次第でございます。
2.7. No.7【1969年7月25日「昼間通園治療施設設置に関する陳情書」】★09
三重県知事殿 三重県家族連合会 代表 寺内 靖恒 あすなろ学園家族会 代表 西(ママ) 一九六九年七月二十五日 昼間通園治療施設設置に関する陳情書 三重県においては 精神障害児をはじめ 情緒障害、行動異常 神経症の子どもの発病が年々増加しています。 唯一の専門病院である「あすなろ学園」には、すでに一,〇〇〇名の外来通園治療の希望者があります。(*以下からすべて、改行一字空けなしママ) しかし 現在では、ごく少数の者しか 外来通園治療が 受けられぬほど施設が貧弱であり、人的配置もありません。 昼間治療施設があれば短期間に 正常児と同様になり義務教育を受けて人間として成長できます。 将来能力に応じた職業を選び社会に貢献し 有用な人間として日本の経済発展の担い手にもなれます。 現状では 問題児のまゝで 義務教育も通園治療も受けられず、長年放置されております。 その結果は、本人の将来を全く希望のないものにし、廃人同様にします。 そのため 親や同胞に はかり知れぬ苦痛を与え それ以上に本人を苦しめ一生を問題児 精神障害者として送らねばなりません。 児童の精神障害児、問題児(ママ)は早期にすゝんだ治療を受ければ きわめて 治療率が高いと専門の先生からききますごとに はがゆい日々を送っております。 何とぞ事の急務と重大性を おくみ取頂きまして 児童精神障害児(ママ)のための昼間通園施設を「あすなろ学園」に設置していたゞくよう切にお願い申し上げます。
3. まとめ
本稿では、あすなろ学園の「保護者と職員の会」保存資料のうち、1960年代の陳情書、請願書、要望書、理由書の特徴を整理し、全文文字起こしを掲載した。今後の課題は、保護者と職員の会の運動が何をなし得たのか/なし得なかったのかを明らかにすることである。本稿で文字起こしした保存資料を、a. 全国の親の会の動き、b. 実践の現場の動き、c. 自閉症に関する支援の制度化の流れ、などと照らし合わせながら分析していく。分析に際しては、国会での審議・討論の議事録、親の会や施設に残された他の資料なども参照する必要がある。また、必要に応じて、当時を知るもの(その多くは亡くなったり、親及び本人の入所あるいは高齢化などの事情もあって会の活動を離れたりしているが、おぼろげながらに当時のことを伝え聞き、推察することができる親の会関係者がわずかながら存在することを確認している)から聴き取り補足をし、詳細を明らかにしていきたい。
■註
- ★01 詳しくは、植木 [2021 ; 2022a ; 2022b ; 2022c ]を参照のこと。
- ★02
本稿では参考までに、植木 [2022: 100-105]から、その要約を以下に記す。 ①本稿でみる〈陳情書、請願書、要望書、理由書等〉は、「あすなろ学園保護者と職員の会」の活動(1964年8月11日発足)とそのながれに連なる、いわゆる「自閉症児者の親の会」(日本自閉症協会とその前身、各地の(支部)活動)と「自閉症施設の親の会」(とそれを支える施設職員/支援者の会)の活動(1980年代~現在)が深くかかわる当時の施設の倉庫に、長らく山積みの段ボール箱のなかに所蔵されていた資料(群)のうちの1つで、新たに発掘されたものである。 ②この資料を入手した詳しい経緯は、植木 [2022: 103-105]の〈経緯1~3〉に記した。 ③この資料は「あすなろ学園」後身施設の「三重県立子ども心身発達医療センター」地域連携課課長(当時、現・部長)の高橋悟が2020年に(上述の〈経緯1~3〉を背景にして)段ボールをみつけて以来、これら〈陳情書、請願書、要望書、理由書等〉を随時とりまとめ、スキャンしたものである。その一覧を整理したものが表になる。 ④本稿では〈経緯〉について、簡単に紹介する。 ・筆者は、自閉症施設の黎明期を知るための聴き取りと資料収集を2004年より三重県の自閉症施設とその関係者、親の会とその周辺から進めてきた。当時は、筆者が勤めてきた「おおすぎれんげの里」の先輩施設である「あすなろ学園」、「あさけ学園」に問い合わせてもよくわからない状態であった。また資料は既に散逸しており、いずれも資料室あるいは書庫とは名ばかりの倉庫のような場所に置かれ、また引継ぎも十分にできていない状況にあった。そのなかで、「三重県自閉症協会」の活動を通じて貴重な資料が発掘され世に明るみに出る機会に恵まれた。2020年6月29 日三重県立子ども心身発達医療センター(*2017年よりあすなろ学園が再編統合化された後進施設)での出来事であった。当時三重県自閉症協会役員・前会長、おおすぎれんげの里評議員・中野喜美による報告(三重県自閉症協会[2020])によると、以下のようである。
