【論文(査読無し)】 資料 1960年代、どのように国会で「自閉症」に関する
議論がなされたのか・2 ───1967年6月7日国会「『自閉症』に関する2回目の質疑」と当時日本唯一とされた自閉症施設「あすなろ学園」 植木 是(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
2023.04 『遡航』007号 pp.57-80
1960年代、「自閉症」を巡る国会議論、三重県あすなろ学園、自閉症児の親の会、社会運動とつながりのある労組出身の政治家・島本虎三
要旨

本稿では本誌前号掲載の拙稿に引き続き1960年代にどのように国会で「自閉症」に関する議論がなされたのか、その発端について、とりわけ2回目の国会議論を明らかにしていくことを目的とする。自閉症が2回目に国会に登場したのは、1回目の「1967年5月25日55回衆議院会議録文教委員会36号」から13日後、「1967年6月7日55回衆議院会議録社会労働委員会17号」のことである。6月7日の国会では、当時野党だった社会党議員島本虎三が、厚生大臣及び厚生官僚に対して、日本の自閉症問題とその対処を巡る質疑応答を、三重県立高茶屋病院内の三重県あすなろ学園や親の会設立の紹介なども交えて具体的に展開する。島本の地元・北海道と三重県には、親の会、施設要職、政治家などのつながりがあったことから、島本があすなろ学園の職員や入所児童の親たちからの陳情を受けた可能性はあり、国会答弁に先立って、国に自閉症への対処を急ぐよう働きかけていたという推測もできる。国政の場で自閉症児とその家族の問題が具体的に取り上げられたこと――全国から自閉症児とその家族が集まって来たあすなろ学園の親の会と職員、支援者たちが抱える問題を知らせた――をきっかけとして、その後、自閉症問題は地方の一公立病院が抱える患者の院内処遇問題ではなく全国規模の社会問題として捉えられはじめる。つまりこの質疑応答は、それまで制度の狭間にあった自閉症とその周辺の障害を支援対象とする制度の具体化、施策実現に向けてのきっかけをつくったものとして大きな意義があるといえる。

1. はじめに

本稿は、『遡航』006号に掲載の拙稿(植木[2023])の続報――その2、である。引き続き、ウェブサイト「国会議事録検索システム」により、1960年代「自閉症」を検索した結果から得られた「保存発掘資料一覧」(全41件)について、その一部(No.1~No.20)を報告する(*なお、本稿で報告する各資料の全文は、別途「arsvi.com」ホームページ内の「あすなろ学園」頁http://www.arsvi.com/o/asunaro.htmに収録する)。  なお本稿は続報であり、前述の資料一覧の表(植木[2023:148-157])および資料の全体的な位置づけと前編からの連続性については、拙稿(植木[2023:147-177])(*とりわけ1章、2章、註の★03~★05)に詳述のため、略す/参照されたい。  また、議員他がどういう人であるのか、詳しくは上にある植木[2023:165-168](その1)に記した。本稿の3.1および註でその補足を記す。

2. 1967年6月7日国会における〈「自閉症」2回目の質疑記録〉、および〈当時日本唯一とされた自閉症施設「あすなろ学園」初出記録〉

それでは、つぎに前編の2章で表に示した議事録(植木[2023:148-157])の詳細をみていく。本稿は、国会における〈「自閉症」2回目の質疑記録〉および〈当時日本唯一とされた自閉症施設「あすなろ学園」初出記録〉にあたる【No.2】について取り上げる。

2.1. No.2「1967(昭和42)年6月7日 第55回国会 衆議院 社会労働委員会 第17号」

以下、「自閉症」に関する議論が開始される発言番号「028」〈島本虎三〉から、この議論の終わりにあたる発言番号「055」〈島本虎三〉までを全文掲載する。  なお、筆者により「自閉症」(「幼児自閉症」「自閉症児」「自閉様症状」を含む)というワード、そして当時日本唯一とされた自閉症施設「三重県立あすなろ学園」について述べている部分に下線を付した。  「自閉症」(「幼児自閉症」「自閉症児」「自閉様症状」を含む)ということばが記録されているのは39回である。

