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人命の特別を言わず*言う・06

立岩 真也 2021〜2022
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◆:25→0120:12→0121:0/□186→211→0121:233→0

◆2022/05/31 「「現代思想」は使えるか」(連載12↓)
 https://note.com/rensai2022_01/n/n3d59d0a03da2
◆2022/06/17 「人間的なもの」(連載13↓)
 https://note.com/rensai2022_01/n/n5d3e9687faa8
◆2022/06/ 「」(連載14↓)
◆2022/06/ 「」(連載15↓)
◆2022/06/ 「」(連載16↓)
◆2022/06/ 「」(連載17↓)




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 ◆◆第12回 「現代思想」は使えるか

 ※ようやく第4章に入る。これが最後の章になる。それを予定では4回に分けて掲載していただく。
 以下は全体の前置きと同じ。全体を読んでもらわないとなんだかわからないのも当然だ。それで、私のページに『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』を置いてある。全体としてどういうことを言いたいのか、どういう流れの話になっているのかおわかりになると思う。また、とくにこの「note」という媒体ではうまく註に行かないようだ。それを『捕註』のほうに掲載していく。合わせて読んでいただければと思う。

■■■第4章 高めず、認める

■■1 「現代思想」は使えるか

■1 境界を揺るがそうという人々
 各国・各地域で哲学者他が振舞う流儀のようなものがあって、私たちは、かなり好き嫌いでどちらに付くのかを決めているように思う。
 「英米系」の哲学は、普通の意味で、論理的、あるいは平明である。ときにまったく瑣末とも感じられる論理の操作に付き合うのに疲労しうんざりすることはあるが、いちおう話は順序よく進むのではあり、だからこそ、結局は説明されない――なんでも「そのわけは?」と言い続けることはできるから、これには仕方のないところがある――その前提が見えやすいとか、論理の階段のこの段から次の段にはたして行けるのか不明だといったことを言うことは、比較的に容易である。そして、私の場合には、例えば第1章で検討したような論にどうもおかしなところがあるのではないかと思うものだから、さらにもう一つ加えれば、しかし同時に、その説に――あまり明るい気分で、ではないのだが――否定しがたいところもあり、それで、読書の快楽といったものからは遠いところでそれらを読んでみるというところはある。
 そういうものに対して、ずらすとか、はずす、といった思考の様式がある。境界があって範疇があるのだが、その手前を見ようというのである。なんだか割り切れている話は妙にすっきりしているようだが、おかしいのではと思うところがある人たちは、そういうもののほうがおもしろいように思うようだ。
 そしてそれは、なにか別のことを言いたいという思いのもとにある。つまり、ひどくわかりやすい言い方で言うと、さきの人たちがよいものそして新しいものとして示す別のもの――それが私にはたいして新しい別のものとは思えないのだが――とは別のものを肯定したいように見える。もうすこし具体的に言えば、一方の人たちが「まともな」人のあり方をよしとする(そこで、そのあり方に近いがゆえにある動物たちを救うべきだとし、ある人を救わなくてよいとする)のに対して、もっと「へんな人」(のあり方)を肯定しようと――しかしその苦難のゆえに、でないとして、苦難とともに――しているようだ。そして私は、それは、基本的に、よいことだと思う。また、構築されてきた「人間」そのものを吟味しようとする姿勢もよいと思う。
 そこで、すこし、そんな現代思想的あるいはポストモダンなものも読んでみようかということになる。それはよくわかる道筋ではある。ただ、さらに最近のものを読むと、動物愛護の方向において、ずいぶん違うはずだと思う人たちが、例えばシンガーとデリダが、並べられていたりする。いったいこれはどういうことなのだろうと思う。これは意外に、思想というものをどのように見立てるのかという大きな話なのかもしれない。
 まず、人間と動物との境界について、ジャック・デリダが何か言っているらしく、それも読まねばならないのだろうか、ということになる。その人との対談(あるいはデリダへのインタビュー)で、ルディネスコが次のように語り、問う。言及されているのは第1章(第1回)ですこし紹介したCavalieri & Singer eds.[1993=2001]

 ▽ピーター・シンガーとパオラ・カヴァリエリが考え出した「ダーウィン的」計画[…]の骨子は、動物たちの権利を制定することで彼らを暴力から保護するのではなくて「人類ではない類人猿たち」に人間の権利を与えようというのです。その論法は私の目には常軌を逸したものと映るのですが、それが依拠している発想は、一方では、類人猿には人間と同じように言語習得を可能にする認知モデルが備わっているから、というものであり、また他方では、狂気や老化、あるいは人間から理性の使用を奪う器質性疾患などに侵された人間などよりも、よっぽど類人猿の方が「人間らしい」から、というものです。
 かくして、この計画の発起人たちは、人間と非人間とのあいだに疑わしい境界線を引き、精神障害者を人間界にはもはや所属しない生物種へと仕立て上げ、類人猿を、人間に統合されるけれども、たとえばネコ科の動物よりも優等な、あるいは哺乳類であろうとなかろうとそれ以外の動物たちよりも優等な、もうひとつ別の生物種へと仕立て上げるのです。その結果、このふたりの発起人は、どのような新しい治療的ないし実験的取り組みも、動物実験をまず行なわなければならないとする、ニュルンベルク綱領の第三条を非難するのです。あなたはずいぶん以前から動物性の問いに関心をもたれていますので、こうした問題についてご意見を伺えればと思うのですが。(Derrida & Roudinesco[2001=2003:91-92])△

 それに対して、問われた人はいくつかのことを言っている。本書(本連載)のもとになっている(『良い死/唯の生』には収録しない)『唯の生』第1章の註では問いの部分だけを紹介した(立岩[2009:61-62])が、ここでは応答の部分を引用する。言っていることはあまりはっきりしないように思う。例えば以下。

 ▽もっとも権威づけられた哲学や文化がこれこそ「人間の固有性」と信じた特徴のいかなるものも、厳密には、私たち人間が人間と呼ぶところのものの占有物などではないということが証明されうるでしょう[…]」(Derrida & Roudinesco[2001=2003:98])
 「私がしばしば引用するのを好むジェレミー・ベンサムのある言葉があります。それは大体次のように言っています。すなわち、「問題は彼らが語りうるかではなく、苦しみうるかである」。そうです。私たちはそのことを承知していますし、誰もそれを疑うことなどできません。動物は苦しむのであり、その苦しみを表明するのです。動物を実験室の実験に用いたり、さらにはサーカスでの調教に従わせたりするときに、動物が苦しんでいないなどと想像することはできません。ホルモン剤で飼育され、直接牛小屋から屠畜場へ送られる数えられないほど多くの子牛たちが通り過ぎる場面に出くわしたとき、子牛たちが苦しんでないとどうしても想像できましょう? 動物の苦しみがどのようなものであるか私たちは知っており、感じ取っているのです。さらに言えば、産業による屠畜行為のせいで、以前よりはるかに多くの動物たちが苦しんでいるのです。(Derrida & Roudinesco[2001=2003:103])△

 聞き手のルディネスコは明らかにシンガー的なものに反感をもっているのだが、デリダはそれにじかに同意を示しているわけではないということだ。そして、動物もまた苦しんでいるのは明らかだとデリダは言う。それはそのとおりだと思う。そしてベンサムなどもってくることにおいてなかなか気が利いているとは思う★01。しかしそれは問いに応えているのか。

 他に、人間と人間でないものとの境界についての考察として知られているものとして『開かれ』(Agamben[2002=2004])がある★02。そしてその人にベンヤミンの影響があったことはよく知られている。ベンヤミンは次のように書く。

 ▽人間というものは、人間のたんなる生命とけっして一致するものではないし、人間のなかのたんなる生命のみならず、人間の状態と特性をもった何か別のものとも、さらには、とりかえのきかない肉体をもった人格とさえも、一致するものではない。人間がじつにとうといものだとしても(あるいは、地上の生と死と死後の生をつらぬいて人間のなかに存在する生命が、といってもよいが)、それにしても人間の状態は、また人間の肉体的生命、他人によって傷つけられうる生命は、じつにけちなものである。こういう生命は、動物や植物の生命と、本質的にどのような違いがあるのか? それに、たとえ動植物がとうといとしても、たんなる生命ゆえにとうといとも、生命においてとうといとも、いえはしまい。生命ノトウトサというドグマの起原を探究することは、むだではなかろう。(Benjamin[1921=1994:62-63])△

 そしてアガンベンの『開かれ』には例えば次のような文章がある。

 ▽人間と動物のあいだの分割線がとりわけ人間の内部に移行するとすれば、新たな仕方で提起されなければならないのは、まさに人間――そして「ユマニスム」――という問題なのである。[…]われわれが学ばなければならないのは、これら二つの要素の分断の結果生じるものとして人間というものを考察することであり、接合の形而上的な神秘についてではなく、むしろ分離の実践的かつ政治的な神秘について探求するということなのである。もしつねに人間が絶え間のない分割と分断の場である――と同時に結果でもある――とするならば、人間とはいったい何なのか。(Agamben[2002=2004:30-31])△

 これらは、くっきりと分けて、そのうえで話をしようという流れに対して、それがよくないのではないか、自明とされている境界を問い、ずらそうという流れにあるものだ。ただ、一つ一つの文章に足をとられるということもあるのだが、どうも基本的なところでわからないという感じがあって、それをどう言ったらよいのかと思う。私は、普通にしか、というか私たち、あるいは私が考えてきたようにしか、ものを考えられない。その人たちは、私(たち)がよいと思ったものと同じもの、あるいは似たものを見ているようであり、そして別様に言っているように思えるのだが、それらが私(たち)に何を加えてくれるのか、まだわからない。

■2 慣れ親しんでしまった図式
 本章のここまでを2009年に『唯の生』第1章に書いた。その後のことを私は何も知らなかったのだが、デリダは、動物と人間について、ずいぶん関心をもち、まじめに取り組んだそうで、関係する本もいくつか出ているようだ★03。だから、わからないと言ってばかりいないで、すこし考えた方がよいと思った。
 この人たちが話すこと、書くことは、いつものように難しい。ただ、この人の話を援用する人たちは、その難しい話を簡単な構図の話にする。そしてそれにも、たんに誤読とは言えないところがあるように思う。
 つまり、デリダであれば、人間=男が、動物を支配し、言葉を発して、自らを動物でない理性を有する男である人間として、この社会を構築したのだというのが基本的な構図だ。そこには、排除と支配、排除することにおいて成立するような支配があるとされる。周縁化と権力の生起・維持がつなげられる。「境界」を設定するその行ないを問うという営みはたんに知的な営みではないとされる。こうして単純化し通俗化してしまうと、おおむね50年とか60年とか、私たちに馴染みの図式だ。すると、結局、そういう思考法をどう考えるのかということにもなる。
 まず、そんな社会があって、その地域で、そんな具合に動物を扱ってきたというのは事実だとしよう。しかし、どこでもそうなるとは限らないし、実際限らなかったはずだ。すぐ後に見るように(連載第14回)、肉食を否定し周縁に置くような社会もあり、そこからさらに変化していくその過程もある。だとすると、まず一つ、動物やその殺生の位置づけには複数があるということだ。こういう指摘自体は、自文化中心主義から一番脱していそうな話がじつはそうではない(かもしれない)という話であり、いささか嫌味ではある。ただたんなる嫌味として無視すればよいというものではないはずだ。
 むろんデリダたちもそれはわかっていて、より慎重であって、他の著作においてもおおねねそうであるように、自分は西欧社会のことを言っていると言うのだろう。すると、その限りで瑕疵はないということにはなる。しかし、こうして「地域限定」を認めると、そこにあったことに対する批判の論理をよその地域・文化にもってこれるのかということになる。普通には、それは無理なはずだ。別のことを言わねばならない。これは論理的な要請だ。
 そのような理路を通ってなのかそうでないのか、苦痛なら、洋の東西を問わず、人間/非人間を問わず存在するから、ということになるのか、苦痛がもってこられる。デリダのこの主題についての議論を解説する本を書いているパトリック・ロレッドもこの話をもってくる★04。結局ここに話をもっていくのか、そして、それは結局、さきに引いた対談でデリダが言っていることではないかと思う。そして、しかし、苦痛における共通性については誰もがすぐに思うことだし、実際に様々な人たちも言っている。だから、難しいことを難しく書き続けたこの人からどうしても聞かねばならない話ではないと思う。そして苦痛をもってきた時に生ずる話は既にした。苦痛を与え合うことは、自然界において種々の生物・動物が毎日行なっていることだ。その中で、すくなくとも事実上、人間だけが殺生を控えるべきだとし、そしてそれをさらに、非西欧社会についても主張するのだとすると、それはなぜかと思うし、それはそのデリダという人自身の長らくの言論の趣旨に合っているのかどうかと考えると、そうではないのではないかと思う。