~あすなろ学園の歴史~ 令和2年6月29日に「三重県立子ども心身発達医療センター」の高橋課長様からお誘いをいただき、「三重県立子ども心身発達医療センター」の前身である「あすなろ学園」が歩んできた資料や、その親の会の活動の記録を拝見することができました。 資料を並べていただいた部屋に入ると、昭和40年代前半のアルバムから始まり年代順にきれいに並べられていました。そして、年表までプリントしていただいてあり時代の流れがとてもよくわかります。 懐かしいとは言えないくらい私たちが知らない時代の資料は、色あせて用紙の大きさや紙質も様々で、中には、こよりで綴じてあるものもありました。 「三重県自閉症協会」の前身である、「自閉症児を守る会」が発足するもっと前から「あすなろ学園の親の会」(入院している子どもの保護者会)の活動は始まっていました。その親の会のお父さんお母さんたちが、手書きの要望書・嘆願書で行政を動かしてきてくださった軌跡がありました。感動でした! この頃の医師や職員さんたちからも、大きな後押しがあったようです。 このような先輩方の力強い活動があったからこそ、今の子どもたちの環境があるのだと感謝です! そして、資料の外側の机の上には、緑色の表紙の親の会の文集もありました。パラリとめくったページには、母親としてこどもを慈しむあたたかい言葉が綴られていました。先輩方のこどもを思うが故の資料の言葉に触れ、文集の中の母として同じ気持ちの言葉に触れ、胸が熱くなりました。 貴重な資料を残していてくださって、ありがとうございました。この度は拝見させていただきまして、ありがとうございました。 (三重県自閉症協会[2020])
上にみた「高橋課長」は地域連携室ソーシャルワーカー(社会福祉士)・高橋悟(現・部長、これをきっかけに2022年度より三重県自閉症協会顧問となる)のことで、西田寿美園長(児童精神科医、現・おおすぎれんげの里診療所所長)のもと最後のあすなろ学園史『あすなろの30年』(あすなろ学園[2016])の編集作業を中心に担った重要人物である。あすなろ学園転籍の前には「城山れんげの里」の前身の敷地建物にもあたる「県立樹心寮・県立センターはばたき」に在籍し、その当時「三重県社会福祉士会」の立ち上げ時には柳誠四郎(おおすぎれんげの里初代施設長・常務理事、現・理事長)らと活動してきた「ソーシャルワーカーの同志」的つながりでもある。 筆者は2016年あすなろ学園地域連携室を訪れた。その際、「2020年におおすぎれんげの里が設立20周年を迎えるため、それに向けた記念事業にも向けて、是非、施設設立の経緯がわかるもの、例えば親の会とか施設職員の活動に関する資料・情報について、何か収集する手がかりはないか」と申し出ていた。その背景には、施設立ち上げに人生を大半をかけてきた施設づくり運動の担い手となった親たちの高齢化があり、何とかこの歴史を紡いでいくことが大切だと感じていた筆者、そしてその大切さを教えてくれる後述する宮本隆彦ら施設づくり運動親の会発起人会主要なメンバーのわが子らへの尊い想いがあった。その想いを伝えていくなかで、そのながれで種々の困難がありながらもご協力をいただいた結果、前述の資料群(三重県自閉症協会[2020])は発掘されたものである。 高橋 [2020a , 2020b]の私信によると次のようである。
ある時、中央倉庫で探し物をしていると、たくさんの資料の中から、昭和 39 年前後からの 古い資料が見つかりました。あすなろ学園時代の保護者会の活動や当時の新聞の切り抜きなどです(高橋[2020a]、下線部筆者)。 あるきっかけがあり、中央倉庫に眠るかつてあった保護者の活動に関する資料を見つけることになった(高橋[2020b]、下線部筆者)。
・2020年10月2日にあすなろ学園(2017年再編統合化に伴い閉園)後身施設の三重県子ども心身発達医療センターにおいて、①〈個人情報の取り扱いには十分に留意したうえで〉、②〈自閉症児者のための更なる支援の発展のために共有〉し、また③〈今後も収集・保管、そして分析していくこと〉を、同センター医療連携室・高橋悟課長(当時)とおおすぎ評議員・おおすぎ連合保護者会会長・おおすぎ設立発起人会役員の宮本隆彦は合意した。その橋渡し役として筆者は同席・合意し、また、あさけ学園親の会役員で「岐阜県自閉症協会」会長(当時、現在は岐阜市支部/ブロック長)・水野佐知子にも筆者は橋渡し役として後日その経緯を伝え合意を得たものである。その後のながれで、親の会と施設設立発起人会の立場として宮本側からの働き掛けもあり、いわゆる自閉症施設関係者、とりわけおおすぎれんげの里理事長の柳誠四郎、れんげの里前納欣人施設長、三重県自閉症協会及び関係する親の会、あさけ学園近藤裕彦施設長、にて共有・保管がなされた。なおこれらの〈陳情書、請願書、要望書、理由書等〉は、他の資料とともにファイル内に保存されていたが、他と同様に劣化が著しいため高橋によって順次施設事務室によりスキャン化され保存・共有された。