2.2. No.2の「自閉症」質疑応答に該当する会議録全文

028 島本虎三 ○島本委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案、この審議に入っておりますが、私もこの内容にわたって十分聞いてまいりたいと思います。  その前に、前から申し入れて、もう準備されてあると思いますけれども、厚生大臣に最近起こっておる事象について伺いたいと思います。  それは、東京をはじめとして、名古屋、大阪、その方面に発生し、現在北海道、札幌にまで蔓延しておる幼児自閉症、こういうようなものがあるようでございます。これは、ある日突然に子供がしゃべらなくなってしまって、名を呼ばれても返答もしなくなり、ほとんどのことに無関心を示すようになる、こういう病気だそうであります。そうして自分のからにこもって人間関係をまず断絶してしまうというようなふしぎな子供になってしまうわけです。これは自閉症児と呼ばれておるそうでありますけれども、いままでは精神薄弱と一緒に考えられておったけれども、最近そうではないということになって、これに対し新しい傾向が出されておるようでございます。厚生省のほうでも、中央児童福祉審議会の心身障害児部会のほうを通じまして、十分これを検討しその成果をおさめておると聞いたのは二年前であります。現在までその結果的な発表もされないうちに、もうすでに北海道にまで自閉症児のこういうような症状が蔓延しておるという事態に対しては、厚生省のほうとして十分その対策を考えなければならない状態ではないかと思うが、厚生省は、こういうような事態に対してどういうふうにしておったか、こういうような事態はどういうことなのか、ひとつ御発表願いたいと思うのです。 029 坊秀男 ○坊国務大臣 近ごろ、お話しのごとく、小児に自閉症と称する一種の病気が起こっておるということは、私も承知いたしております。そこで、これは精神薄弱ということでなしに、一種の神経病ということに考えられておりますが、社会がだんだん複雑になってきて、われわれの生活も非常に多岐になっており、父兄も非常に複雑な生活をしなければならないというようなことになってきて、こういったような症状を子供が呈することになったものだと思いますが、その自閉症を呈する児童につきましては、現在学問的な定説が確立しておるというところまでまだいっておりませんが、小児精神病院、児童相談所等でその治療が試みられておりますが、これと並行して、その対策を厚生省といたしましては鋭意検討をいたしておる段階でございます。 030 島本虎三 ○島本委員 そういうような症状を呈する子供が順次ふえてきておるということは、大体新聞その他でわかり、いまの大臣の答弁によって了解できるわけであります。しかし、それに対しても、どれほどの人員がいまいるのか、それに対する一つの特効薬と申しますか、完全な施策があるのか、こういうようなことも問題になろうかと思いますが、その自閉症児の数は幾らぐらいになっておりますか。 031 渥美節夫 ○渥美政府委員 先生御指摘のような自閉症に関するいろいろな問題が世界各国において取り上げられたというのは、学問の領域におきましてはきわめて新しいことであるといわれております。したがいまして、一九四七年にアメリカなりオーストリアあたりでこういった自閉症に関する報告が出されております。そういうふうな意味で、病気といたしましては非常に新しい範疇に属するわけであります。わが国におきまして、自閉症についての学会に対する報告が行なわれましたのは一九五二年でございますから、十三、四年くらい前で、これも非常に新しいわけでございます。そういうふうな意味で、この自閉症に関する原因の追及でありますとか、あるいは療法の確立とかいう点は、なおまだ未開拓の分野に属しております。したがいまして、先生御質問のように、自閉症の子供が何人おるかという点につきましては、まだ実態調査等もできておりません。ある都会におきまして一部調べてみたという報告がありますが、これにつきましても、ほんとうにそれが自閉症であったのか、あるいは自閉様症状の子供であったのかはっきりしておりませんので、数の把握については目下のところ行なわれておりませんし、また、先ほど申し上げましたように、この自閉症に関して取り組んでいらっしゃる医者なり研究者なり、あるいは心理学者等も非常に限られておりますので、なかなか実態の把握が困難であるという状態でございます。  