■3 そんなに効いているのか
 もう一つ、このような構図がどれだけ効いているかだ。この人たちの図式は、意外に古典的でいくらか観念的な図式なのかもしれない。つまり、たいへんに単純化すると、区切りをいれ、ある範疇を外側に除外することによって、あるいは縁の辺りに置くことによって、自らの支配が成立する、権力が作動するといった話だ。それは、もちろんいくらかは当たっているのだろう。種々の差別について言われてきたのはだいたいにおいてそうしたことだった。しかし、その作用力をどれほど強くとることができるだろうか★05
 例えば、「ホモ・サケル」、「剥き出しの生」の人たちはこれまでたくさんいたし、そう簡単にいなくなることもないだろう。しかし、そういうことが生じてしまうことがこれまで多々あって、それへの対処に困るといったことも多々あって今もあるけれども、そのことが、ある政治・権力・支配を維持させるという話をどこまでまじめに受け取るべきか。
 そうした存在を放置したり無視したりするのに、「人間観」が関わっていることはあるだろうし、第1章に紹介した議論もそこに作用することはありうると思う。ただ、排除や周縁化の大きな部分は、その時々の利害や力の配置、その不在といったものによると考えた方が常識的であり、そして間違いではないはずだ。そしてそのことは、完全な解決はたいへんに困難であるとしても、そこそこにできることも多々あることを示すのでもある。そしてさらに、ここに動物の排除・殺生の話がどこまで効いているのかと冷静に考えると、そこに見込まれる効力は強すぎるのではないか。
 たしかに、この世には排除もあるし介入もある。それはおおいに、しかし冷静に語られたらよいと思う。それは、社会の成立であるとか存立であるとか大仰なことではなく、そこいらに、平凡に、遍在もし、偏在もしていることだ。
 「生権力」についても同じことが言える。その行使をもたらすものは、基本的には、生産への強迫であり、生産に関わる人間の質の向上や低下の防止である。それは本書が対象にしてきた社会・人間が駆動するものであってきた。そしてその生権力は、すこし歴史的なことを調べて書きながら思ってきたことだが、たいがいの場合には、まったく凡庸に作動してきたし、今もそうであることを述べてきた★06。駆動するそのもとにあるものは同じだが、あとは、種々の利害関係者が自らの権益を増やそうとしたり損失を防ごうとする。その利害はたいがいは複数ではあるが、個々はそこそこに単純なものである。
 権力があらかじめよからぬものであるなどと言っていないと言われるだろうし、それはその通りなのだが、それでも、それはときによくないことを生じさせる。そして、それがよくない理由も、難しい理由からではない。そして、あったらまずいものは減らしたらよいし、減らしても、社会は成立し持続するだろう。そのようにあるもの、増やすもの、減らすものを加減することができるだろう★07
 だから、採られるべき道は、人間として認められないと排除して周辺化してきた特権的な人間が、反省して、その境界をずらして、動物にやさしくなったりすることではない。思考を上乗せして、人間たちが前向きに進んでいくことではない。であるのに、いくらか有名な人たちがいれば、誰が言うことであっても自らの主張を支持するものとして引っぱってこようということになっているように思える。それは残念なことでよくないことだ。

■註

★01 言及されているベンサムの言葉は「The question is not, Can they reason? nor, Can they talk? but, Can they suffer?」。(第2版(1823)第17章脚注にあるという。Bentham[1789=1967]ではこの章は訳されていない。(その本の出版前後のことについては土屋恵一郎[1983→2012:169ff.]。)
★02 アガンベンのこの書については、美馬達哉の『〈病〉のスペクタクル』(美馬[2007])、小松美彦の『生権力の歴史』(小松[2012])等でも言及されている。
 『〈病〉のスペクタクル』はまず、SARS、インフルエンザ、ES細胞、等々、話題になった出来事がどのように話題になったのか、よく整理されていて、有益で、それだけでお役立ちの本なのだが(その後、COVID-19が流行し、それについては『感染症社会――アフターコロナの生政治』(美馬[2020])、これらの出来事を筆者がどのように捉えようとしているのか、この世をどのように見ようとしているのか、著者の「気持ち」はむしろこの本の最後、アガンベンの著作に言及しつつ書かれている「アウシュヴィッツの「回教徒」」とも題される「あとがきにかえて」にある。この部分をさきに読んだ方がよい。この世の肝心なことはこの辺りにあるはずだと、私も思う。(ちなみにシンガーの祖父母4人のうち3人は強制収容所で殺されており、しばしばそのことは彼が紹介される際に言及されるのだが、ここでも問題は、あの悲惨をどのように捉えるかである。)
 「われわれはアガンベンを超えてさらに踏み出さねばならない。なぜなら、彼自身は、しばしばゾーエーの領域を、人間と動物の中間、あるいは動物に近い状態の人間として描いてしまっているために、この領域に内在している希望のモメントをとらえ損なっているからだ(『開かれ』平凡社)。そのペシミズムに抗して、われわれがアガンベンの議論を徹底化させることではっきりと主張したいのは、人間のゾーエーとは人間と動物の間に位置づけられるべきではなく、動物以下の存在として理解されなくてはならないという点である(少なくとも、本能的欲望のままに生きて自然=世界と予定調和的な関係を保つことのできる動物という意味では)。」(美馬[2007:255-256]、『開かれ』は Agamben[2002=2004])
 「一人の人間のゾーエーとしての〈生〉は、か弱く悲惨で、動植物以下でしかない。しかし、その弱さにもかかわらず人間のゾーエーの領域が存在するという事実そのものは次のことを証明している。すなわち、ゾーエーは決して孤独ではなく、ゾーエーをかけがえのない〈生〉として集合性において支える複数の人々の共生と協働と社会性がそこに実在するということを。
 何のことはない。世界には人間が多すぎるので、ゾーエーを孤立させて惨めな死のなかに廃棄しようとする現代の政治的=医学的権力の怪物的で熱に浮かされたような企ては、少なくとも長い目で見れば、空しいものに終わるのだ。重度の意識障害患者の傍らで、有るか無しかの身体的変化の中にも〈生〉の徴候と歓びを読みとろうとする人々である友人、介護者、家族たちが存在する限りは。」(美馬[2007:256-257])
 美馬と私は今は同じ職場の同僚ということになるが、その前、この本を巡って対談をしたことがある(美馬・立岩[2007])。
 「僕は今大学院で大学院生たちと仕事をしているんだけども、ほんと言うと、この8章にある一つ一つのテーマについてもっと、美馬さんの本を読みながら、これの10倍ぐらい長いのを書いて、みんな一つ一つ博士論文書いてくれれば8つぐらい博士論文できるぞみたいなね。そんなことをまず一つ思いました。それってすごく当たり前の仕事のようなんだけれども、けっこうやってないんですよね。という意味で、まずここ10年とか、その間にどういうことが起こっちゃっているんだみたいなことを知るっていう、そういう意味があるんだろうなと思います。」
 美馬の安楽死についての文章として、「生かさないことの現象学――安楽死をめぐって」(美馬[2006])。同じ著者によるその後の著書として、『脳のエシックス――脳神経倫理学入門』(美馬[2010])、『リスク化される身体――現代医学と統治のテクノロジー』(美馬[2012])、『感染症社会――アフターコロナの生政治』(美馬[2020])。
★03 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(Derrida[2006=2014])。デリダが亡くなったのは2004年。その論を威勢よく紹介する本として『ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理』(Llored[2013=2017])。
★04 「英語圏の文化やそこで発展している大学の知には二重の哲学伝統が疑う余地なく刻みこまれているのだが、この伝統によって、デリダの脱構築は動物の問いとの密接な関わりにおいて柔軟な仕方で熱心に受容された。〔二重の伝統とは、第一に〕ベンサムの功利主義であり、彼は動物の苦しみの問題をみずからの思考の中に書き込んだヨーロッパにおける最初の哲学者の一人である。そして、その現在の後継者としてピーター・シンガーがおり、…」(Llored[2013=2017:110-111])
★05 排斥して構築される権力、に対する抵抗であるところの脱構築、といった道筋のもとで、「無条件の歓待」(cf.Derrida[1997=1999])といったものは必然的に導出されるように思われる。すると、なにを無条件に歓待するのかという問いが現れる。すべて、と言いたいとしても、それは無理なことだ。
 それでも言わねば、と思うことはある。「生の無条件の肯定」を野崎泰伸が言う。その博士論文に野崎[2007]、著書に『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』(野崎[2011])、『「共倒れ」社会を超えて――生の無条件の肯定へ!』(野崎[2015])。関連して野崎[2005]。
★06 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(立岩[2015])、『病者障害者の戦後――生政治史点描』(立岩[2018])、等。
★07○「例外状態」とか「ホモ・サケル」の取り扱いについて、その方向にも幾つかあると思うが、私が本文に述べた方向のものの一つが稲葉振一郎の『「公共性」論』における捉え方。
 「やや乱暴に言えば「例外状態」の脅威はつねにあり、「ホモ・サケル」と呼びうる人々は潜在的にはもちろん、顕在的、実際にさえしばしば存在している。しかしその出現はつねに避けがたいものではなく、政策的対応や制度改革、社会変革、あるいは技術革新によって回避可能な場合もあるのです。」(稲葉振一郎[2008:280])




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 ◆◆第13回 人間的なもの

 ※本の最後の章、第4章の第2節を掲載してもらう。この章は4節で構成されるので、今回合わせてあと3回でいったん終わるはず。
 以下は前回の前置きと同じ。全体を読んでもらわないとなんだかわからないのも当然だ。それで、私のページに『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』を置いてある。全体としてどういうことを言いたいのか、どういう流れの話になっているのかおわかりになると思う。また、とくにこの「note」という媒体ではうまく註に行かないようだ。それを『捕註』のほうに掲載していくことにする。合わせて読んでいただければと思う。


■■2 人間的なもの

■1 系譜
 私は、まず人について、ときにその生死にも関わる境界を引いたものは、結局、第1章にみた「人間的なもの」の規定にあると考える。依然として「主体」であることだと思うし、考えるべきはそれにどう対するかだと思う。それは第1章でみた議論をすなおに捉えればわかることだ。
 人間的なもの、つまり意識すること、意識的に制御することは、他のことは上手でない代わりに人間が得た特技なのでもあろうから、必要なことではあり、大切にされるのはわかる。ただ、この社会に起こったのは、それだけのことではない。そこにいくらかの「上乗せ」があった時に、価値の上乗せされた人間が現れる。その道行きは必然とも言えることであって、その道から離脱すること、すくなくとも離脱しきることはできない。しかし、そんなことをしなくてよいことは、それも一つには知的な営為を経てのことだが、わかる。
 よいことをする営み、よいことを言う営みを観察する。それは、距離をとろうという行ないだが、たんに観察するというのではなくて、実践的なことでもある。それは規範を言わないということではない。言う。ただ言うときにその言い方、位置づくその位置に注意深くあろうという態度であり、そうした態度による思考である。それは観念・言説の効果・帰結を測る。
 だから、それ自体はまずは、処世の際のまったく穏当な心がけのようなものであり、学問をする時の心構えのようなものだ。ただ意外なほどなされていない。それはよくないと思う。以下では、一人とその人を共通の祖先とするその後の人二人が述べたことをみていく。