- ★03
この資料は、全国親の会で初めての陳情書・請願書である。またこの資料は親の会機関紙『いとしご』3号(1969年)に紹介されたものの原型である。機関紙に紹介されたものは「会のあゆみ――昭和四十三年度の請願内容―― 〇自閉症児の教育的措置の整備に関する請願 〇自閉症児の治療施設の整備に関する請願」(自閉症児親の会[1969: 60-62])で、1968年5月19日の「第1回全国大会」をふまえたうえでの更新・増補版である。 この資料は、全国親の会で初めての陳情書・請願書である。またこの資料は親の会機関紙『いとしご』3号(1969年)に紹介されたものの原型である。機関紙に紹介されたものは「会のあゆみ――昭和四十三年度の請願内容―― 〇自閉症児の教育的措置の整備に関する請願 〇自閉症児の治療施設の整備に関する請願」(自閉症児親の会[1969: 60-62])で、1968年5月19日の「第1回全国大会」をふまえたうえでの更新・増補版である。 なお、1964年8月11日結成の「あすなろ学園保護者と職員の会」とその構成員・組織者でもあった全国各地から集まってきていた親たち、そのなかでもとりわけ日本の首都・中心地にある東京の親たちが中心的な動きの1つとなって、自閉症児の全国親の会組織化がなされた。その象徴的な出来事として、いずれも常陸宮夫妻が出席のなかで開催された1967年2月26日東京都社会福祉協議会における「自閉症児親の会」設立大会、そして翌1968年5月19日東京・青山学院大学における「自閉症児親の会」第1回全国大会である(*詳細は、植木[2022a]を参照)。 また、筆者は2020年10月10日以来、ホームページarsviの頁「あすなろ学園」http://www.arsvi.com/o/asunaro.htm に新聞社のデータベースではアクセスしづらい貴重な当時の新聞記事を文字起こし作業を実施し、収録・増補してきているため、あわせて参照されたい。
- ★04
表では〈宛先〉欄に「記載なし(国・県・関係機関)」と整理したが、各方面に親の会、職員の会、そして支援関係者はこの「理由書」を配布あるいは送付して理解を求めたと思われる。またNo.1、No.3~No.7およびその他に、附録資料として活用した可能性も考えられる。
- ★05
日本で初めての情緒障害児学級は、1969年10月に開設した東京都杉並区立堀之内小学校内の堀之内学級(情緒障害特殊学級)であるといわれる。しかしその前段階として、このあすなろ学園の院内教育保障の取り組みと、この種の陳情活動、教育権保障運動があったことは、現在、教育関係者の間においてもほとんど知られていない。 あすなろ学園保護者と職員の会の機関紙「あすなろ学園保護者と職員の会々報 No.7」をみると、1967年3月15日発行の段階では、1967年4月に制度化が実現した日本初の「情緒障害児学級(実験)」の前段階としてすでに試行的に〈院内への教員派遣〉が実現しているようである(あすなろ学園保護者と職員の会 [1967])。 また、病院内に学級設置と教員派遣の陳情は、あすなろ学園設立前1962年末頃からなされていた。参考までに高橋 [2020c]を引用する。
情緒障害児学級の認可 義務教育期間の児童・生徒に入院治療を提供するためには学校教育の保障が必要である。また、どんな障害があっても学校教育が必要かつ有効であるという基本理念をあすなろ学園は発足当初から掲げ、病棟内学級を巡って1962年末から県教育委員会および津市に陳情が続けられた。結局、学園発足時には院内に教室を作ることは間に合わず、翌年4月より地元の津市立高茶屋小学校、同南郊中学校へあすなろから通学することになった。 発足から3年を経過した1967年、高茶屋病院内に待望の分教室が津市教育委員会より認可され(小・中各1教室)、文部省の「情緒障害児指定校」として設置されるとと もに、1969年4月には我が国初の「情緒障害児学級」の一つとして発足した(高橋 [2022c])。