さて、第二の御質問の自閉症に対する療法はどうかということでございますが、一般の精神障害者に行なわれております薬物療法でございますとか、あるいは刺激療法といった療法につきましては、自閉症の子供たちに対してはほとんどきかないということが、いま一生懸命研究をされている学者からは報告されておるわけでございます。したがいまして、こういった子供に対する療法は、主として心理療法、たとえば集団療法でありますとか、あるいは遊戯療法でありますとか、こういった心理療法、特に重症の子供に対しましては、一対一の心理療法を行なっているというようなことでございます。したがって、まだ療法につきましても確立されたものはない、そういった程度のやり方が主としていま行なわれているということでございまして、私どもといたしましても、先生お触れになられましたように、中央児童福祉審議会のこういった心身障害児の関係の部会におきまして、この自閉症の子供たちあるいは自閉様症状を呈する子供たちに対する対策の検討をお願いをしておりますが、まだ結論は得られないという、いわばいままさに開拓中の分野である。したがって、それに応じまして施策も検討していかなくちゃいけない、かように考えております。 032 島本虎三 ○島本委員 これは、現在の複雑な社会構成からしてみると、それがすべて子供にしわ寄せをされた上での現象でございますから、すでに十数年前、二十年前からこれが発生し、この対策には、もうすでに二年前から厚生省としても目をつけておったはずなんであります。しかしながら、いまにしてそういうような状態だとすれば、心細いきわみだと思う。しかし、十八歳未満の精薄児約九十万名の一〇%くらい、約九万名くらいおるというような調査もあるかと思えば、三千名ともまた三万名くらいともいわれておるわけであります。どうしてこれがつかめないのか。こういうようなことは厚生省だけの問題ではない。これは同時に文部省の問題にもなってくるのじゃないのか。もちろん学校にも行けなくなる。学校の義務教育なんかの面に対してはどうなっているのか。こういうふうな面に対しては重大な問題にもなると思うのですが、これは厚生省は文部省その他とも連携をとりながら対策を講じておりますかどうか、この点はひとつはっきりお聞かせを願いたいと思うのです。 033 渥美節夫 ○渥美政府委員 先ほど申し上げましたように、自閉症及び自閉様の症状を呈する子供たちに対しましては、まことに残念でございますが、現在のところ、ある幾つかの精神病院でございますとか、あるいは民間の精神病院でございますとか、あるいは大学の付属病院でございますとか、あるいは特殊な心理学者、精神神経科の医学者、こういった方々が目下きわめて努力的に研究、検討をされておるというふうな状況でございます。もちろんこういった子供たちが相当おるということも事実でございまして、現在のところ、たとえば私どもの所管におきましては、児童相談所の窓口をたたきに来られるわけでございますので、児童相談所におきまして、いろいろと面接しあるいは的確な治療等も行なっているわけでございます。しかしながら、体系的にこういった子供たちに対する対策をどうするかということについては、先ほど申し上げましたように、まだ検討中であるということでございます。もちろんこういった子供たちは、二、三歳あるいはおそくて五、六歳になりますとこういった症状を呈するわけでございまして、非常に重い子供については学校教育が困難でございます。したがいまして、大体学齢期におきましては、地方におきまして、児童相談所なりが地方の教育委員会等と十分連絡いたしまして適切な指導をするということは、私どもといたしましても言ってやっているわけでございます。 034 島本虎三 ○島本委員 文部省のほうでは、こういうような特殊児童に対して、就学の問題とか教育上のいろいろな困難性の問題等があろうかと思うのですが、いままではどういうような対策を講じておりましたか。 035 寒川英希 ○寒川説明員 自閉症児に対する教育の面におきます取り扱いあるいは教育の方法等につきましては、未解明の問題がなおたくさんございまして困難でございますから、そこで、一般にどうするかというようなことについては、まだ扱いは統一してございません。三重県の津市にございます重度の情緒障害児を収容しておりますあすなろ学園というのがございますが、そこを文部省指定の実験学校にいたしまして、この子供たちの教育の効果的な方法がないか、あるいは内容をどうするかというふうなことについて、研究を開始したわけでございます。