■2 罪の主体・行ないの主体
 「主体」はいろいろな現れ方をする。その筋は複数あるが、数は多くない。
 生きるに際してのものを得ようとする。それは、たいがいは獲物をとって食べるといった、わかりやすいことだ。生きていくのに必要なものを得る。得て暮らす。必要なことであり、そのことをよいとすれば、よいことだが、わざわざそのように言う必要もないことだ。
 ただ、もっと大きなものを得ようとなれば、それだけでは得られないと思われる。すると、たんになにか(よいこと)をしてなにか(よいこと)を得ようということではなく、普通でないこと、普通より多くのこと大きなこと難しいことをして、もっと大きなものを得ようとする。宗教にはそんなところがある。
 死後救われるかどうかとか、そうしたことが気になってしまい、それが(よい)答えの欲しい問いになり、その実現が課題になる。この時には、求められているものも、それに関わることの因果、経路も、それほど可視的ではない。だから、その道筋もいくつかに分かれる。普通に求められないものを求めるのが宗教というもの、そこで起こるできごとだと考えてよい。
 まずはルールを守ってよい行ないをするのがよいとされ、それが救いにつながるとされる。ただ、得たいものがそう簡単には得られないものであるとなると、難しい行ないを行なう方向に行くこともある。
 しかしそれはおかしい、よくないと言われることがある。そんな行ないができる人たちは限られていて、そんな余裕のない人たちもいくらもいるだろうというのだ。些細なきまりを大事にしていると言うのは批判する側なのだから、実際にはどの程度なのか、批判者たちの言うことをそのままには受け取ることもないかもしれない。ただ実際、その面を捉えて、ユダヤ教を戒律主義・律法主義であり、選良のものだと批判して、キリスト教が出てくる。すくなくとも一つの路がそのようなものだ★08
 それは、行為ではなく、その背後に罪を見出す。あるいは、罪が宿る場所としての「内面」を作ることになった。するとその領域での罪は否定できない。皆に内面の罪がある。皆が罪人になる。そしてそれは自分では救えない。その救い主として神がいる。問われたり、あるいは自ら問うなら、罪の「もと」になる思いがないことを証せる人はいない。するとその教えはすべての人に及ぶ。自らが主体であり・主人であることによって、隷属するという構図が現れる。この罪の範式においては、自分では除去できないものを神が許して救ってくれるという体裁になっている。このように普遍性が獲得される。そんな仕組みになっている。
 ニーチェは、人を神に、むしろその代理人・組織につなげてしまうその仕組みを記し、そして糾した。『善悪の彼岸』(Nietzsche[1885-86])、『道徳の系譜』([1887])等が知られている。二つを一冊にしたものがちくま学芸文庫になっている。
 執拗にキリスト教を非難したその人の情熱がいったいどこから来たのか知らない。ただ、神さまとは言っても、間にいるのは教会であり、罪について聞き出したりするのは司祭だとかそんな人たちでもある。そこに権力は生ずる。そんな人たちや、そんな人たちの教会、その教会に支配される社会に下属するのが嫌だったのだろう。そういう仕掛けに対する強い恨みをもっていたのかもしれない。そういうものによって弱くされてしまう人、卑屈になってしまう人が嫌いで、それに対抗する力、別の強度を見ようとしたのかもしれない。きっとニーチェは、もっとはればれとした人のあり方を求めたのだろう。しかし、たびたびの繰り返しになるが、なにかを批判する際に、他方に「よいもの」をもってこなければならないわけではない。そのよいものをもってこようという所作は、不要というより有害なことにもなりうる。だから、例えば「超人」といったものを信じる必要はとくにないと思う。それでも、その気持ちはわからないではない★09
 もちろん、律法主義を採らないといっても、守るべき行ないについてのきまりは決められ、遵守すべきものとされる。行為と内面とがつながった上で、どこが強調されるかは時によって変わる。この宗教にしても、多くの人たちはもっとおおらかに神を信じ、おおらかに帰依する。ただ自らによいことがあるように、そしてそれは自分でかなえられることではないから、祈る。ただ、ときに、人間、人間の内部、内部と行為の結びつきが顕在化し、大きくなる。
 とくにこの世でうまくやっている人たちは、なにがしかうしろめたいこともしているから、罪を逃れていることにさほど自信はない。救われるとはなかなか思えない。そこで、やはりよいことをしてなんとか、ということになる。その人たちは持つものは持っているから、行ない、というよりむしろその結果として得られたとされる財を教会に寄進する。神を代理する組織は富を増やす。天国と地獄の間に「煉獄」(Le Goff[1981=1988])といったものがあることになると、今までなら地獄行きかと思っていたが、煉獄にいったんとどめてもらえると思う人たちが、ゆくゆくは天国に上がっていければと、死後ミサなどしてもらうために寄進を行なう。その仕組みのもとで儲かる人たちがおり、組織がある。
 それを、堕落している、と批判する人たち=プロテスタントが現れる。神が実質的には人間の申し出に応じるというのなら、それは交渉における対等な関係に近くなってしまう。神がそんな存在であるはずはなく、もっとずっと隔絶した絶対的なものだとされる。その信仰の方向の一部は、救われる・救われないは既に予定されている、しかもその予定は人に知れないとする。予定されているなら、何もしようがないようにも思われ、すっかり投げやりになり自堕落になってしまうような気もする。しかし、自らを律して世界の富を増やすそのように自分が存在していることによって予めの救いを信じようとしたのだと、そしてその信仰と、そんなことが信じられた地域における資本主義の隆盛とが関係しているというのが、ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Weber[1904/1905=1989])に記したことだ★10。ニーチェから20年ほどの後、このことが言われた。
 人が救われる救われないを神が予定し、人はその予定を知ることができないとしたうえで、予定されていることを信じようとする。これは非常に奇妙で倒錯した教義だと思える。ただ、これはたんに宗教由来とは言えないはずだが、神とその救いについての信仰に加え、人の営みにより地上の富を増やすことが神の栄光を増やすことであり、その営みをなすことが自らの価値であるとされる。それが信じられているなら、この構図は現れる。さらに、直接に知られないことによって、かえって、それを一貫性をもって不断に行なう方向に強化される。ただ決まったことをこなしていればよいということではない。そして、信仰そのものが薄くなっていっても、その価値の構図は維持される。
 そして、その世紀の後半、ニーチェを継いだのはフーコーだ。さきに、生・権力だとか生・政治といったものは、この社会においてたしかに大きな部分だが、この人に言われなくても人々は体験してきたし知っていたし、言葉にもしてきたことだと述べた。それより、ニーチェを継いで、「主体化」(フランス語ではassujettissement、sujetは「主体」の意味を有するとともに「臣下」の意味をもっている)を言ったことが大切なことだったと思う。ただ、それを言ったのは『監獄の誕生』(Foucault[1975=1977])における「パノプティコン(一望監視装置)」の描述においてだったといった捉え方もあったが、それはいささか乱暴な話だ。それではなく、『性の歴史』第1巻において、教会での告解において各人が自らの性について語り、その主体となることによって神に従属する、その構図と様子が描かれる★11。それは普通にニーチェを継承し、反復している。そしてその人もたぶんやはり、そのような体制から逃げようとしている。ゲイに教会が冷たいといった事情があったと記している本もある★12

■3 主体の遇し方
 ここにも、代わりにどういう道があるのかという問いはある。ある地域の教養ある人たちであれば、ギリシア的なものが、あるいはローマ的なものが呼び出されるのかもしれない。『性の歴史』の続きもそんな具合になっている★13。それもわかりはするが、そのような道を行くのだけがよいのかとも思う。
 まず、こうした世界と世界からの脱出は、現実のものとして、私を縛った望みではない。私の関心の対象としては、普通に経済的な意味での所有についての規則や観念がさきにあった。それが検討し批判する対象であったし、それは今も変わらない。それを批判することは、第1章に記したことと同様に、簡単だと思ってきたし、今も思っている。しかし、それは強く信じられているようだ。その信は深くて広い。どうしてそんなことになってしまっているのか。そんなことで、刑罰・行刑の歴史について書かれたものや、やはりキリスト教は大切なのだろうと思って、アウグスティヌスやトマスの翻訳ものの全集をすこし見たりした。
 刑罰・行刑の歴史と経済・所有のことと、両方を「主体の系譜」という題の修士論文(立岩[1985]、ただ現物はどこにもない)に書いた。『監獄の誕生』で言われていることがそれほど新しいことではないといったことはすぐに確認できた。ただ論文自体はまとまらずに終わった。『私的所有論』では狭義の所有のほうについてだけ書いた。
 自らから発したものが自らに還ってくる。これが基本的な構図であることは明らかだと考えた。生産の主体であることによって所有の主体であるという規範がある。また生産する主体であることが、それを立派に行なう者は神の救いを予定されているといった観念に仲介され、人間の価値とされる。私(たち)は、財の所有についてはこの構図を基本的には否定する。その考えは変わらないし、変えるつもりもないのだが、すると、その考えを一貫させるなら、責任・刑罰についても、帰責の構図を否定することになるだろうか。
 そこがうまく言えなかった。長いこと、そのごく単純な問いを思ってきた。そして今は、この構図を否定するか肯定するかということではないのだろうと、まったく穏当なことを考えている。私があることを行なった。それがその人に帰属され帰責されることがある。その強さに違いはあるが、個人への帰責がまったくない社会は想定しにくい。実際、人為や、人の意図をまったく算入することのない社会はまずない。そして、この契機を無視し、またなくしてしまうことはよくない。とくに人を毀損する行ないについて、それを意図し、実際に行なった者が責を負うことはあってよいとする★14
 こうして、帰属→帰責の観念とその仕組みはどんな社会にもいくらかはあるし、あってよいと私は捉える。ただ、この図式を強化し拡大する装置があるのかないのか。そのことによって社会と人のありようは変わってくる。そのように見ていくことにする。
 内面→行ないという構図が人々に書き込まれているとしよう。すると、自らを示すものは、自らに見えなくても自らのなかにあるのだとなる。既に自己を制御し行為を行なう人間が(価値ある)人間であるという価値があるなら、選ばれているというそのこと自体は人間には見えないが、行ないは選ばれていることを示すとされることはある。そしてこのつながりは、特定の宗教を信じるとか知っているとかに関わりなく、社会のなかで広がり強まることになる。むろん、こんな不思議なことを信じられる人は多くはないのだが、たいして信じない人たちもそれに巻き込まれることになる。最後までそんな図式を知らず信じない人たちもいるが、その人たちは、普通に人が知っていることを知らず、従うべき規範に従えない人であるとされるのだ。
 主体の構図から完全には逃れられないし、またそうすべきでもないのだろうと私は思う。その全体を否定することはない。実際、人間が主体であることは事実として否定できないし、そこに責任は生ずる。自らが知って決めて行なったことについて、そしてそれがとりわけ相手の人を毀損する行ないであるならその責任は問われる。それは、「自由意志」といったものが実在するか否かといった議論とは別に言えることだ。結局、それはなくならないし、なくすべきことでもない。
 しかし、同時に、自らに返ってくる分をあまり大きく計算することはないということだ。よいことであれ、よくないことであれ、私がこの社会で私のこととされることをたくさん引き受けてしまうこと、それはもちろん人によっては益をもたらすのだが、その構図とこの構図のもとでの財の配分が負荷になることが起こる。同時に、他の人たち、社会の他の部分は負担がすくなくなる。それは不要であり不当であると言える場合がたくさんある。
 これ自体はおそろしく単純な話だ。つまり、あるかないかではなく、強くするものと弱くするものがある。そして弱くしたほうがよいことがある。第1章で見たものは、今はもう少し穏健なものが多いのかもしれないのだが、しなくてもよいことを言い、強くする必要のないものを強くしている。

■註

★08 【】内は『私的所有論』第2版での追記。
 「多くの宗教は外的な行為の形を指示し、また、そのことによって自らの同一性を保持する。つまり、なすべき行為となすべきでない行為を指示し、その遵守を求めることで例えば来世での幸福を約束する。キリスト教が当初その一分派であったところのユダヤ教はそうだった。キリスト教はそういった空間から離脱する、とは言えないとしても、それを屈曲させ、別の空間を提示する。キリスト教は罪が構成される場所を個体の内部に移行させ、内部(の罪)の発見を促す(吉本隆明[1978]、橋爪大三郎[1982])。ここに罪の主体としての人間が現われ、このことによって人はこの宗教の下に捉えられる。問うことによって内部という領域が現れるが、それはそれ自体としては当人にも不可視であり、それだけに内部にあると名指されるものを否定し難い。そこで、この場所が問題になるや、そこに諸個体はひきこまれてしまう。共通の主題へと導かれていく。【吉本[1978]に「親鸞論註」とともに収録された「喩としてのマルコ伝」は、後に吉本[1987]に収録された。)】
 キリスト教はこのことによって普遍性を獲得した。第一に(発見されようとする限りでの)内部の存在の普遍性と、(同様に在るのではと疑われる限りでの)内面の罪の否定不可能性によって、あらゆる人間に対して効力を持つ(可能性を有する)という意味での普遍性。第二に、各人の身体を具体的に拘束する諸規範を必ずしも否定することなく、別の準位、しかも具体的な行為に対してメタの位置に立つ抽象的な準位としての内面に教義を定位させることにおいて獲得される、個別規範の具体性に対する普遍性。そしてこの逃れがたい罪を赦す神をここに置くことによって、キリスト教は普遍宗教たりえた。しかもこの教義は、(内面が個体の内面である限りにおいて)人間を集団として捉えるのではなく、個別の存在として取り出し、さらに――救いへの導きにおいて――個々別々に作用するものである。以上の二つの意味での「普遍性」と二つの意味での「個別性」は矛盾しない。あらゆる人間に作用し、また個別の規範に対して上位の位置に立つ、そして個々の人間を別々の存在として取り出し、またその個別の存在に作用する規範、の可能性が開かれたのである。
 ただ、右記した構制は、パウロ(Paulo)、アウグスティヌス(Augustinus)といった人々の言説の水準においてはともかく、西欧世界に当初より存在していたわけではない。例えば刑罰の領域では、行為=統一体の損傷、制裁=その回復、といった観念が根強く存在する。ここからの転位は一二世紀後半から一三世紀前半にかけて現れる。行為の外形における違背→秩序回復の儀式としての制裁という観念が失われ始め、行為者が倫理的に非難されるようになる。この時期は…」([1997→2013:419-421])
 橋爪[1982]は橋爪大三郎の「性愛論――第1稿」(橋爪[1982])。学部生の時、私はそれを「青焼き」でもらった。それは後に『橋爪大三郎コレクションII 性空間論』(橋爪[1993])に収録された。
★09 以下は「道徳は殺人を止められるか?」(永井・小泉[1998])における永井均の発言。
 「永井 善悪ということがはっきり言えなくなったので、やむを得ないから病だという形でとらえるということだと思うんです。病・病でない、健康・不健康みたいな対立のほうをまだ信じているんだと思うんです。これはニーチェもそうなんですね。ニーチェも、善悪を信じていないくせに、健康・不健康――そして病気は悪いという価値を信じているんですよ。ニーチェにはいろいろ欠陥があるんだけれども、それも大きな欠陥だとぼくは薄々感じているわけで△043 それはなぜかというと、病気という概念は善悪に依存するんじゃないかという、ある種の疑いがある。全面的かどうかわからないけれども、どこか非常に決定的なところで依存しないと成り立たないんじゃないかという疑いがあるわけです。純粋に生理学的な病気みたいなことが言えればいいんだけれども、それが成り立たないとすると、病気だったとか何とかいくら掘り下げていっても、それからは実は何もわからないことになるんですね。
 それと関連するのですが、ニーチェには「道徳の系譜学」という議論があって、系譜学的研究というのをやるんだけれども、あれは実は何も明らかにしていないとも言えるんです。系譜学的探究というのは、いわば心理主義なんですよ。なぜそういう病気が発生したか、発生せぎるをえなかったかという話をしているんだけれども、あれをいくらやっても、なぜその病気が悪いのかということは一向に明らかにならない。ルサンチマンはなぜ悪いのかとか、ルサンチマンでなぜいけないのかとか、キリスト教道徳がなぜ悪いのかという、究極の根拠は与えられないんですよ。病気だか弱いとか卑賤であるとか、そういう悪口を言うだけなんですね。悪口の根拠はいったい何かということは、実は系譜学的研究からは出て来ない。それと同じことがあって、心理的な探究というのは結局のところ、事柄を細かく見ていけば細部にわたってわかっていくんだろうけと、それがだから何なのかということは究極的には何もわからないというところがあると、ぼくは思うんです。」(永井[2018:43-44])
★10 『私的所有論』では第6章「個体への政治」の第1節「主体化」の1が「二重予定説」(立岩[1997→2013:380-382])。
★11 医療と社会ブックガイドの第49回「死/生の本・5――『性の歴史』」でこの本を紹介した。それは『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(立岩[20170816])に収録された。
★12 エリボンによる『ミシェル・フーコー伝』(Eribon[1989=1991])に書かれていたように思う。そのエリボンの自伝として『ランスへの帰郷』(Eribon[2009=2020])。
★13 『性の歴史』の第2巻・第3巻(Foucault[1984=1986][1984=1986])はそのように読まれる。
★14 そして、結局このことは既に『私的所有論』に書いたのだとも思った。図4・2という奇妙な図の解説として書いたことがそれを示す。「Aから切離されないものa2、Bの制御の対象としないものa2の存在が、Aが他者として在り享受されることの中核をなす」(立岩[1997→2013:221])。