他、詳細は植木 [2022a]を参照のこと。 また、文部省担当者が〈自閉症を特殊(障害児)教育に含めた情緒障害児学級を「あすなろ学園」に実験学級に指定して、自閉症児の教育内容などの研究をお願いしている〉というふうなことを述べている記事(*1968月2月15日読売新聞)については、前述のホームページarsviの頁「あすなろ学園」http://www.arsvi.com/o/asunaro.htm に収録しているため参照されたい。該当箇所は次のようである。
まだまだ少ない専門医// 文部省初等中等教育局寒川英希特殊教育課長 「自閉症児の教育は、これからの特殊教育の新しい課題です。親御さんの気持ちを思うと現状は残念ながら申しわけないとしかいいようがない。統一的な指導はできかねている段階で、いまのところ就学させるかどうかは、学校あるいは教育委員会で個別に処置、個々のケースごとに解決をゆだねざるを得ない状況です。文部省としては三重県津市の県立高茶屋病院内にある小中各一学級の〝あすなろ学園″を実験学級に指定し、自閉症児の教育内容、方法あるいは教育効果の研究をお願いしているところ。これが具体的に手をつけたものとしては全国で一か所、はじめての試みです。また実態調査も今年度はじめて行なったばかりでいま集計中です。特殊教育の総合研究機関といったものを作る構想を立てているところです」 (*下線部、筆者)
- ★06
こういった運動がもととなって、1970年厚生省通知文書による「自閉症児療育事業実施要項」でいわゆる〈3公立病院の自閉症児施設「指定化」〉(*東京都立梅ヶ丘病院、三重県立高茶屋病院あすなろ学園、大阪府立中宮病院松心園)がなされた。その後、1980年児童福祉法改正によって自閉症児施設は、精神薄弱児施設種別の1つとして正式に(いわゆる〈通知・通達文書〉といったかたちではなく)〈法律上明記〉されたかたちで「自閉症児施設(医療型(第1種)、福祉型(第2種))」として「制度化」される。
- ★07
No.4の宛先は「三重県知事 三重県衛生部長 殿」となっている一方でこちらのNo.5のそれは「(*空欄ママ)殿」となっているが、その他はまったく同じ内容の文書である。これは、1.1の表で示したように、「(*空欄ママ)殿」の宛先には「国・県・関係機関」の具体名を記入しながら、各方面へ陳情・配布し、運動してきたものの痕跡である。
- ★08
「五十鈴会」は、あすなろ学園(分院)の本院にあたる高茶屋病院の家族会のことである。あすなろ学園の親の会は、この高茶屋病院の家族会とともに、種々の要求活動や運動を協力して行ってきた。高茶屋病院は、家族会の組織化や地域連携にも力を入れてきた。詳しくは別稿で論じることとする。
- ★09
外来というかたちでこの要求にある実践・取り組みはなされてきたようだが、この実践・運動が1つの起点となって、自閉症やその周辺の精神科領域での対処(治療・連携・支援)が必要な(情緒)知的・発達障害児を含めた障害児通園事業、児童デイケア、児童デイサービス、等の地域障害児療育や児童発達支援の取り組みへと展開していく。
■文献
- あすなろ学園保護者と職員の会 1967 「あすなろ学園保護者と職員の会々報 No.7」(1967年3月15日発行)
- 自閉症児親の会 1969 『いとしご』(3) (1969年1月20日発行)
- 三重県自閉症協会 2020 「おしらせ」,『三重県自閉症協会ホームページ』(2020年9月20日取得,http://www.ztv.ne.jp/tbatuhk3/miejihei/osirase.html )(*現在、非掲載)
- 高橋悟 2020a 「メモ/あすなろの成り立ちに関して」(2020年8月21日(私信))
- ———— 2020b 「メモ/あすなろ022」(2020年9月15日(私信))
- ———— 2020c 「メモ(便り 資料)/あすなろ学園分離独立までの歴史」(2020年10月9日(私信))
- 植木 是 2021 「自閉症児の親の会(日本自閉症協会)の前史的活動に関する一考察 ――1964年設立の三重県あすなろ学園とその親の会関係資料から」, 障害学会第18回大会
- ———— 2022a 「1960年代の黎明期自閉症児の親の会と全国組織化の過程――三重県あすなろ学園とその親の会、および「自閉症児親の会」の関係資料から」,『立命館生存学研究』(6): 117-127
- ———— 2022b 「1980年代三重県あすなろ学園とその周辺からみる自閉症児・者の親の会の活動——「自閉症施設法人(社福)おおすぎ・れんげの里資料室」(仮称)設立準備室の担い手、宮本隆彦の所蔵資料集から」,障害学会第19回大会
- ———— 2022c 「1964年、「あすなろ学園」の開設はどのように報じられたのか――「保護者と職員の会」の保存資料から」,『遡航』4: 100-118