それとともに、学齢児童、生徒の中にこういった子供たちが何人いるかといった実態をつかみたいということで、情緒障害児の問題とともに、この自閉症児も含めた実態調査を本年度いたすべく予算措置をし、その調査に取りかかっております。そういった実態を明らかにいたしまして、なお、何としてもその教育の基本となりますのは学問の力による研究の成果であろうと思いますから、そういった研究の施設についても調査を進めまして、今後できる限りの努力をし、教育の道が開かれますようにいたしてまいりたいと考えております。 036 島本虎三 ○島本委員 三重県のその重度の障害児を収容している施設、それは国立ですか。どこの建物ですか。 037 寒川英希 ○寒川説明員 県立であります。 038 島本虎三 ○島本委員 国立ではどういう建物があるのですか。国立ではこういうような研究機関や施設はないのですか。 039 寒川英希 ○寒川説明員 東大、あるいはお茶の水女子大、あるいは慶応大学等その他の大学において、学者が個々の立場において研究に取り組んでいる状況でございます。 040 島本虎三 ○島本委員 言っていることにもっと自信を持って言ってもらいたい。どうもそれではだめです。  大臣、ちょっとあなたに一つ聞きたいのです。それは昭和四十二年二月二十六日午後一時、東京都文京区小日向町の社会福祉会館に、自閉症親の会、これで約三百名ほどの都内の関係ある母親が集まって、そしてそこで、学齢期に達してもいわば学校から締め出される子の悩み、それから片時も目を離せないという親の悩み、専門の学校や病院もないという、こういうような実態を涙ながらに訴えていたその場所に、ちょうど常陸宮御夫妻も来ておったそうですが、その前で文部大臣と厚生大臣がこれに対してはっきり祝辞を申し上げているのです。それは専門の学校、専門の病院をつくるようにつとめる、こういうように、代理ではございますが、大臣、あなたそこで祝辞を言っているのです。厚生省はこの問題に真剣に取っ組むと言明してから二年もたっているのに何にもやらないで、いま聞いたら県立のところで収容するような施設しかやってない。私はこんなことはあまり言いたくありませんけれども、これはどうですか。そこへ来て、これは常陸宮御夫妻もいるその前で、皆さんはっきり言っているではありませんか。文部大臣、厚生大臣、いかに代理だとは言いながら、あなたの責任で言っているのです。それを何もしないで、施設もない。これだったらだめじゃありませんか。どうなんですか。けしからぬじゃありませんか。 041 渥美節夫 ○渥美政府委員 私、先ほど来、その自閉症の問題に対しましては、未開拓な分野があって、いま、きわめて数少ない医者なり、あるいは研究者なり、あるいは心理学者等が、一生懸命努力しているというふうなことを申し上げたのでございますが、現実問題といたしまして、こういった子供たちが相当おることも事実でございます。したがいまして、たとえば児童相談所の窓口におきまして、いろいろと週二回ぐらいの指導を継続的にする。あるいはまた、この自閉症とは異質といいますか、違う立場にありますが、情緒障害児短期治療施設という施設も、児童福祉法における制度として全国に五カ所ばかりありますが、こういった情緒障害児短期治療施設におきましても、数名の自閉症の子供たちに対しての収容、指導を行なっておりますとか、あるいはまた国立の精神療養所等におきましても、また県立の精神病院等におきましても、また民間のそういった児童の相談機関というのがございますが、そういったところにおきましても、事実問題といたしましては、こういった子供たちに対します通院あるいは入所の指導は行なっておるわけでございます。したがって、私が申し上げたのは、こういった自閉症の子供に対しまして、法律制度といたしまして、あるいは行政施策といたしまして、全国統一的にどういうふうに対策を講じていくかという、そういった対策全般につきましては目下検討中である、こういうふうに申し上げたのでございます。  この二月でございましたか、自閉症を持つ親の会の方々からいろいろと御要望がございまして、私どもにおきましても、自閉症の子供たちに対する制度的な対策をどうすればいいかということにつきましては、そういう意味で目下検討しておりまして、なるべく早くその学者方の研究成果もお聞きいたしまして、対策を講じなければならないという気持ちであることには全く変わりがないのでございまして、早く学者方の意見を取りまとめまして積極的な前向きの対策を講じたい、かように思っておるわけでございます。 