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◆◆人間を高めず認める1・還る思想 連載・14

 ※本の最後の章、第4章「高めず、認める」の第3節「人間を高めず認める」。この節はだいぶ長いので、1「還る思想」、2「かけがえのない、大したことのない私」、3「人の像は空っぽであってよい」と分けて掲載していく。全体の構成がわかるように、私のページに『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』を置いてある。全体としてどういうことを言いたいのか、どういう流れの話になっているのかおわかりになると思う。また、とくにこの「note」という媒体ではうまく註に行かないようだ。それを『捕註』のほうに掲載していくことにする。合わせて読んでいただければと思う。


■■3 人間を高めず認める

■1 還る思想
 人間的になってしまう経路、人が行く道を辿る人たちがいたことを述べた。ウェーバーはきっとそうでもないのだろうが、さきにあげたそんなことをわざわざ書く人たちは、きっとそれはよからぬことであると思っている。次に何を言うか。いくつかありうるのだろうが、一つには、その道を行ったと思われる人の跡を辿ることだ。
 吉本隆明は幾度も新約聖書(福音書)について書き、そして、ときには同じ本で、親鸞のことを書いた。「マチウ書試論」(吉本[1959]、マチウ書=マタイ伝)の最初の部分は1954年に発表された。また、親鸞を論じた著作として代表的なものに『最後の親鸞』(吉本[1976])がある。そこに収録されている最初の論考「最後の親鸞」は74年に発表された(吉本[1974])。フーコーの『性の歴史』の第1巻は76年に出版されている(Foucault[1976=1986])。『論註と喩』(吉本[1978])は「喩としてのマルコ伝」と「親鸞論註」からなっている★15。そして、新約聖書についての文章について、ニーチェとマルクスの著作をあげ、「喩としてのマルコ伝」では加えて、ヘーゲルとエンゲルスの仕事に、そしてとくにニーチェに言及している。「マチウ書試論」のあとがきには「キリスト教思想に対する思想的批判としては、ニイチェの「道徳の系譜」を中心とする全著書が圧倒的に優れていると思う。わたしに、キリスト教思想にたいする批判の観点をおしえたのは、ニイチェとマルクスとであった」と記している(吉本[1959→1987])。
 私には、その人が言うことにはたくさんわからないところがある。「アジア的」も「共同幻想」も、よくわからない。だが、執拗に幾度も書かれたこの部分、つまり宗教的なものの道行きを辿っていく部分については信用してよいように思う★16。なぜキリスト教について親鸞についてこの人は幾度も書いたのか。同じ本のなかでどうして新約聖書と親鸞の話が並列されるのか。
 宗教の課題は救いであり、それを求める思いはきっと切実なものなのだろう。そのことはわかりながら、吉本は、自らは信じられない人だと言い、その信じられない人間として、信じることを巡って人に起こることに関心があったのだろう。その人自身は、救いを信じてはいないが、人々がそれを求めることはわかり、そして考えてしまったり、またそこから脱しようとする道行きに関心があった。人が思ってしまい、辿ってしまう、その道行きを確かめたかったのではないかと思う。そして親鸞自身がそんな人であったと捉えられる。そんなことはないと浄土真宗の信者に言われれば終わりのような話ではあるが、読んでいくとそうかもしれないとは思える。
 仏教的な世界観では、殺生の起こっているこの世は基本的には否定的なものと捉えられている。そこに生じている欲望を捨てることによって、禁欲的・厭世的な種類のよい行ないを積むことによって、その世界から解脱することがよいことであるとされる。ときに「東洋思想」として言われ、常に一定の顧客を獲得しているもの、いまこの国に限らず需要され受容されているものは、このような思想や技術から、解脱や救済に対する真剣さを減じたものだ。悟りということになるとたいそうすぎるが、とにかく心的な境地が追求される。もちろんそれはまったく良いことだ。それで心が落ちいたりもするのだろうし、なにかよいものが見えたりわかったりすることもある。そのことによって、よい人になり、よりよい社会にもなるかもしれない。それはそれでけっこうなものではある。しかし宗教に普通に求められるのは、現世でよいことがあること、そして死後のことだ。
 ただ、自らでそれを得るのはなかなか難しい。とすると、一つ、さきに悟った人などが、代わりに救ってあげるという方向がある。むろん他力を期待する自分自身も信じなければならないし、できることはしなければならない。信じて、偉い人についていって、自分でもできることはする、といったことになる。
 しかしそんなことが疑わしく思えることもある。いつも疑り深い人はいるが、その時々の社会の様子も影響するかもしれない。人が飢えて次々と死んでいくような時に、粗食をして修行をしてということでどうかなるものなのだろうか。社会や生活の困難は、これまでの信心をより強く堅くする方向にも働くが、別の方向に向けさせることもあるだろう。
 さきの新約聖書の世界の現われと似ているところの一つは、その時の社会において、よい行ないを重ねてもどうにかなるようには思えなかったということだろう。人の営みの効力についての懐疑があり、選良の思想が信じられなかった。ここには似たところがある。
 他方で違うところは、他の宗教・宗派との対立状況において、より広く強い根拠を探し、人々を(可能性としては)自らのもとに置くという道を辿ることはなかったということだろうか。すくなくとも親鸞本人において、既存のものは信じられなかったが、それに打ち勝って、より大きな勢力を得ようということではなかった。ただ、それでも浄土真宗が、結果として人々を捉えたということはあっただろう。すると、より広い範囲の人々を得るということにおいても共通していることになる。
 ただそれは、人間的なものを増長することにならなかった。新約の世界では、行ないの宗教への対抗、というより律法主義と捉える宗教の抑圧のもとで、より深く人々を捉えるものを自らに有することになる。その取っ手が、人間的なもの、人の内面、罪だった。その罪において神に繋がれることになった。人の現世での営みが、宗教のもとで、あるいはそれとは直接の関係なく評価される世界では、営む自分、そのことを意識し自覚する自分が大きな位置を占める。現実の閉塞に促されて、行ないの規則によって人を統べる宗教に抑圧され、それに対抗せねばならなかった時には、人間的なものに遡ることによって、少なくともその観念においては、より広い範囲の人々を獲得しようとすることがあった。そうすると観念の領域が広がることになる。そのことを前節で見た。
 他方でここに起こったことは、そもそも人間の普通の営みに否定的な考えから出発した上で、その営みを延長していくと、得たいものを自らは得られるかと問い、人によって得られるものではないとした。一度だけ仏を信じればよいとされる。さらに、それも人の行ないであるなら、それもいらないとなる。救いの視点からみれば、自力を頼ってしまい、よいことができてしまって、そういう人のほうが救いから遠いということになる。悪人であってもよいのだとする。「悪人正機」が言われる。否定の否定によって、かえって、殺生であるとか普通の人々の営みを、高めることなく認めることになる。認めるのだが、それをできる能力の可否、大小によって人を差別することは否定される。
 しかし、そんな筋道の思考・思想があったことが、今日の私たちに意味をもつだろうか。たしかに宗教にとってはそんな理路はあるだろう。救いといった強いものを求める時、他力を言い、他力を得るために自力をじゃまなものとする。だが、私たちは救いを求めているわけではない。救いのために自力がたいしたものではないという話はわかるが、それはこの世では関係がない。その世界では人間が働いて、それでなんとかしている。私たちはもっと普通の生活を送っている。ならば、こんな迂回は必要か。
 しかしまず一つ、まじめな人によっていろいろと難しいことが考えられた末に、こういう結論になったようだと思えることで、まずは十分なのだと言おう。人間、人間の資格、人間の営みがそれほどのものではない、そんなことを信じてしまうとかえってよくないらしい。そのわけは自分にはよくわからないが、どうやらきちんと考えて、そのような結論になった人がいた、ならばそういうことでよいのだろうと思える。そのような考えは、多くの宗教、宗教と言う必要のない多くの場にあったはずだ。ただそれをある時期ある地にいた人たちがとくによく聞いてきたということはあり、そのことは現実に対して作用する。
 もう一つ、やはりその理路に必然があった、偶然の結果ではないと思う。死後の救済とかいった難しそうなことでないとしても、なにかただ生活と生活の手段が普通にほしいという以上のものを得ようとすると、たいがい小さくとも上昇し超越する方に行く。現世的な営みを否定して禁欲の方に行くか、あるいは、そんな場合の方が少ないかもしれないが、前節にみた一派のように、人としての営みに大きな意味を付すかとなる。その人の営みは、殺して食べることも(その起源は、ある人の見立てによれば忘却されつつ)含めた営みでもあるだろうし(前節)、それを人間的に反省して食べないという営みとなることもある(第1章)。しかし、それは仕方なくしてしまうことではあるが、さほどのことではないことになる。この時、動物とほぼ同等の営みが、立派なこととしてではなく、肯定される。するとその時、人の営みに上下はなくなる。これは宗教という営みの域にまで行く行かないと関係なく言えることだ。
 そしてそれは、知の働きについて言えることでもある。たぶん知の動きというもの自体が、いま超越と述べたこととあまり変わりがない。それは自らに促されるように構築されていく。そしてその働きが、否定に行く。すると、人が思考してしまうこと、ただの営みに対してメタになってしまうことを認めながら、それを肯定はしないということになる。今あるものにいくらかの上塗りをすることを人はしてしまうが、それはべつによいことではないという構えだ。それは大切な認識だと思う。
 『最後の親鸞』に次のような文章がある。

 ▽<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に<非知>に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。(吉本[1976:5→1987:164→2002:15])※「そのまま」(3箇所)に傍点★17

 「どんな種類の<知>にとっても最後の課題である」とはいかにもな言い方だが、吉本はそのように言いたかった。その理路にはまだわからないところがある。吉本自身もどこまで詰められていたのかわからないと思う。ただ、読む人にとっては、たぶんそうなんだろうと思うぐらいでよかった。観念が展開していく過程に関心があったし、他方で、そうでない「もと」のものに対する肯定感があった。新約聖書は前者を書くものであり、親鸞は、似ているところがあり、また異なるところがある。同じ本に二つが並行してあることにはそんなわけがあると思う。

■註

★15 『最後の親鸞』は、『増補 最後の親鸞』(吉本[1981])に「永遠と現在」(吉本[200201])を加えたものがちくま学芸文庫(吉本[2002])になっている。
★16 『論註と喩』をあげたのは『私的所有論』でだった(→註08、第13回)。その後、短い文章を一つ書いている(→註29、第16回)。その後、本章に出てくる人たちにまとめて言及したのは最首悟の対談でのことになる。
 高草木光一の企画した慶応義塾大学経済学部での連続講義が、『連続講義「いのち」から現代世界を考える』(高草木編[2009])、『思想としての「医学概論」』(高草木編[2013])の2冊になっている(後者に最首[2013]が収録されている)。その前者に、最首が話し(最首[2009])、私が話し、その後対談する(対論となっている、最首・立岩[2009])という形の講義の記録が収録されている。
 最首は1936年生。東大闘争の時、助手共闘に参加。高草木は、大学闘争、その時期の社会運動に関心を持ち続けている人で、それで、最首など呼んだりする講義を行ない、そして本にしたりしている人だ。その2008年の講義の時、最首は人が殺す存在であることから考えを始めるべきであることを語った。私もそんなことを思ったことがないわけではないが、考えは進んでいなかったし、今も進んでいない。次のように述べた。
 「最首さんが提起された「マイナスからゼロヘ」の過程をどう考えるかということと、思想の立て方としては違うはずなのですが、西洋思想のなかにも「罪」という観念があります。その「罪」は、まず基本的には、法あるいは掟に対する違背、違反です。法は神がつくったもので、具体的な律法に違反したら罪人であるという。それは律法主義です。ただキリスト教はそれに一捻り利かせていて、行為そのものでなく、行為を発動する内面を問題にすることによって、律法主義を変容させていく。
 フーコーは、そういう系列の「罪」の与えられ方に対して一生抵抗した思想家だと私は思っています。ニーチェ、フーコーというラインは、そこでつながっています。自分ではどうにもならないものも含めて人に「悪意」を見出す、そしてそれを超越神による救済につなげる。つなげられてしまう。これが「ずるい」、と罪の思想に反抗した人たちは言うわけです。私はそれにはもっともなところがあると思います。そして同時に、その罪の思想においては、人以外であれば殺して食べることについては最初から「悪」の中には勘定されていない。そうした思想は、どこかなにか「外している」のかもしれません。
 「悪人正機」という思想は、それと違うことを言っているように思います。では何を言っているのか。親鷲の思想にはまったく不案内ですが、いくらか気にはなっています。吉本の『論註と喩』という本(一九七八年、言叢社)は、マルコ伝についての論文が一つと親鸞についての論文が一つでできています。前者の下敷きになっているのはニーチェです。吉本とフーコーがそう違わない時期に独立に同じ方向の話をしている。そちらの論文に書いてあることは覚えていますが、親鸞の方はどうだったか。ずいぶん前に読んだはずですが、何が書いてあったのだろうと。二つが合わさったその本はどんな本だったのだろうなと。
 そして去年(二〇〇七年)、横塚晃一さんの『母よ!殺すな』という本の再刊(生活書院刊)を手伝うことができましたが、彼の属していた「青い芝の会」の人たちは、しばらく茨城の山に籠っていた時期もありました。そこの大仏空(おさらぎあきら)という坊さんの影響もあるとも言えましょうが、悪人正機説がかなり濃厚に入っている。それをどう読むか、それも気にはなってきていることです。
 「殺すこと」をどう考えるかは厄介です。否応なく殺して生きているということは、殺すことそれ自体がだめだということではないはずです。そして、ならば殺すのを少なくすればそれでよい、すくなくともそれだけでよいということでもないのでしょう。殺生を自覚し、反省し、控えるというのは、選良の思想のように思えますし、人間中心的な思想でもあります。最首さん御自身の「マイナスから始めよう」という案も含め、落とし穴がいくつもあるように思います。功利主義的な議論のなかでは、「殺すことがいけないのは苦痛を与えるからだ」という方向に議論がずれてしまう。だから、遺伝子組み換えで苦痛を感じない家畜をつくり出してそれを殺すのならば、少なくとも悪いことではないということになっていく。これはさすがに、多くの人が直観的におかしいと思うでしょう。
 こうした問題は、それはどんな問題であるかは、これまであまり考えられてこなかったように思います。西洋思想の系列にはその種の議論がないか薄いように思います。それでも、ジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930〜2004)とエリザベート・ルディネスコ(E1isabeth Roudinesco,1944〜)の対談集『来たるべき世界のために』のなかで、動物と人間の関係や、動物を殺すことについて少しだけ触れた箇所があります。ピーター・シンガーたちの動物の権利の主張について質間を差し向けられて、デリダはいちおう答えてはいますが、その答えの歯切れはよくないし、たいしたこと言ってないんじゃないかと。アガンベン(Giorgio Agamben,1942〜)には、西洋思想や宗教が動物と人間の境界をどう処理してきたのかという本(『開かれ――人間と動物』)もありますが、ざっと読んでみても、ああそうかとわかった気はしない。ただ、いま思想が乗っている台座を間うていけば、そんなあたりをどう考えるのかが大切なことのようにも思えます。どう考えたらよいのか、しょうじきよくわかりませんが。」(最首・立岩[2009]における立岩の発言)
 それに対して最首は次のように応じている。
 「いま、吉本隆明の「マチウ書試論」(『芸術的抵抗と挫折』未來杜,一九五九年、所収)にまたもどってきているというか、「絶対」と「憎悪」と〈いのち〉というと、問題意識を少し言えそうな気がします。」
 横塚『母よ!殺すな』は1975年初版、増補版が81年。新板(第3版)が2007年、新板の増補版(第4版)が2009年(横塚[1975][1981][2007][2009])。私は新版の解説を書かせてもらっている(立岩[20070910])。
★17 続き。
 「どんな自力の計いもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく<愚>に近づくことは願いであった。愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。」(吉本[1976→1987→2002:15])
 「親鸞は、<知>の頂きを極めたところで、かぎりなく<非知>に近づいてゆく還相の<知>をしきりに説いているようにみえる。しかし<知>は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても<無智>と合一できない。<知>にとって<無智>と合一することは最後の課題だが、どうしても<非知>と<無智>とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわって居る。なぜならば<無智>を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな<はからい>ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって究極の境涯でなければならない。しかし<無智>を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき<無智>を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなけばならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(吉本[1976→1987→2002:17-18])」




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◆◆人間を高めず認める2・かけがえのない、大したことのない私 連載・15

 ※9月に出してもらえることを願っている『人命の特別を言わず*言う』の最後の章、第4章「高めず、認める」の第3節「人間を高めず認める」。今回は、1「還る思想」、2「かけがえのない、大したことのない私」、3「人の像は空っぽであってよい」の2。全体の目次・構成は『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』をご覧ください。


■2 かけがえのない、大したことのない私
 そのときどきに、あるいは毎日、人は文句を言ったり不満をつぶやいたりしてきた。そのなかで、一九七〇年の前後、世界中にいっとき起こった騒動のことが、まだときどきは語られることがある。もちろんそれも、世界に長く起こってきたことがあってのことだったし、その後にも、問題も運動も引き継がれた。
 それは人間がしたことだから当然だが、基本的に、人間のための闘争であり運動だった。人間扱いされなかった人たちについて、市民権を獲得しよう、させようというのだった。言論として社会の表に現れるものは、多く、その社会において意味をもつ内容をもつものになる。その社会で実現はしていないにしても、その社会で正当とされ、使える筋の論理を使おうとする。たとえば公民権運動とはそういうものだ。その正しいことがなかなか実現しないのはなぜか、それはそれで分析すべきことだが、ここでは別にしよう。実現が困難な、しかし獲得すべき守るべき人間的なものがあった。その時、市民でないとされた人たちに十分なその質がある、と主張される。実際に力量があるのは事実だった。それはほとんど人間扱いされなかった人たちが、人間扱いするようにと主張するものであり、それらはまったくもっともなものだった。
 人がなす主張・運動の「すべて」をそのなかに包接することも可能だ。しかし、そうしたものと接し重なりながら、すこし肌合いの違うもの言いがあり、言い方があった。
 私たちにも人間である資格があると言いながら、同時に資格は本当はどうでもよいと言う。十分にできると言うが、じつはできなくたってかまわないとも思っている。そんな思想、というか気持ちがあった。人間がそう偉いとは思わない。その人々の各々のあり方が、なんでもよいというように肯定されることである。標語としては「能力主義の否定」が言われた。「優生思想に反対」という看板もほぼ同義に言われた。それは、なにもなくても、まずは人=ヒトであればよい、ということになるが、それでかまわないという構えのものだった。
 すると一つに、肯定されるものと、否定されないものは、はたして同じであったのかである。ほとんど変わらないのかもしれない。しかし、立派に普通に人間である人たちという像があって、そこから始めてその集合に属する者たちを加えていく時と、それと逆に、何もないところから始めるのと、順番は異なる。例えば障害者の運動においては「最重度」の人たちを基点・始点に置くことが言われた★18。実際には、実現しやすいところからしか実現はしないだろう。けれども、その姿勢があるのとないのと、同じではない。
 もう一つは、言い方のことだ。条件なしに当然に権利がある、と言うのであれば、それはそれで終わりで、なにも付け足しはいらない。しかし、現実的に効果的であるのは情動に訴えることだから、加えて言った方がよいということになる。そこで、一方では悲惨を言う。他方では素晴らしさを言う。多くの場合にそれは嘘ではなく、本当のことなのだから、言うべきだし、言ったほうがよい。しかしそのことを言う時に、悔しいと思うことがある。よくないことがあることは確かだが、同時に、よいこともあるし、よくもわるくもないこともある。しかし、よくないこと悲しいことだけが取りあげられたり、他方では、よいところが強調される。いずれもいくらかずつ外しているように思われ、大げさであるように思われる。さらに、周囲の人たちから悲惨や善良さを過度に強調しているといった具合に受け止められ、それがまた腹立たしいということがある。
 ここでいくらかでもまともな思想は同じになる。天賦の人権とか、道徳律が天から降っているかのようにされることが非難されることがあるが、それには明らかな利点もある。周囲がなんと思ってもまた感じても、それと別に、なされるべきことはあるし守られるべききまりはある。そのように人は振る舞うべきだということだ。しかし、それでもなにかよいことやわるいことや理由を言わなければならないと思う人たちもいつでもいるし、そのように言わざるをえない事情も常にある。しかしこの時に、よいものを前に出していくのが当然であると思われているのと、本来は、そんなふうに思ったり言ったり演じたりする必要はないと思われていると、異なる★19。そんな恥ずかしいことはできないと、黙ってしまったり、はきはきと言わなくてもよいなら、そのために得られたかもしれないものを得られないといったことも時にあるものの、楽ではある。
 それは、基本的には、すこしも特殊な時代の特殊な思考ではないと私は思う。むしろ、それが普通のことであるように私には思われる。理詰めで考えていっても必然的な道行きであり、当然の帰結でもあると思う。ただ、私がいくらか知っているのは、一時期のこの国にいた人たちが言ったり行動したことだ。そこにも幾つかの事情があったと思う。
 一つに、前項に紹介した「思想」、悪人正機といった言葉が、考えはしないが育って生きていく中で聞いてはきたもの、「初期値」のようなものとしてあった。これは、たんなる「建前」のようにしか作用しないこともままあるのだが、それでもそれなりの効力があることも否定はできない。人間の多くがもっているもの(その中の少ない人たちは有しておらず、類人猿の多くはもっていたりするもの)をもつことによって自らを肯定するといったことは、すくなくとも堂々と語ってよいようなことではないという感覚はある。
 一つに、それは、人間的なしくみのもとでもよいことがなさそうな人たちによって言われた。もちろん、できないとされていたことが実はできるといったこともたくさんある。また、できないことがありつつできることもたくさんあることは、人間の一般的な存在のあり方ではある。けれども、そのときどきの社会においてより必要とされること、例えば知力を要することと限定するなら、それはできないという人たちがいる。そんな具合に人に思われ、自分でもそれを否定せず、しかし、だからといってこの世にいて暮らしているのは悪いことではないだろうと思って、そのことを言った人たちがいた。その人たちは、その仕組のもとでは悪の側にいさせられるということであれば、「悪人」といってよいのかもしれないと自らのことを思った。そしてそしてたいへん数少ない人しか知らないことだが、そしてそのことをそう大きく見る必要はないと私は思うが、二つの契機が合わさることがあった。一九六〇年代に脳性まひの人たちが、カトリックの修道院にいたこともあり、二代続きの社会運動家だった、生臭坊主の類といってよい人とともに茨城県の寺に籠もって暮らしたことがあった★20。ここで「正しい」親鸞の教義が教えられたかまた伝わったかどうかは怪しい。だがそれはそれほど大切なことではないと思う。
 そして、もう一つ、科学・学問への否定的批判的な姿勢の現われがこれに連動した。もちろんそこには公害の大規模な顕在化があった。医療・教育・福祉とされるものによる加害が告発された。科学の名のもとでの侵害への反省があった。そちらの加害の側にいるという自覚をもつ人たちが自らを批判し否定した。それはたしかに自虐的な行ないであって、そのことが揶揄されもした。仕事はやめないが否定的であるというその動きは、内部での分裂を生じさせたり、迷走したりして、ことの本性上、だんだん弱まっていくような動きでもあった。かっこうのよいものではなかった。しかし、私はそれはただ嘲笑すればよいものであるとは思えず、全部を捨ててしまえばよいと思わなかったから、『造反有理』(立岩[2013])等で、幾度かそうした動きについて記してもきた★21
 それも世界中に起こったことであり、起こるべきことだった。そして自然環境問題については、おおむね、より穏当な共存、持続、制御の方向に行き、他方では、過激な環境原理主義の方に行く者たちもいた。その双方がまたいっしょになってやっているのが昨今の動向であり、本書で見てきた主張もその一部に位置づくものと捉えることもできる。
 その主張や運動や政策の大部分を否定する必要はなく、むしろ積極的に支持するべきことに異論はない。ただ、ときに間違ったことが言われる。だから本書も書いている。
 しかしその相手側は雄弁である。ながながと話を続け、繰り返す。その一部をとりあげて、部分的に検討し、批判したり言い直したりする論文がいくらも生産されていく。それに対して、こちらは、社会の具体的なできごとや仕組みについてはいろいろと文句を言い行動すべきことはあるのだが、基本的なことは、「反対!」とか「粉砕!」とか言ってしまった後、ほぼ何も言うことがない。象徴的とされる人物の書いたものであっても、あるいはそうした人たちのものはなおさら、そうしたものだ。田中美津に『かけがえのない、大したことのない私』(田中[2005])という題の本があるのだが、そんな感じだ。そしてその頃いくらか読まれたものを読んでわかることだが、その肌合いは、学術書の類と比べればもちろんだが、同時期のまたその前後の社会運動の本とも大きく違う。そこには何も難しいことは書かれていない。ただ、ときどき飛躍があったり断定があったり、矛盾しているように思われることが書かれているから、ひどく難しいとも言える★22
 私自身は、そうした流れのわきにいて、それでも理屈を言う必要もあろうと思ったから、理屈を言う側にいてきたつもりだ。するとそれは、弁を弄することを正しくも大切なこととは思っていない味方の側にはあまり受けず、読んでもらえない。損な役回りだとは思っているのだが、いったんは言葉にすることに一定の意義もあると考えるから、仕方がないと思っている。そこには、うまく言葉にできるか自信のない部分は今でもあるのだが、支持されてよいものがあった。
 さきに、「間違ったことを言う」、と書いた。悲惨を言い、調和を言う、それを言うのは間違っていないのだが、言い方が間違っていると思う。もちろん悲惨はあったし今もあるから、それを批判し糾弾し、よくしたらよいし、すでによいものはそのままにしたらよい。しかし、品性に欠けるとされる食物(肉)を食べ続ける人々を困った人たちだとしながら、実際には悲惨でないことや人も、悲惨なことや人にしてしまう。それは間違っているということだ★23