042 島本虎三 ○島本委員 いませっかくそういうふうにおっしゃっていただいたのですが、きのうもよく厚生省のあなたの部下にこの対策を聞いてみたのです。ところが、これはもう児童福祉法四十三条の四によって情緒障害児短期治療施設としてあるので、いま言っている自閉症の問題としてこれを使用しておりませんという答えであった。あなたの答弁は、これを使用しているという答弁ですね。これはおかしいじゃありませんか。全国に五カ所、長野、大阪、京都、岡山、静岡、こういうようなところであるということもあなたの部下から聞いて知っているのです。私のほうでは、いまこの自閉症児もこの中に入れてやってもらいたいということをあなたに言おうと思ったら、あなた先に言ってしまったから、それでいいのです。これはやってもらいたい。ところが、きのう現在、あなたの部下は入れていませんと言っているんです。考えていませんと言っているんです。けしからぬですよ、これは。あなただめですよ、その場当たりでいいことばかり言っても。 043 渥美節夫 ○渥美政府委員 先ほど私の答弁の中で申し上げましたように、自閉症と情緒障害児との質的な差があることは、学問的にも言われておるわけでございます。自閉症自体は精神障害の一つの型といわれております。しかしながら、情緒障害児につきましては、むしろそういった精神病のような疾病ではございませんで、家庭での養育関係でありますとかあるいは親子関係のあり方から、感情にむらが多くて社会の適応性に欠けるという子供たちを、私どもは情緒障害児と呼びまして、情緒障害児短期治療施設の中に収容してやっているわけでございます。しかし、この自閉症の子供たちの中に、やはりどうしても早く治療しなければならないというような問題もございまして、この情緒障害児短期治療施設の中に自閉症の子供も数名入れておるわけでございますが、その数は情緒障害児収容施設の定数二百五十名の中でほんの数名であるというようなことになっております。それは先ほど御説明申し上げましたように、情緒障害児に対しまする指導内容と自閉症に対する治療内容とが相当変わっておりまして、むしろ自閉症の子供に対しましては、特に重症な方に対しては一対一の看護をしなくてはならない。これに対しまして情緒障害児の場合は、カウンセラー、セラピストが十人に一人という程度でこの治療、指導に当たっているわけでございまして、したがって指導内容が違いますので、情緒障害児短期治療施設におきまして自閉症の子供をなおすというようなことにはまだ相当困難がございまして、むしろ自閉症の子供に対しましては、独特の施設なり独特の病院等を用意するというほうが、子供のためにはしあわせであろう、こういうのが学者方のいままでの考え方の一端であろう、かように考えております。 044 島本虎三 ○島本委員 したがって私のほうでは、いまあなたおっしゃったような、パーセンテージは低いけれども、精薄児として来た者の中にそれほどおったということで、こういうような人たちは、さがしたならば全国でこれまたどれほどいるかまだわからない、数もつかめないという段階で、ほんの何人かいたこれだけの対策も不十分である。これで宮さまのいる前で、文部大臣はじめ厚生大臣は、ちゃんと施設(ママ。「施策」の誤植と思われる)★01をやって万全を期する、努力いたしますと言っているが、二年この方何もやらないでいた、こういうような実態が明らかになったわけです。これではやはりいけません。文部省のほうも、いま学童で義務教育を受けに行くこともできない子供をそのままに放置しておくなんてことは不見識ですよ。もっともっと研究して、こういう人がないようにしなければならないはずなんです。私どものほうでは、こういうような点からして大臣に特に期待しておきます。あなた、祝辞の中で言ったそのことを明確に実現してもらいたい。それから文部省のほうには、これもそのとき学校のほうではちゃんと施設(ママ。「施策」の誤植と思われる)★01を講じますと言っていますから、このとおりに完全に講ずるようにしてもらいたい、こう思うのです。これではやはりいけませんから、大臣、この点ははっきりしてもらいたいのですが、どうですか。 045 坊秀男 ○坊国務大臣 新しく出てまいりましたこういうふしあわせな病気に対しましては、おっしゃられるとおりでございまして、これに対する対策というものは早急に考えてまいらなければならない、研究、検討を鋭意急いでまいりたいと思います。 046 島本虎三 ○島本委員 それでは、これはすぐやるということに了解して次に進めていきたいと思いますが、よろしゅうございますか。 047 坊秀男 ○坊国務大臣 予算の関係等もございまするので、予算、財政等とも勘案いたしまして、できるだけのことをしたいと思います。 048 島本虎三 ○島本委員 とりあえずやるのは、児童福祉法四十三条の四によるこの施設等にも、拡大してまずやる。いますぐでもできますから、これはすぐやらせるように配慮する。それともう一つは、児の就学については文部省と十分検討して万全を期する。教育施設はもちろん完備しなければならないことは申すまでもありません。完全受療体制の確立、これあたりはやはり皆さんもはっきり考えておかなければならないけれども、行政的な配慮、学問的な研究も十分する。この四つの問題を含めて今後万全を期さなければならないはずのものです。研究中であるとするならば、いつの日にかこれができるかわかりませんので、いまもう現実の問題としてこれは発生しているのですから、北はもう北海道まで蔓延しているのですから、こういうような問題は手をこまねいて漫然としているわけにいかない問題です。ですから、いま言った四つの問題について、これは予算を早く獲得して早急に実施すべきである、こういうように思うのですが、厚生大臣はじめ文部省のこれに対する意見をはっきり言っておいてもらいたい。これでいいというならばやめますけれども、だめならもう少しやります。 049 寒川英希 ○寒川説明員 自閉症の子供は、現在、小学校あるいは中学校に就学可能の者は就学しておるわけでございます。現に担当教師が、いろいろ困難ではありますが、そういった中において何とか教育の効果をあげたいということで、努力しておりますのが現状でございます。問題は、この子供たちに対する効果的な方法を研究し、できる限り手厚い教育の措置を講じたい、そういう方向に進めたいということについては、なおいろいろ努力を重ねなければいけないというふうに考えておる次第でございます。 050 坊秀男 ○坊国務大臣 先ほどお答え申し上げましたが……(島本委員「常陸宮の前であなたはっきり言ったのだよ」と呼ぶ)私も申し上げましたが、この問題につきましては、重大なる問題と私も考えますので、いずれにいたしましても、財政、予算等の伴う問題でございますので、そういった問題と勘案して前向きに私は考えたい、かように思っております。 051 島本虎三 ○島本委員 それでは、前向きにやるということは、いま言った四条件を検討して早く予算措置を講ずることであるというふうに読みかえておきたいと思いますが、これでいいですね。その時期は来年度である……。 052 坊秀男 ○坊国務大臣 予算の問題でございますので、予算編成という一つの問題がございますから、私は努力はいたします。予算編成に努力をいたします。こういうことでございます。 053 島本虎三 ○島本委員 文部大臣にもこういうことを言って――言ってといっては失礼ですが、閣議あたりでも、こういうように問題がきわめて重大な問題であるから、今後も善処するようにと、あなたからこの点ははっきり確約しておいていただきたいと思いますが、来ているのはその方面の課長でございますから、閣僚としてあなたこの点は十分万全を期してもらいたいと思いますが、よろしゅうございますか。 054 坊秀男 ○坊国務大臣 予算の問題は、予算編成方針というものをつくりますから、その編成方針作成に際しまして私は発言をいたします。 055 島本虎三 ○島本委員 それでは、この問題は、次の機会にその成果を見るまでは私は手をゆるめませんから、早く成果を見せるようにしてやってもらいたいと思います。  自閉症の問題はこの程度にして、今度は次に移らしていただきたいと思います。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の内容でございますけれども、このいろいろな援護の拡充の中に、項症、款症、目症といろいろあるのですが、これは会計用語の款項目と似ているのですが、これを款症、項症、目症、こういうようにしたのはどこにめどがあるのですか。 […]