■註

★18 『介助の仕事』では以下。「僕はまず日本の障害者運動っていうのが、一番重い人から、最重度の人を出発点にするんだっていってこれまでやってきたことっていうのは極めて重要なというか、偉大な立ち位置だったと思いますし、素晴らしいことだと思います。」(立岩[2021:178])
★19 『介助の仕事』(立岩[2021])では以下。「これは第6章で、うまく関係を作れることが介助者を得られる条件になるのはおかしいと述べたこと(141頁)と関係しています。美しい話がこってりあったほうが説得力があるということはたしかにあるでしょうが、「話を盛ってるな」と思われて、かえって引かれてしまうこともあります。人間や人間関係の具体的なところとは別に、天から降ってきたものであるかのように道徳や倫理を語ることにも道理があるということです。」(立岩[2021:205])
★20 その大仏空(おさらぎ・あきら)という人と茨城県にあった(今もある)その人の寺に住み、大空の話を聞いた人たちがやがて山を降りて「青い芝の会」の活動を新しくしていく。その経緯と、そして書かれたものと、真宗の教えとの関わりと差異が、頼尊恒信の『真宗学と障害学』に書かれている(頼尊[2015:103ff.])。
 動物倫理についての本で親鸞・悪人正機説にふれられているものとして見つけたのは『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(浅野幸治[2021])で。
 「とにかく、殺生をする悪人は往生する、というのです。ということは、殺生をしてもかまわないということになりそうです。はたして、悪人正機説は、殺生を許可するのでしようか。悪人正機説の意義は、その社会的文脈の中で理解する必要があります。「下類」という言葉に注意してください。親鸞の当時、猟師は不殺生戒を犯して生き物を屠るということで差別されがちでした。悪人正機説は、そういう人に救いの手を差しのべるものと一般に解釈されます。ですから、反差別という点に、悪人大きな意義があるのです。
 これは、動物権利論の観点から、どう評価できるでしょうか。動物権利論によれば、人間の生命権と他の動物の生命権が両立しない場合、人間の生命権を優先することが容認されます。少し考えてみましよう。土地は有限です。土地は良い土地から占有されていさます。ということば、人口が十分に多い場合、一部の人は土地からあぶれます。良い土地から排除きれるわけです。例えば、極寒の地です。そういう所では、植物が十分に育ちません。ですから、必要な栄養源として動物に頼らぎるをえないでしよう。日本でも同様です、山間部に僅かな農地しかもっていなければ、そこで生産される米や野菜だけでは生きていくことができません。そういう場合、動物を殺して食料を補わざるをえないと思われます。ですから、農耕によって生計を立てることができない人が動物を殺して食べることを、権利論は許容します。
 このように考えられるので、動物権利論から見て、殺生が必ずしも往生の妨げにならないという親鸞の教えは適切ななのと評価できます。では、殺生が往生の妨げにならないからといってドンドン殺生してよいということになるでしょうか。なりません。そういう勘違いを「本願ぼこり」と呼びます。」(浅野[2021:171-172])
★21 『造反有理』序の冒頭より。
 「本書で見ていくのは精神医療を巡ってかつてあって不毛のまま終息したとされる争いである。造反者が現われ、消耗な対立があった、学問的にも空白の時期だったと言われる。そしてその造反(派)は消滅してしまったとされる。世界的にもそんなことが言われることがあるが、日本ではまた別の要因も加わってそう言われる。それは違うと私は考える。造反は有理であったことを述べる。それは「精神」のことについて書くべき一番目にも二番目にも大切なことではないだろう。だが一定の意味があると思う。」(立岩[2013:9])
★22 フェミニズムのその時の問題は、一つに、殺生の問題としてあった。それは、産む/産まないは女の権利であるとは言った。しかし、そうほめられたことでもないとも思っていた。はっきりと主張した。だが同時に、割り切れているものではなかった。
 田中美津、さらに遡ると、森崎和江といった人たちがいる。田中は日本での「ウーマン・リブ」の始まりに関わった。(「リブ新宿センター」について『私的所有論』第9章註9、[1997→2013:715-716]。)その人は『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』で、「肯定でも否定でもなく冷厳な事実として言うのだが、人間とは、他人の痛みなら三年でもガマンできる生きものなのだ。」(田中[1972→2004:166-168]▽「他人の痛みなら三年でもガマンできる」に傍点▽)とも言う。森崎には『非所有の所有』(森崎[1963])という著書がある。私の最初の本の題を考えていた時に想起したのは、この本と、『存在と所有』(Marcel[1935=1976])だった。
 『生命学に何ができるか』(森岡正博[2001])がこの人(たち)、この時期(以来)の思想から受け取れるものを示している。ただそこから『無痛文明論』(森岡[2003])に行かねばならなかったかというと、私はそうは思わない。拙著では『良い死』(立岩[2008b])第3章「犠牲と不足について」がこのことに関連している。「女の解放とは殉死を良しとする心の構造からの解放だ」(田中[1972→2004:351])。
★23 『不如意の身体』の第5章「三つについて・ほんの幾つか」より。
 「一つ、表に出すことになる時に、その仕方を吟味することができる。かつて『良い死』でとりあげたのは、ユージン・スミスが撮った、胎児性水俣病の子とその子を抱く母の写真の使用を巡ってあったできごとだった(立岩[2008:227-230])。他にも、先天性四肢障害児の写真のことが議論されたことがあった。例えば、原発を許すのであれば、こんな不幸なことが起こるかもしれないことが示されるというのだが、それは指が一本少ないとかそういったことだ。それはこんなに不幸なことで、ゆえに、直視し、語り合い、慰めたりするようなことであるのかである。」(立岩[2008:132]→立岩[2022]
 ユージン・スミスの写真に関わる註は『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」の以下に引用する部分の末尾に付した註25。例えば水俣病に関わる(ジョニー・デップが出たほうのではなく)土本典昭の映画のことを想起している。
 「その人たちは、人が生きることができないことがあったり苦痛のもとに置かれていることを指弾してきた。その状態がよいと思ったのではまったくない。行動は悲惨から始まった。だが、その後起こったこと、起こらざるをえなかったことは、その人たちと暮らしていったりすることだった。暮らしはしないとしても、支援やらなにやらの関係で、その人に面することになった。その人が亡くなっていく過程につきあったり、あるいは生きていく過程につきあってきた。すると、いくらかは異なってもくる。その人たちを苦しめたことについて、その人たちの暮らしを困難にしたことについて、そのことを責めてはいると同時に、その人を肯定はしている。その批判・指弾は、その人が生きることを否定しない。すると、その悲惨をそのままに使うのは間違っていると思うことになる。」(立岩[2008:176-177]→立岩[2022]




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◆◆人間を高めず認める3・人の像は空っぽであってよい 連載・16

 ※きっと9月に出してもらえるだろう『人命の特別を言わず*言う』の最後の章、第4章「高めず、認める」の第3節「人間を高めず認める」。今回は、1「還る思想」、2「かけがえのない、大したことのない私」、3「人の像は空っぽであってよい」の3。全体の目次・構成は『人命の特別を言わず*言う』『人命の特別を言わず*言う 補註』をご覧ください。第4章4節が1回分なら、本のための連載は今回含めてあと2回で終わるはず。ただ、このかん買い足した本などもあるので、本になる時の分量を考えた上でだが、「おまけ」みたいな文章を、本の告知・宣伝を兼ねて、何回かさせていただくかもしれない。br>

■3 人の像は空っぽであってよい
 吉本が親鸞について書くのは、いっときの社会の騒乱の少し後、一九七〇年代の半ば辺りになる。この人は、ずっと以前に労働組合運動に関わりそれで消耗した人でもあり、六〇年安保闘争では運動を穏健なものに留めようとした革新政党と対立した人でもあった。そして「在野」の人であり続けた。その人たちの活動は、大学といった組織や、○○学といった学問の内部から行われたのではない。そして、前衛・前衛党とされる組織も含め、たいがいの組織的なもの体制的なものを批判した。
 その姿勢は、組織に疲労し、反感や怨念がある人たちに受容され支持された。主義や組織は自己展開していってろくなものをもたらさないという感覚があった。大学には行ったにせよ、学問の内部に入っていったのではない人たち、そこから離れた人たちに読まれた。私が知っている人たちの多くは既に、あるいはもとより、もっとものを読まない人たちだったから、その人のものも読まれた気配はあまりない。ただ、その周辺にいる人たちには読んだ人がいるだろう。吉本はそんな人たちに一定受容されたのだと思う★24
 その人の言葉として知られている「大衆の原像」という言葉があった。吉本がそういう存在を肯定していることは伝わる★25。それは、考えて、前に行って、戻って来て、するとそこに最初からいたはずの人がいる、という筋とも重なる。そして、その人には、発生論としてものを考えて書くところがあった★26
 では、そこに「もともと」いるのはいったいどんな人なのか。工学の方面の大学を出ているからというわけではないだろうが、吉本は科学技術に対するあらかじめの反感といったものは持たない人であり、自然に還れ的な発想の人ではなかった。その方がよかったと思う。そして「市井の人」、東京の下町の、彼の住んでいた近所にいる人たちを理想化しているといったことが言われることもある。
 実際には、あらゆるとまでは言わないとしても、人々の多くは十分に知的であり、いろいろを学び、様々を引き継いで生きている。多くの人が損得を計算し、なかなか難しいことを考え、生きている。結果、ずいぶんと多様でもある。「原像」は、その一部を除外し一部を取り出しているのではないかという疑いが生ずる。その人物像のどこかの部分を取り出すにせよ、その中身は何も言わないにせよ、その大衆の側に自分はいる、その味方だと思う人にとっては、それだけで肯定的な意味合いはあったにせよ、そこから話を進めていくこと、論を組み立てていくことは困難に思われる。
 後で付着したいろいろを引き剥がして何が残るのかと考えても、よくはわからないし、また皮を剥いたあげくに何かが出てきたとして、それが良いものかと問えば、そう決まったものではない。それは「疎外論」を巡る様々のあげく、私たちが一九八〇年代に確認した数少ないことの一つである★27。つまり、もとに「よい人間」がいて、それがしかじか疎外されてよくないことになる、という物語があるのだが、何が「もと」にあるかはたいがい言えないし、仮に言えたとして、そのもとにあるものがその後にあるものよりもよいとは言えない。そして、全般に社会科学者は、そのことを考えたから、というよりは多くたんに臆病か慎重なために、なにがよいとかよくないとか、そういうことは言わないことになっている。
 では何も言うことはない、となるか。そんなことはないと思って私は書いてきた。
 そもそも、行って還ってきて言えることは、人がなんであってもよいということだった。その限りで、そもそも具体的な人間の像はそこになくてよい、あるいはないのが当然のことになる。そしてそれは、現世において実際に実現されてよいことだというのだから、生きられる状態が現実に実現されるべきだとなる。そのぐらい緩いところから始めて、緩いままにしながら、それを可能にし容易にする仕組みを考えることができる。人間とその社会ができることはごく部分的なことだが、この程度のことならできる、なのでやる、と言うことはできるし、言うだけでなく行なうことかできる★28。それは例えば、利口な人にはいろいろと働いてもらいながら、そうでない人も損をしない社会である。考えたくない人が考えずにすむ社会、考えないと損をするので考えざるをえないといったことが少ない社会である。そんなところが「底」ということになる。そのために必要なものは必要、いらないものは不要、あとは各人が勝手に、となる★29
 それはもとにあるのか、その後のできごとなのか。例えば、平等の望みは最初からあるのかそうではないのかといった問いがある。どちらとも言えるだろうし、私はそのことに関心がない。時間的により前にあるのかないのか、過去を辿ったり、実験したりして、わかるすべがあったとして、それは決定的なことではない。前にあるから、あるいは、後に来るから、よいとも言えない。それより、何を置くかであり、次に可能であるかだからだ。現実に、人=ヒトがどのようにあってもよいという思いは、なにかの先であれ後であれ、そんなことはどうでもよく、ある。その実現は、人間についての観念によって妨げられ、現実によって困難にされるのだが、可能だ。
 だから、思い自体はたいして言葉を要さない。しかし、そのような方向で組み上がっている社会のもとで、その現実と接触する場所で、どのようにふるまっていくか、どのような仕組みを作っていくか。すると、仕方なく思考と言葉は増殖していく★30。考えること、作り出すことは、手段として必要である。そして人間たちの趣味でもある。それはそれでよいのだが、よけいなものもたくさん生み出すので、それに応じて熱を冷ます、ときに虚しくもある営みを続けていくことになる。