3. 国会における自閉症の出現背景―2

上記から、島本が「自閉症」の具体的な処遇問題に焦点を当てた議論を初めて国会内で展開したことがわかる。ここで引き出された答弁内容によれば、当時、国は、「小児に自閉症と称する一種の病気が起こって」いると認識していた。そして、「これは精神薄弱ということでなしに、一種の神経病ということに考えられておりますが、社会がだんだん複雑になってきて、われわれの生活も非常に多岐になっており、父兄も非常に複雑な生活をしなければならないというようなことになってきて、こういったような症状を子供が呈することになったものだと思」うと述べている。「その自閉症を呈する児童につ」いては、「現在学問的な定説が確立しておるというところまでまだいって」いないが、「小児精神病院、児童相談所等でその治療が試みられて」おり、「これと並行して、その対策を厚生省といたしましては鋭意検討をいたしておる段階」にあった、ということがわかる。  またこのなかでは具体的に自閉症に対処し得る施設として三重県津市の県立高茶屋病院の「あすなろ学園」の事例をあげているが、一地方自治体が対処し得る問題ではなく、全国的な広がりをもつ社会問題として取り上げる必要性を強調しており、国の対処を求める議論を展開していく契機となったと考えてもよい。

3.1. 発言者のプロフィール

さて、つぎに発言順に①~④、4名の発言者のプロフィールを以下、列記する。

①「島本 虎三」(しまもと とらぞう、1914年6月20日生~1989年11月10日没)は、北海道高島郡高島町(現小樽市)生まれの日本社会党所属の衆議院議員(通算5期)である。札幌逓信講習所を卒業し札幌郵便局電信課、小樽郵便局電信課に勤務、終戦後1946年、結成されたばかりの小樽郵便局労働組合執行委員となり、翌1947年12月小樽全官公庁労働組合協議会の初代議長(1958年8月まで連続11期)となる。1979年9月7日、衆議院解散に伴い衆議院議員を引退。同年9月14日北海道余市郡仁木町長・岡武夫が死去したことに伴い、同年11月の同町長選挙に出馬し初当選、地方首長へ転身する。以来1987年まで仁木町長を務める(島本[1988:200-217])。国会では一貫して公害問題を追及し、「公害の島虎」で鳴らし、公害、労働問題では第一人者と目され歴代の環境庁長官や政務次官他が島本からレクチャーを受けたともいわれる(高木[2022a:72-74])★02 ★03。60年安保直後に国会に出てから仁木町長時代にいたるまで、政策面のブレーンには労働問題・労使関係論が専門の高木郁郎★04 がいた(島本[1988:8])★05 ★06。 ②「坊 秀男」(ぼう ひでお、1904年6月25日生~1990年8月8日没)は、和歌山県伊都郡出身の自由民主党所属の衆議院議員(通算11期)である。東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、都新聞、東京日日新聞記者を経て大政翼賛会財務部副部長を務めた。戦前大蔵省詰めの新聞記者であったことから財政関係の著述も多く、特に戦後自らが社長を務めた財経詳報社が発行する『財経詳報』に多くの論考を寄せている。その内容は自民党税制調査会に長らく関与していたこともあり、税制に関するものが大半である(若月[2015:87] 国立国会図書館憲政資料室[2015])。戦後1952年公職追放を解かれてから政界復帰する。財政政策に詳しく衆議院大蔵委員会理事、大蔵政務次官(第1次岸改造内閣)、自由民主党税制調査会長、厚生大臣(第44代)、大蔵大臣(第81代)などを歴任した(憲政資料室[2023])。空手道8段で日本空手道連盟和道会会長も務めた(和道会千葉県本部[2023])。 ③「渥美 節夫」(あつみ ひでお、1922年生~2009年没)は、厚生省官僚、厚生省児童家庭局長で、のちに全国里親会会長を務めた(日々の気づき[2023])。主な著書に『児童福祉事業概論』(厚生省児童家庭局編、全国社会福祉協議会、1966年)、『わが国の児童福祉』(日本児童福祉協会、1967年)、他がある。 ④「寒川 英希」(かんがわ ひでき)は、元文部省官僚で、文部省初等中等局特殊教育課長、のちに特定非営利活動法人日本障害者高等教育支援センター理事長(内閣府NPOホームページ[2023])、帝京平成大学顧問★07などを務める★08。主な論説として「国立特殊教育総合研究所の設置について」(文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課編、教育委員会月報22(4)、1969年)、「特殊教育の拡充整備について」(文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課編、教育委員会月報24(1)、1972年)、がある。