■註

★24 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」(最首[1969])という気負った文章があり、同年の雑誌『現代の眼』(三月号)での「知性はわれわれに進撃を命ずる」という気負った題をつけられた座談会(最首他[1969])での発言が吉本に批判されて最首はへこんだりする。
 「私は、一九六九年に、当時教祖的存在だった吉本隆明から「この東大助手には、〈思想〉も〈実践〉も判っちゃいないのです」〔吉本隆明「情況への発言」、『試行』二七号、一九六九年三月、一〇頁〕というご託宣を受け、落ち込みましたし、考え込みました。「わかっちゃいない」と言われれば、「わかりたい」と思います。しかし「わからない」まま時間は過ぎてゆく。努力していないと言われるとそれまでです。しかし、密かに大きくなっていった意識は、「思想も実践もわかったらどうするのだ」ということでした。」(最首[2013:287])
 「ご託宣」のことは、『図書新聞』の吉本追悼特集に最首が寄せた文章(最首[2012])でも言及されている。そして吉本の文章(吉本[1969])は、吉本の同じ題の本『情況への発言』(吉本[1968])には、それは68年に出されたのだから当然だが、収録されておらず、『遺書』(吉本[1998])に収録されている。また『「情況への発言」全集成1』(吉本[2008])に収録されている。
 そんなこんなで最首はしばらく文章が書けなくなる。水俣の調査団には関わっていて、八四年に『生あるものは皆この海に染まり』(最首[1984])が刊行される。その前、76年に星子(せいこ)が生まれる。ダウン症の子だった。その後に書いた文章をまとめたのが『星子が居る』(最首[1998])。
 (1970年代のはじめ)「必然的に書く言葉がなくなった。[…]そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。[…]本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとどめなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。」(最首[1997→1998:369-370])
 こうして最首は節目節目で批判を受けながら、結局は文章を書き続けていくことになる。私はこの部分を、第1章でも紹介した、そして加筆のうえ『不如意の身体』に収録した、「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[20021025])でも引いている。その前には「他者がいることについての本」で引用した。
 「この「硬派の批判」に応え、言い返すことは、そんなに簡単なことではないと私は思う。どう言えるのか。気になる人は、硬派の人であっても、あるいは硬派の人に言い返したい人であっても、どちらでもよい。この本を読んでみたらよいと思う。」(立岩[19991025])
★25 なにか立派な存在である必要はないのだというところを「もと」に置くというのはよいと考える(→註29)。しかし同時に私は、社会を構想していくに際して、吉本の道具立てが使えると考えているわけではない(→註28)。
★26 実際、その人が受けたのは、なにかが展開していく過程――それにもにはよくわからない部分がある――を描いたことによってだった。吉本が主宰した同人誌『試行』あるいは別種の媒体に、吉本の論を下敷きにした「○○幻想論」といった類いの長い続きものの文章がたくさん書かれ、その雑誌他にも掲載された。発達心理学的なものであるとか哲学者のものであるとか、比較的容易に入手できる文献をいくつか集めると論を組み立てることができるということもあって、書けてしまうというところもあっただろう。それらのみながおもしろいものであったということはなかったと思う。
★27 規範的なことを語る時に、その基準・目標になにかを置くこと自体は、当然のことではある。それを「疎外」される前のなにかしらのものとして描くこともあるだろう。ただそれは、人間像、それも具体的な人間像として示されねばならないわけではない。やはり文庫として刊行してもらうことを願っている『自由の平等』)の第3章の註01に次のように記した。
 「しばらく前に終止してしまったかのような諸思想について、それらが何だったのか、どんな論理の構造になっていたのか、何を巡って対立したのか、再検討する必要があると思う(序章注15)。(疎外論/物象化論という対立については廣松[1972][1981]等、田上[2000]、他。なお本節と本書の何箇所かは[1997]を論じた三村[2003]への応答でもある。)また、本文に記したのは現実が変わると意識が変わるという一つの線だが、むろんそれだけが想定されたのではない。両者の間の幾度もの往復が、希望とともに、描かれたのだった。それはたしかに空想的だと思える。しかし、人もまた変わっていくはずであると考えるのは、人はこんなものだろうというところから議論しそこに留まってしまうのと比べて、少なくとも論理的に誤っているということはない。人はどのように変わっていくかわからないのだと、だから「代替案」を示せという脅迫に「誰にも予見できない未来」(西川[2002:112,138-139])を対置することは正しいのだし、論と現実を先の方まで進めていこうとする力に対してリベラリズムが反動として作用することに苛立つ人がいる(Zizek[2001=2002])のも当然なのである。」(立岩[2004:319])
 なお、私は「疎外論」に対置されるものが「物象化論」――それは本章であまり肯定的に紹介してこなかった範疇化と支配等々を結びつける議論(→註05・07)に似ている――であるとは、ずっと以前、大学生を始めた頃にはそんなことなのだろうかと思っていたこともあったが、その後は、考えてはいない。
★28 富士学園労働組合主催で、小金井公会堂で行われた講演が「障害者問題と心的現象論」(吉本[19790317])。3月後に刊行された『季刊福祉労働』(現代書館)の第3号に掲載された(吉本[19790625])。私は長くまったく知らなかったが、『心とは何か――心的現象論入門』(吉本[20010615])にも収録された。そしてその音源が販売されていて、聞くことができる。私が富士学園にいっとき少し関わりがあったことについて『そよ風のように街に出よう』に11年間掲載させていただいた「もらったものについて」の初回に記している。
 「時間を七九年・八〇年に戻す。教養学部の時、私は『黄河沙』というミニコミ誌を作る「時代錯誤社」というサークルにいて、今はつぶされてなくなってしまった駒場寮という汚い建物で雑誌を作っていた。ジョン・レノンが撃たれて死んだニュースはそこで聞いた。そのサークル自体はとくに「政治的」な傾きのあるところではなかったのだが、それでもいろいろに首を突っ込んでいる人もいた。さっき名前を出した人たちが出入りしていたし、そういう人たちとつきあいのある人たちが作ったサークルだった。私が学校に入る前年に創刊号が出た。今でもまだこの雑誌は続いているらしい。そのサークルが学園祭で講演会の企画を立てた。一つは政治家になってまもない、まだそう知られていない時期の管直人の講演会。私はそちらにはほとんど関わらず、もう一つの方の担当になった。
 東京の国立市に「富士学園」という小さな施設があって、その施設はある資産家が自分の子どものために作ったということだったが、どういう理由であったのか、たたんでしまうということになり、それでは入所者はどうなるんだということでそこに務めていた池田智恵子さんという職員が一人残って存続のために活動し、しかし経営者から金は払ってもらえないので、支援者たちが廃品回収などして金を稼いでいたりしていた。その池田さんたちを呼んで何かしようということになったのだ。たしか、さきに名前をあげた、今は死んでいない高橋秀年がそこにも出入りしていて、彼はそのサークルのメンバーではなかったのだが、私たちの幾人かと親しく、そんなこんなで企画が決まったはずである。私は知識もなにもなかったから、とにかく、そこに行ってみなければならないということになって、それで行った。
 そこに暮らしている人は三人だった。そして池田さんがいて、その他の人たちが出たり入ったりといった具合だった。その頃のことその後のことについては池田さんの著書『保母と重度障害者施設――富士学園の三〇〇〇日』(池田[1994])に書かれている。[…]。交渉はなかなかうまくいかず、金はなく、厳しい状態ではあったのだが、そこはおもしろいところだった。その学園祭での講演会――そのもののことはあまり覚えていない――の前と後、ときどき出かけ、おもに日曜、国立の近所を軽トラックでまわって廃品回収をする仕事を手伝ったりした。そうして回収して置いてあるものの中から、いくらかを所望し、いただくこともあった。例えば『情況』などという雑誌のバックナンバーをそうしてもらってきた。そして食事をみなとした。三人のうちの一人は「みみ」君と呼ばれていた若い男性だったが、言葉なく、ぐるぐるまわったり、ときに土を食べてしまったりする人であり、「わからん」人であった。ただ、その極小の不定形な場にその人はいて、「これはあり」であると思えた。その確信というか、現実というか、みなが「これでよし」と思っていたと思う。後に「他者」などどいう言葉を聞くようになったりあるいは自ら言ってしまうようになったりした時、この人のことを思い起こすことがある。やがてその人は、夜中建物を抜け出し、中央線の線路まで行き、夜中に通貨する貨物列車にぶつかって死んでしまい、そんなことがあったりもしたので、池田さん(たち)は残る二人をうまく暮らせていけそうなところに移れるようにして、そこでこの施設は終わりになったのだった。」(立岩[2007-2017(1)])
 この講演で吉本は障害者差別は「最後まで残る」難しいものだと語っている。同じことは同じ本に収録されている別の講演「身体論をめぐって」(吉本[1985])でも述べている。ただその話を聞いていると(読んでいると)そんなに深淵なことが語られているわけではない。
 「現在の段階でそれを解こうとすれば、たった一つの考え方しかないんです。例えば、ある人がある日に片腕をなくしたとします。その人の身体は、マルクスの労働価値説では行動と身体ということであるわけですから、行動と身体だけで価値をかんがえたとして、そういう人はどう遇されていくかとかんがえると、考え方としては一つしかありません。その日からその人が死ぬまで、完全なる、不自由じゃない手があったとして働いただけの価値を想定します。それから手がなくて働いたものを引いた分を既得権としてその人は持っているとかんがえる以外に、今のところ完全な解決の仕方、論理はないだろうとぼくは考えます。」(吉本[1985→2001:155])
 いわゆる逸失利益(分を支給する)という計算の方法をとる必要はないと思うが、この程度のことですむということであれば、そう難しいことであると私には思われない。
★29 『文藝別冊 総特集 吉本隆明』に収録された「世界の肯定の仕方」(立岩[20040228])。その冒頭が以下。
 「しばらく「政治哲学」の人たちが書いているものをすこし読んだ。リベラリズムだとかコミュニタリアリズムだとか様々な立場があり、大きな話から具体的な主題まで、ここ数十年をとっても夥しい言説の蓄積がある。そしてなかなかもっともなことも言われていて、なるほどと思うことがある。他方、この国でどんなことが言われてきたかを思うと、論理の詰めが甘い、というより論理がないことが多いから、それに比べるとよいと思う。それである程度感心しながら読んだ。しかし違和感を感ずることがあった。前から思ってきたことなのだが、やはりあらためてそう思った。
 そしてそんなことを思う時、ときどきこんなではなかったような気がする人として想起したのは吉本だった。何を読んでそう思ったのか、たしかな記憶もないのだが、しかし、たしかに異なっていると思い、そして彼の方が正しいと私は思った。彼には、何かに、例えば政治に参画したり、あるいは何かを、例えば自分自身を自らで作り出していくことが、それはときに必要であったり、ときにそれを人は求めてしまったりすることがあるとしても、それ自体として価値があるわけではないという、冷静な認識があると思う。また、そんな「積極的」な契機が人に含まれてなくても、それはそれでよいではないかという見方があると思う。」
 「政治哲学」の人たちが書いているものをすこし読んで、同じ頃に出版されたのが『自由の平等』(立岩[2004])。その本から以下を「世界の肯定の仕方」に引用している。
 「私たちとしては、労働も政治活動も特別に価値のあることでなく、しかし双方とも参画するのはときに楽しいこともありまた必要でもあるという、そしてこの意味でもこの二つの間に優劣はないという、だから丸山真男の言うことはわかるがその立ち位置はわからない、アレントは立派なのだろうけれどやはりわからないところがあると言ってしまいたいという、単純な所から発してはいけないのかと考えてもよいと思う。」(立岩[2004:289])
 そして『人間の条件』より。
 「突然だが、「民主主義」が大切な理由は、一つに、そういうことにある。ものごとをみなで決めるといったことは、だいたい手間もかかり面倒なことであり、そんなに楽しくはないことだ(と私は思う)。代わりに自分が決めてあげたいという人がいたら、そしてその人がうまくことを決め、ことをうまく運んでくれれば、そんな人にまかせておけばよいと思う。けれどもそうしてその人にまかせてしまったら、たぶん、その人は自分の都合のよいようにしてしまうだろう。それは自分たちにとってよいことではない。だから民主主義の方がよい。簡単に言うとそういうことだと思う。
 さきと同じように、やはり、自分たちが自分たちのことを決めること、それそのものがよいことだという考え方もある。たぶんそうだろうとは思う。ただたとえば、この世のことは神様がみな定めたのだという考え方と、自分たちが決めるのだという考え方と、後者の方が絶対に正しいということを証明するのはけっこう難しいことではないかと私は思う。
 他方、人々のためということであれ、あるいは神様が決めたことを解釈し実行するのだということであれ、誰かにまかせておくと結果としてうまくいかないことが多いことは、多くの人たちが多くの時代に経験してきた。そこで、面倒なことではあるが、自分たちのことは自分たちで決めようということになる。私もそのほうがよいだろうと思う。
 しかし、ここでも同じことを繰り返すが、面倒なことをせずにすむのであれば、もっとよいとも言える。政治に関心がないこと参加しようとしないことそのものが、なにかいけないことであるように言う人たちがいる。私はそんなふうには考えない。たしかに安心して他人たちに任せておくとひどいことになることがあるから、気をつけた方がよい、関心をもった方がよいというのはもっともだ。しかしもっとよいのは、毎日なにかを決めたり、決めるために時間をかけて議論をしたり、誰を代理者あるいは代表者とするかを考えたりすることが、なくすことはできないだろうけれども、少なくなることではないだろうか。ここでも私たちは、仕方なく大切なことと、そのものが大切なことと、どちらなのだろうと考えてみたらよいと思う。政治(を自分たちで行なうこと)は仕方なく大切なことなのだろうか、もともと大切なことなのだろうか。まじめな人たちは後者だと言いたいようなのだが、前者だと考えてもよいように思う。」(立岩[2010→2018])
★30 『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])等々の書籍を第1章の註06であげた。