3.2. 小括;自閉症ということばが出現してきた文脈、その特徴

上にみてきたように「具体的な自閉症処遇の問題点」を討議するなかで、「自閉症」ということばは前回に比すると多数――No.1は7回であったが、No.2では39回、つまり約5倍強――出てきたが、その特徴をつぎに列記する。 A. ①島本虎三【14】(【】内は発言回数、以下同)、②坊秀男【6】、③渥美節夫【4】、④寒川英希【4】、の順に質疑応答が展開されていく。 B. この議論を質問者として次々と展開していったのは、討議を開始した①の島本で、日本社会党所属の衆議院議員である。公害や労働問題など、社会問題への取り組みに熱心な元労働組合運動の活動家でもあった。  「戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案」の審議中、「その前に、前から申し入れて、もう準備されて」いると思うが、「厚生大臣に最近起こっておる事象について伺いたい」として、「東京をはじめとして、名古屋、大阪、その方面に発生し、現在北海道、札幌にまで蔓延して」きている「幼児自閉症」の実態を示し、その対処のあり方を巡る質疑応答を開始した。そのなかで「自閉症」ということばが出現してきている。 C. ②の坊は、厚生大臣として①の島本への質問に答える立場であった。その内容は自閉症処遇の問題を具体的に進めていく上で必要な、体制、予算についてであった。常陸宮が臨席した自閉症児の親の会設立大会で、坊が自閉症児の教育・生活保障の問題についての早急に対処を進めたいといった趣旨の発言をしたことを島本が持ち出し、追及されて答えに窮する場面となる。坊は「予算の問題は、予算編成方針というものをつくりますから、その編成方針作成に際しまして私は発言をいたします」というふうな回答で締めている。 D. ③の渥美は厚生省官僚として、国際的な自閉症に関する動向を踏まえた上で国内での自閉症の研究・調査の動向について説明している。そのなかで、〈既存の全国5カ所の情緒障害児短期治療施設でおこなわれている自閉症処遇は異質なものである〉と認めざるを得ない答弁を島本から引き出され、自閉症児の親の会が国に対して求めること――自閉症への具体的な対応が可能な支援の場とその仕組みづくり(医療、福祉、教育にまたがる生活保障の問題)――への対応を迫られている。 E. 当時自閉症児の多くが就学猶予・就学免除によって不就学の状態であり、かつ地域内で自閉症児とその家庭が孤立した状況にあった。そのなかで④の寒川は「三重県の津市にございます重度の情緒障害児を収容しておりますあすなろ学園というのがございますが、そこを文部省指定の実験学校にいたしまして、この子供たちの教育の効果的な方法がないか、あるいは内容をどうするかというふうなことについて、研究を開始したわけでございます」と、国内唯一の自閉症問題に対処し得る専門施設、あすなろ学園の取り組み「情緒障害児学級(実験)」の紹介をしつつ、今後の全国的な実態調査の開始予定について説明している。島本は、これに関して、国立の施設や研究所はなぜこういったことに取り組んでいないのか、といった趣旨の質問を重ねている。こうした議論が一つの契機となって、のちに、寒川が官僚実務担当者として設立に携わった「国立特殊教育研究所」(1971年設立、現・国立特殊教育総合研究所)へとつながっていく。

4. おわりに

本稿でみたNo.2「1967(昭和42)年6月7日 第55回国会 衆議院 社会労働委員会 第17号」では、島本が「前から申し入れて」と述べていることから、国会答弁に先立って、国に自閉症への対処を急ぐよう働きかけていたという推測もできる。島本の地元・北海道と三重県には、親の会、施設要職、政治家などのつながりがあり、島本があすなろ学園の職員や入所児童の親たちからの陳情を受けた可能性があるからだ★09。そして島本が現場の問題――全国から自閉症児とその家族が集まって来たあすなろ学園の親の会と職員、支援者たちが抱える問題――を国会で取り上げたことをきっかけとしてその後、国政の場でもいわゆる自閉症問題は、地方の一公立病院が抱える患者の院内処遇問題ではなく全国規模の社会問題として捉えられはじめ、自閉症とその周辺の障害への支援がなされようとしていく。つまりこの質疑応答は、その後、既存の枠組で自閉症への支援を展開した行政対応や、自閉症を支援対象に含めた1969年〈情緒障害児学級の制度化〉★10、1970年〈厚生省通知文書による3公立病院の自閉症児施設指定化〉★11、1971年〈国立特殊教育研究所の設立〉★12といったより具体的な制度化と施策実現へのきっかけをつくったものとして大きな意義があるといえる。