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◆◆私たちの時代に 連載・17

 ★★第17回

■■4 私たちの時代に

■1 たいして変わっていない
 私たちの時代は救いの時代ではないのだから、いま見てきた話は関係がないだろうか。たしかに私たちが生きているのは、その以前とは異なる世界であるように思える。今のことが、今ように語られる。それが更新されていく。始終新しい時代が最近始まったといったことが言われる。しかし、意外に、そうでもないと私は思う。
 人々が今何を悩んでいるのか知らない。だが、一つ、まったく即物的に傷つけられている。一つ、悩まなくてもよいと思うものに、悩まなくてよいと思いながら、悩んでいる。
 例えば、「再帰的近代」といったものが、なにか新しいことのように語られたようだが、それは基本的には、新しいことではない。むしろ、同じことを繰り返している。今どきの人たちは単純に物質主義的ではない。かつてのように、ただものを生産し、物質的なものを得ることがそんなに大切なことだとは思っていない。しかし、生を作品にしようとするそのような営みは失われていないか、あるいはその度合いは強まっている。何を食べるか、食べないかにもそんなところがある。
 そして例えば死の手前で、人ができることなど他に考えつかないということもあるのだろうが、理知的な、あるいはそのようであろうとする人が、死を決めて行なう。その人たちは、そのことによって、死を賭して、普通には不如意なものとして到来するしかない死を統べている、という気持ちがする、ということなのかもしれない。そのように本人たちは思っている。自分を作品にしようとする。そのように信じている人たちは、その決意を取り下げたりしないのかもしれない。私は、勝手にすればよいと半ば以上は思う。しかしその人たちも、そんなに本気で信じてはいないところもあり、他方ではやはり単純に死にたくないと思っているから、ただ放置しておけばよいというわけにもいかず、面倒なことだと思いながら、そんなに無理をすることはないのではないかと、話を続けることになったりする★31
 そしてその同じ人が、人間的に生物・動物を愛護したりもする。だからこの時代は少しも終わっていない。人々はこの社会・時代の圏内にはやはりいるのだろうと思う。とすると、基本的に本章にみた方角に行けばよいということだ。語りようがないと思われることを無理やり語って妙な具合になったり、われながらよくわからない営み自体に価値があるのだと考える必要はない。
 すると、人間と動物の境界が虚構であるなどとと言われて怯えることはない。怯えることのほうが間違っているということだ。
 人は、まったく物理的に悲惨だ。人が悲惨であったりするときに、その悲惨な人は、人と動物の間の境界線にいて、自分はどちらにいるのか、そんなことで悩んだりしているものなのだろうか。また、他者たちも、そんな人を見て、この人において人間の境界が脅かされているとか、そんなことを思っているのだろうか。そんなことはない。むしろ、広範に、強化された普通の悲惨があってきたし、今もあるということだ。
 それに対して、いついかなる場合にも人間に人間の「尊厳」はあるのだと言われたし、それはまったくその通りだ。ただ、その尊厳の言い方は、ときに、収容所にも楽器を演奏する人たちがいたとかいるとかそんな話になってしまった。むろん楽器を演奏できた方がよいし歌が歌えた方がよい。それが実際にできたのなら、それはそれでよいことだ。
 しかし、その悲惨は、まず、苦しいこと、辛いこと、痛いこと、殺されることにある。ひどく喉がかわいたとか、このままだと死んでしまうんだろうかとか、そんなことを思うのだと思う。そして人々は、その人を見た時、それは仕方なくか、わざわざ見る気になった時に限られるのだが、そのことが辛そうだと思う。
 ではこれは、基本的な欲求がまず充足されねばならないといった話だろうか。そうした一次的な、生物的・動物的な欲求が満たされた上で、より高次の、より人間的な、あるいは脱人間中心主義を称する人たち達的には高等動物的なものが認められる(のがよい)といった話がある。しかし、どちらが大切なのか順番など決まっているはずがない。どちらをより大切にするのか、とか、さきに充足しようとするのかとか、そんなこともどうでもよい。
 一つには、第3章で述べたこと、ヒトが意識をもってしまっているということだ。つまり、本来は十分にこんなことで苦しまずにすむことが可能であることを人間は知っている。本当はこんなはめにならずにすむことができる。にもかかわらず、そのことがわかったまま、苦しまねばならず、死を予期して死なねばならないということだ。そしてこのことは、ときに織り込み済のこととして脅迫のために利用され、時に無視することにされる。それを併用した加害が至るところで起こっている。それを減らそうと言い、減らそうとするしかない。

■2 機械のこと技術のこと
 むろんいろいろと新しいことは起こっている。機械は高性能なものになっている。人間と人間でないものという境界が問われる、生物と生物でないものとの境界も問われるといったことが言われる。
 たしかに人間に似たものが作られている。機械は、またソフトウェアはどこまでいったら人間になるのか。すると、それは殺してよいのかいけないのか。そうした主題に私自身はあまり興味がない★32が、そんな議論はすでにたくさんあるはずだ。それを知って言うわけではないが、それはそんなに難題なのだろうか。何が作られてならないかについての答を言えばよいだけだと思う。
 私たちは道具として機械を作ってきたし使ってきた。その道具に余計な性能を装備しないことにすればよい。そこにとどめておいて格別に困るわけではない。ありうるとすれば、自らの破壊を避けるためのプログラムを仕込むことなどだが、それは、壊れてしまって使えなくなることを防ぐためには有効であるとして、ゆえにそうした機能を装備することはよいとしても、その人工物が自己保存の欲求をもち、自らがなくなることに対する怖れが起こるような具合に作ることは、仮にそんなことができるとしても、してはならないということになる。
 それとはまた別に、機械以上の機械を存在させたいという欲望はあるだろう。その欲望に関わる夥しい数の文字や映像の作品が作られてきた。想像し文章や映像にすることは簡単なことでもあり、また簡単なわりにはおもしろいとも受け取められるから、これからもたくさん作られたくさん消費されるだろう。しかし、それを現実に作ろうとするならそれは、存在を作ろうとする欲望を実現しようということであって、それを認めることはできない。優生、積極的優生について述べたことと同じことが言える★33
 人間のように残念な存在はできるだけ作らないほうがよい。そしてこれは各自の勝手で決められるようなことではない。だから、社会のきまりとして認めないということになる。

■3 せめてヒトは、とする
 本章の最初に見たのは、遡及的な、反省的な営みだったが、基本的な構図はそのまま受け継ぎながら、反省的な暗さを減らすと、第1章のような話になる。そこに見たのは、自分たちを確固として肯定した上で、その範疇に加えて自分たちに似たよいものを救ってあげようという能天気な所作である。
 その発想がまったく新しくないことを確認した。しかしこの人たちはその情熱を持続させている。それにはわからないところがある。知っている人は知っていることだが、シンガーたちと、その人たちに死んだ方がよいと言われた人たち、また自らはその側にいると自らを思った人たちとは、かなりの回数、ぶつかって来た(第1章・◇頁)。それは解消されてはいない。『荷を引く獣たち――動物の解放と障害者の解放』(Taylor[2017=2020])という本があって、そこで著者はシンガーと対談をした時のことを書いている。いろいろと批判・非難され、にもかかわらず、なぜ長いあいだ自らが述べることを固く信じることができるのだろう。結局はよくわからない、素朴に不思議なことだ。いちおう論点と結論とは確認してはおこうと本書も書いたが、ずいぶん長いこといろいろと言われてはずであるにもかかわらず、障害を(なおす薬がたいへん廉価であったとしても)なおしたりしたくないと筆者から言われて、シンガーはまだ驚いている★34。そんな人を説得しようという気にもなれない。自分で肉を食べないことにしている分には、それはまったくわるいことではないから、どうぞ、というだけだ。
 しかし、その本の著者はもっと真面目だ。この本は一方で、動物を救おうという人たちにも能力主義があることを指摘する。動物保護論者の多くは障害者差別的だという。それはその通りだ。一つ、一番単純にはしかじかを食べると障害者になるというわかりやすぎるものであり★35、一つは、健常な動物をよいとしているということだ。そして、動物を救おうと主張しつつ障害者(の一部)は殺してよいとするシンガーのような人たちの議論を紹介し批判する。他方で、障害者運動のなかにも動物保護論に冷たい人たちがいることを残念だとする。知らない具体的なことがたくさん書かれていて、よい本だ。
 そして、筆者は、両者のよくないところをただし、両方を大切にしようという。理性・知性を置くことはやめる。代わりに苦痛は大切にする。動物の苦痛を考慮し、動物を食べるのをやめようと言う。私は、これまで言うべきことは述べてきたから、これ以上動物を食べることについての議論はしない。
 ただ、人間は一方では、依然として、自らの生存を自力で維持することさえまったくできないし、できる見込みもないのだから、まったく無力でありながら、他方では、たしかに、すくなくともこの星の球体の表面や、その表面にあるものを、ときに選択的に、消去してしまえる。それほど過分な力能を有してしまってはいる。たしかに世界のなかで人間の所業が影響を与える割合は大きくなっている。規模も程度も尋常ではない。動物他自然界に及ぼす力が強大であるのは事実だ。だから、その力の使い方については慎重になった方がよいとは言えるだろう。慎重であった方がよく、縮小したほうがよい部分があるとは思う。だから、さきに受領するものとしての世界を肯定していると述べたその心性によって、余分のこと――どこまでが余分なのか、容易には決まらないのではあるが――はしないようにする。そのことはできる。

■■註
★31 死にたい人たち、を手伝いたい人たちのことについては、『介助の仕事』(立岩[2021])の第9章「こんな時だから言う、また言う」でも述べている。
★32 私が少し関心があるのは科学批判(→註21)との関係でどんなことが言われたかだ。人間と人間でないものという境界が問われるなら、あるいはその問いと別に、生物と生物でないものとの境界も問われることになるだろう。そして定義によるが、生物は作ることができるともされるし、実際そんなことが様々に行われている。たくさんの文献があるはずだが、ずっと以前に柴谷篤弘の『生物学の革命』(柴谷[1960]、改訂版が柴谷[1970])があり、その人が『反科学論』(柴谷[1973])以降の一連の著作を発表していくといったことがある。この時期の科学論を検証する作業はまだ十分になされていないと思う。柴谷への言及も少し(だけ)ある岩崎秀雄『〈生命〉とは何だろうか』(岩崎[2013])をあげておく。
★33 『私』の第9章の第6節が「積極的優生」。以下のように問いを立てた。
 「第一点。私が私をよくする。私があなたをよくする。両者の間にある違いはこの主語の違いだけである。しかも後者の場合に、私はあなたの「最善の利益」(だけ)を考慮してよくするのだとしよう。ならば同じではないか。第二点。また、生まれた後、私はあなたをしつける、学校に行かせる等々、いくらでも行うことがあるではないか。こうやって生まれた後に何かさせるのと、積極的優生によって生まれる前に与えることと、違いは、生まれた後、生まれる前、それだけではないか。第三点。しかも、消極的優生とは異なり、積極的優生は生きさせる行いであるから、存在の消去が絡む消極的優生の場面とは異なり、より「倫理的」な問題は少ないはずだ。以上について、考え、答える。」(立岩[1997→2013:690])。
 そしていちおうは答えた。
★34 私は、シンガーの「(障害は)ないにこしたことはない」という趣旨の論文を紹介・検討して「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[2002])を書いた。その後、いくらかを足して『不如意の身体』([20181130])に収録した。それからでも20年は経った後、その人が同じことを言い、言い返されて、驚いているのに驚いた。
 テイラー(著者は関節拘縮症)の本を読むと、シンガーがよい人であることがわかり、そして変わりがないことがわかる。つまり、この人は30年間は同じ話をしているということになる。そして、著者がなおりたいとは思わないと言うと、シンガーは仰天している。ずっとそのように思って書いてきたのかと思い、そのことにあらためて驚いた。
 私は、なおろうと思ってわるいことはないと思う。負荷が少なくなおることもよいとよう。しかしそれは、なおらないなら死なせることをよしとすることではまったくない。
 「二〇一二年にシンガーがバークレーを訪れた際、私は彼と直接出会う機会を得た。子ど△223も頃に憧れていた人物と面を向かって話をするのは、アンビバレントな経験だった。とりわけ彼は非常に親切で楽しく対話する術を心得ている人だったからだ。ジョンソンでさえ、立場上の違いとは裏腹にシンガーのことが気に入ったと語ったほどだ。
 […]会話がかなりつづいてから、わたしはついに、長年彼に聞いてみたかった質問を投じた――ピーター・シンガーは、障害が社会と個人に及ぼす肯定的効果が少しでもあると考えてるのか?[…]
 わたしの質問に興味をそそそられた様子のシンガーは、こう答えた――自分の考えでは、一個人の次元で、あらゆる人は克服すべき障害が必要であり、こうして難題に立ち向かうことが人格を高め、満足感を与えることもあると。そしてもしかすると、障害のなかにはこのようにして充足感を与えるものものあるかもしれなと。けれどもシンガーは、障害が社会一般に及ぼす肯定的効果にかんしては、認めるのにより消極的だった。[…]
 「あなたやあなたの子どもの障害を治癒する、たった二ドルで副作用も皆無であることが保証された錠剤を誰かがくれるとしても、あなたはそれを飲まないということですか」、と。[…]「さて、どうでしょうか。親のほとんどはその錠剤を使いたがるでしょうけど、大部分の障害者自身は使わないと思いますよ」。わたしは自信たっぷりに答えた。/「ということは、あなたは使わないんですか?」明らかにシンガーは仰天していた。」(Taylor[2017=223-226])
★35 日本では原子力発電と障害児が生まれることがつなげられた時にこのことが議論された。『不如意の身体――病障害とある社会』に再録した「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[2001])で文献をあげ、私の考えを述べた。


UP:2021 REV:.. 20220121.. 20220620, 22
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